wander around holding a soft oval

日記を書いてます。人からはエッセイだとも言われます。違いがわからない。

1月だから新しいことするぞ

1月に入ってからいろいろ変えていることがあるので、今日はそれを書く。

LINE→ディスコード

友人、仕事、荷物の受取。スマホでの連絡の殆どをLINEで行っていた。特に使用するのが友人との連絡なのだが、LINEを見るのがいろいろしんどくなってきた。

そのことを友人に相談すると、インスタはどうだろうかと勧められた。インスタでも通話もメッセージの送受信が出来るそうだ。友人は中高生と触れ合う仕事をしているが、親子や子ども同士でインスタでやり取りをすることも多いそうだ。

早速やってみると、確かに問題なく使うことが出来る。これは良い。きせかえも可愛いしGIFもおもろい。オイラは友人との連絡をインスタで取り合うことにした…のが去年の10月くらいの話。

それから年が明けて1月になった。あけましておめでとう。インスタでのやり取りは良いんだが、いくつか困ったことが出てきた。その中の一つが「インスタ見ちゃう問題」だ。インスタは面白い。無限にイラストと動画が出てくるので、自分の時間がどんどん無くなる。せっかく図書館で本を借りてきたのに、ほとんど読めずに返すことになったりもしていた。

これでは困るのでインスタもやめなければ。友人に相談すると、今度はディスコードを勧められた。ディスコードか……あれって何人かで集まってお喋りするのに使うんじゃないのか?ボイチャして野良プレイヤーをボコボコにするのに必要なのでは?

と思っていたんだが、実際使ってみると確かに便利だった。よく考えるとSkypeとあまり変わらないんだな。音声でのやり取りの品質も問題ないし、専用のスタンプも送れるし、GIFもおもろい。すっかり気に入って、今はこれを使っている。

ディスコの何が良いって、余計なことにあまり気を取られないところだな。インスタはビーバーの可愛い動画やかわいい画像を追いかけてしまって気が散るが、これはまだマシだ。LINEは開くとすぐ金を貸そうとしてくるし、結婚を促してくる。ニュースの欄にバッヂが付いてるが無視する……が何度も見ていると気になるので開いてみると、芸能ニュースばかりが飛び込んでくる。

オイラは胆力が無いので、このやり方には参ってしまった。気は散るし、見たくないものを追いかける羽目になって精神衛生上よくない。だもんでLINEではないものを使いたいなーと探していたのだった。

友人に聞くと、どうやらバイト先の大学生らはLINEではなくディスコで連絡を取り合っているとのこと。友人はいろんなところから情報を仕入れてくれるな…ありがたい限りだ。LINEはkeepメモも気に入っていてよく使っているんだが、ディスコの一人サーバー?に「KEEP」という名を付けて、keepメモ代わりに使っている。

相変わらず仕事などではLINEを使い続けている。オイラに決定権はないので。しかし、LINEを使う回数はだいぶ減った。それだけで非常に快適に過ごせている。広告もバッジも、何度も見ることで気になってくるものだから、その回数が減るだけでずいぶん違うのかもしれない。

ディスコのお気に入りスタンプの鳥。アイスクリームみたいだ。

X→Blueskyなど

Blueskyを始めた話は、年末にあっちのブログでも書いた。Xがクソでブルスカが最高だ、とはオイラはあんまり思ってない。ただ今後の自分の活動のことや、Xの動向のことを考えると、あまりXにはいられないな~と思っている。

それから年が明けて1月になった。あけましておめでとう。何かをやめるにはいいタイミングだと思って、Xで「このTwitterのアカウントは、春頃までに停止し削除する予定です🐘」と投稿した。

そんなん宣言せんでもすぐ止めたら良いのに…とはオイラも思う。ただXでのこのアカウントでは、自分の活動の告知・宣伝も行っており、それを求めてオイラをフォローしている人も存在するのだ。それをプツッと切るのは申し訳ない。オイラとしても縁が切れるのは寂しいし。

