最近は、シンプルブログをぽつぽつと更新している。ブログを書くのはやっぱり楽しい。
シンプルブログというのは、私のブログのタイトルとかではなくて、サービス名だ。はてなブログみたいな。
タイッツーというSNSを知っているだろうか。Twitterでいろいろあってから生まれたSNSだ。それを作った人が、ブログサービスも作った。それがこのシンプルブログだ。
ブログの文字入力画面はこんな感じ。本当にシンプルだ。
スッキリしているが、書き心地が良くて気に入っている。他のブログサービスだとnoteに近いかもしれないな。書いたままブログ記事になるような感じ。フォントも可愛らしいし改行の幅も好みだ。
見出しを入れたければタグを使えば良いし、画像のアップロードもやろうと思えば出来るが、私は一切無視してただひたすらに文章を書いている。いや、書けている。文章を書くことだけを考えて文章を書けているんだ。楽しい。
それが出来るのは、やっぱり入力UIがシンプルだからなんだろうな。いろんな機能が目の前に無いから、体裁を気にしようとしなくなる。画像入力もいちいちめんどくさいし、見出しや目次なんてまどろっこしいじゃん。そういう機能を奥に引っ込めてくれているのがありがたい。指と脳みその距離が近くなる感覚というのかな、それが心地良い。ペンで紙に書いてるような気分だ。
シンプルなサービスが心地いいことって、ブログじゃなくても結構ある。
自分はただ蕎麦を食べに来ただけなのに、おしゃれなカフェスペースに案内され、トッピングがずらーっと並んだテーブルで、選べる季節の小鉢2種と一緒に、インスタ映えしそうな蕎麦を食べさせられる。それは全て自分が選択した結果のはずだし、良くしてもらっているのは間違いないんだけど、どうにも蕎麦の味がよくわからない。コト消費を、させられている。
だからといって、床に蕎麦投げつけられて「ほら食えよ」と言われたら、それはそれでイヤだ。そういうちょっと変わったプレイが好きな人もいるかもしれないけどな。蕎麦を自分で作るのだって大変だ。そば粉を買ってまで蕎麦を打つのは、そば打ちという趣味だろ。趣味じゃなくてもそば食べたって良いはずだ。
そういう意味で(どういう意味で?)「シンプルだけどちょっといい感じ」なシンプルブログのUIは、とっても好きだ。
シンプルなのは入力画面だけじゃない。
シンプルブログだけでは、誰にどれだけ読まれたかも分からない。SNSへのボタンは付いているが、押された回数も分からない。コメント機能もない。当然はてブコメなんてものもあるはずがない。
シンプルブログでは「LIKE」が出来る。いいねボタンみたいなやつだ。この数は記事の下部にボタンと一緒に表示されるが、押してもなにか反応があるわけではない。特別なメッセージが出ることもない。ただの「LIKE」でしかない。このゆるさよ。
シンプルブログのトップページには新着記事が表示される。人気の記事だとか、注目されているだとか、そういうものは載らない。記事ごとのLIKE数さえ出てこない。
このシンプルさによって、他人の声も数字も、なにも気にせずブログを続けることが出来る。ブログサービス側から自分のブログを商品として扱われることも(今のところは)無いし。それが嬉しい。
オフラインで執筆してひとりで楽しむのと、オンラインでブログに書くのは、違う楽しさがあるよな。やっぱり自分はそれなりに承認欲求があって、それを動力源にブログを書いているところはある。
でも、ブログというものを、記事というものを、拵える。その行為自体が面白いからブログを書くところも、ある。一つの創作活動だ。
承認欲求に支配されると、拵える楽しさを忘れてしまう。だからといって、承認欲求を捨て去るために山奥で一人日記を書いていても、手元に残るのはあくまで日記であって、自分にとっての「ブログ」にはならないんだよな。
シンプルブログでブログを開設して記事を書くというのは……バーチャルな街に家を一軒持つような感覚かもしれない。店でもないし洞穴でもなくて、家。家の窓を開けっ放しにして、風通しのいい場所で日常を生きていくような。そんな感覚だ。
同じような感覚を、昔noteにも感じたんだが……これ以上書くとnoteの悪口になりそうだからやめよう。悪口を書きたくて生きているわけじゃないし。
散々「シンプルブログはいい」ってことを書きまくったけれど、はてブロも良いところは沢山あるし、ふつーに好きだ。運営の方針含めて対象的だと思うなぁ。
これからもシンプルブログは続けるけれど、はてブロをやめるわけじゃない。書きたい方に書けばいい。自分の場所はたくさんあったほうが、気が楽だからね。
ふー書いた書いた。この文章も、熱中してばーっと書けた。そう出来るようになったのは、シンプルブログでリハビリしたからかもしれないな。承認欲求リハビリ。