夏の間はバスに乗る。暑くて歩いてられないから。
日が沈んでから会社を出るので、帰りは大体歩く。だがそれ以外は別だ。2025年よりマシだとしても、暑いものには変わりない。汗をかくのは嫌いじゃないが、汗だくの中でお客様と会うのはちょっとなぁ。
バスは好きではない。来て欲しい時間には殆ど来ないからだ。それはバスの運転手さんや運営会社のせいではないし、バスの前を懸命に走っている自転車のせいでもない。バスというのは時間通りに来ないのだ。遅れてやってくるものだし、なんなら1分ほど早くやってきてしまうものなのだ。だもんで暑い日にしか乗らない。
最寄りのバス停で、暑い中立ち続ける。昔はここに大きな木があって、それが日差しをやんわりと防いでくれていた。今は邪魔になったのか、切り株さえもなくなってしまった。木は人間よりも沢山生きるからすごいと思うのだが、人間はその木を気分と都合でアッサリ死なす。木のことを思い浮かべるので、このバス停を使うとさみしい気持ちになる。
数分遅れでバスがやってきた。席は殆ど埋まっているので座れない。立っている方がラクなので別にいい。バスは酔う。スマホなんか眺めてるとまぁー酔う。会社に着く前に気持ち悪くなってしまうので、立っていたい。自分自身が他の乗客の邪魔になるようなら諦めて座る。
殆ど席は埋まっているが、私の目の前にある二人がけの席、その奥側が空いている。私のそばつまり通路側には、女性のご老人が座っている。バス内はかなり混んでいるが、ご老人は席をつめるつもりは全くなさそうだ。
仕方がないと思う。そのまま何もせず、会社まで乗って行った。ご老人は私が降りる一つ前のバス停で、がんばって降りていった。そう、がんばって。
そのご老人は、おそらくだが、奥に詰めることが出来なかったのだと思う。多分身体の調子が悪く、降りる際に身体をずらし、その上で腰を上げて座席から降りて、という一連の行為が しにくかった のだと予想している。私の目の前に座っていたので、降りる時に思わず声をかけたほうが良いのではと思うような、身体の動かし方であったから。
たかが身体を一席分ずらすだけ、その「だけ」が出来ないことがある。
交通量が多いような道路に、押しボタン式の横断歩道があったとする。ご老人は、家から出て10m先のその横断歩道まで行かずに、車の間隙を縫って、目の前の道路を大急ぎで渡る(そして車にクラクションを鳴らされる)。そんな光景を何度も見かけた。地域性や性格の問題もあるだろうが、その他に 10m先に足を運ぶだけがしんどい という理由もあるのだ。それをどこで知ったんだったかな、確か爺さんから直接聞いたんだったか。
うちの母方のばーちゃんは、ばーちゃんの息子である叔父さんと一緒に暮らしている。ばーちゃんは97歳なのにしっかり歩く。しかし総合病院内を歩いて内科だの整形外科だのに行く時には、車椅子で移動するそうだ。しようと思えば出来るけど、しんどいのだよな。
だからどうしたという話なんだが。私から見たらアッサリ出来そうなことが、他人には出来ないということが、ある。そしてそれを私は気付けないことも、ある。あるのだ。
白杖を持っていたら目が悪いのだな等と、見ただけで分かる場合も多い。しかし、本当は風邪を引いていて階段を登るのも辛い大学生だっていただろうし、一見元気ハツラツだが本当は腹痛で今すぐトイレに篭りたい人だっていた、今日の仕事中の私がそうだ。
私の場合は、お客様の前で放屁ないし脱糞など出来るはずがないし、しかしお客様に「はらいたいっすわー」と言っても何の意味もなく、私が今出来ることはお客様が目の前の書類を読んでもらうフェーズ にたどり着くまで最速で仕事を進めることだ、と、普段の1.1倍の笑顔を振りまいて仕事をしていた。
そういうことって絶対にある。腹痛は仕事が終わったら何故か治ったのでラッキーだったが、老化で身体を動かしにくいとか、ずっと落ち込んでいてうまく物事を考えられないとか、いつもほんの少しだけ嘘をつき続けながら円満な関係を続けているとか、見えてないし障害とは言えないけどしんどさを感じている人って、いるよなぁ。
じゃあ皆辛いかもしれないから、皆に配慮しよう優しくしよう!って話になるのは、私はなんか変だと思う。悪いが、皆には配慮できない。絶対に、ぜっっっったいに、その手からこぼれ落ちる、いや違うな、配慮するためにわざと、こぼし落とすものがある。バス停の木のように。
それでも出来る限り優しくしたいなぁと思う。もうすぐ秋が来てくれる。バスを待つのはもうイヤだ。