投稿した後、何人かの人はブルスカのオイラをフォローしてくれた。ありがたい。しかし殆どは無反応である。正直に言うと、その方がありがたい。

一回フォローするとリフォローだのリムーブだのを ”考えるのが” 面倒だと、オイラは思うし、きっと一部のフォロワーも――オイラの動画をかつては追いかけていたが今は興味がなくなりでもリムーブすんのもなんかアレだしと思っている人――も、そう感じているのではないかと。そういうグズついた関係を一回さっぱりさせるのにも丁度良いかと。

ただ問題なのは、未だにXには沢山の公式アカウントがあることだ。うーんと考えていたんだが、①ブルスカの方で代替アカウントをフォローする ②公式サイトのRSSを取得する ことである程度解決できた。

①はシンプルだ。例えばオイラはゲームの情報を少しは追いかけたい。しかしオイラ自身がすごく偏屈で心の狭い人間なので、気に入ったサイト・好きなサイトの投稿だけで必要な情報を賄いたい。検索するとそういった公式アカウントはいくつかあったので、それをフォローすることにした。

②は、Xで発信しているアカウントの公式サイトを調べ、RSSリーダーで情報を得るというもの。SNSが無かった頃はこうだったよな…と思いながら調べた。上の方でLINEの話をしたな。LINEのニュースはゴシップなどを山程押し付けてくるが、その山の中に、見ておいたほうが良い必要な記事もあったりする。それが見られなくなるのはあまり良いことではない。だもんでついでに、ニュースサイトのRSSも取得しておいた。

これで困ることはそんなになくなった……と思うが、本当の困難というのは手放してから初めて分かるものだよな、とも思う。春を迎えるまではXのアカウントを残しておくが、さてどうなるのか。こういうの他の人はどうしてるんだろな。

オイラのブルスカ。宣言したら5人くらい増えた。今後ともよろしく。

◯◯→走る

年が明けて1月になった。あけましておめでとう。年末年始をゴロゴロダラダラしてたんだが、Youtubeこういう動画を見つけ、へーっと眺めていた。

この動画の言うことには、別に20分走らなくてもいいし、辛い状態に自分を追い込む必要はないと。知らなかった。それならオイラでも出来るんじゃないかと思い、やってみることにした。

走るにあたって、オイラはいろんな面倒くさい縛りを捨てるようにルールを設けた。服はそのまま、靴は家にあるもの、疲れるまで走る、好きな時に好きなだけ。

例えば走った最初の日は、自宅にいた時の格好…だから長袖とジーパンだった。外に出るのでユニクロのダウンを羽織り、ムーンスターのよく履くスニーカーに足を突っ込み、ニット帽を被って出発。まずは5分くらい大股で歩く。次に腿をぐいっとあげて行進のように歩く。で、ゆーっくり走り始めた。走って5分、尻が疲れてぜぇはぁしてきたので終了。距離を測ると約350m走った。すごい。そのまま徒歩で家に帰った。

ウェアもランニングシューズも無し。専用の道具を買っても買わなくても飽きることは何年も自分をやってきているので痛いほど分かっているし、たった350m走るなら専用のものが無くて良いだろう。オイラは股関節が痛くなりがちなので、そのストレッチを入念にした。走るのは本当にゆっくりで、何人ものランナーさんに抜かれていった。

でも気にしない。というか、本当に自分はすごいと思う。だって去年の走行距離は0mだ。それが今年はすでに350m。350倍だ(?)。運動ができるかもしれないと思ってしてみるチャレンジ精神もナイスだし、何よりたった350m走っただけで尻は疲れて心肺はよく働く。これほどの運動でオイラの身体には影響が出ているということだ。影響が出るほど走った、ということだろ?すごいじゃないか。

走れたことに気を良くしたので、好きなタイミングで走ることにした。時間を作ろうとするとめんどいので。ある時はホームセンターに行く途中。好きな格好で走ることにしたので、何の準備もしない。またある時は通勤途中。仕事カバンを背負ってネクタイをして走った。スピードがすごく遅いので、カバンの中身が揺れないし、汗も殆どかかない。

今日で4日目なんだが、すでに走行距離は1000mを越えた。去年の1000倍だ(?)。

もちろんこんなペースで走っても、例えばフルマラソン完走なんてのは目指せないだろうし、ダイエットもできないだろう。でも良いんだ。だってそういう目標はないから。オイラは今、走るのが楽しい。たった数百メートルでも走ると、楽しいんだよな。

終わりに→?

他にも自分の活動のことで新しく始めていることがあるんだが、今回はここまで。

それぞれ新しいことも、それを始めたキッカケもぜんぜん違う。ただ共通しているのが、どれにもそこまで思い入れがないことだ。例えば素敵な俳優さんを知ってハマって…みたいな熱量がない。そういうのって多分物事を成すための最初の燃料として最も大切なものだと思う。

だから、オイラが新しく始めたことは、たぶん2月には全部飽きてやめてるかもしれない。ディスコだって来年度から広告バンバン出るようになるかもしれないし、ブルスカだって分からない。走るのなんて一番危ない、明日にはやめてそうだなとオイラが一番思っている。

でもそれはそれでいい。気に入らなくなったらやめるといい。仕事でもなく推し活みたいなのでもない、日々の生活の一部みたいなもの、気軽にバンバンやめたらいいと、オイラはオイラに思っている。そしてまた別の楽しいことを始めるといい。新しいシャンプーに変えてみて、でもやっぱ前のやつに戻すくらいのゆるいテンションで、のんびり色々やってみよう。

 

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ふだんはニコニコやYoutubeで動画投稿しています。興味があればプロフィールから覗いて下さい。趣味のことはこっちでも書いてます。

うんたった、うん。

数ヶ月ほど前から「うんたったラジオ」を聴いている。あるPodcast番組を視聴していて、なんとなくイヤだなー別の番組が聴きたいなと思った時に、Spotifyくんからオススメされたのがキッカケだ。

誰がやっているのかは知らないまま聴いている。会話から、作家さんとその子供(成人)の2人が語り手であることは分かっている。日常的な話が多い。生活の中で、仕事の中であったことと感じたことを語る。最新回では餅付き機を動かしながらの収録で、ゴンゴンゴという小さな騒音と、ゆるやかなBGMをバックに、年末年始のことを話していた。

オイラがこの番組が好きだ。語り口がゆるやかであり、鋭い言葉で人を惹きつけようとしていないように聞こえる。そして、ちゃんとしていない。まとまりがない。仕事っぽくない、でもいいか。

身内だけで好き勝手に話す、というのとは少し違うかもしれない。親子2人の会話なんだが、聴いてる人間にも自分の話したいことを伝えようとしているのが分かるから。でも2人の対談を聴いてるのでもない。トークテーマも無いようで有る。ゆるい、とも違う。本人なりにきっちりやろうとしている、というのかな。それが良い。

親子のうち、娘さんのほうがしっかりしている。番組の進行を促したり、母親の語りに耳を傾けつつ、会話を広げようとしている。正直言ってちょっとこなれすぎている様な気もするが、まぁそれは器用な人なんだろうなと思いながら聴いている。どちらかというと母親の一生懸命さが好きだ。

 

今日お風呂に入る前にも、この番組を聴いていた。先程書いた正月の回。いいなーいろんなこと考えながら生きてるんだなー素敵だなーと思いながら、聴いていたんだ。今後の方針や新年の番組としての抱負を語り始めたときに、オイラはその語りを聞いて固まってしまった。

「◯◯のね、ポッドキャストの方もがんばっていかないとだねー」と、母親のほうが言った。

え。◯◯って、あの、番組?オイラが「なんとなくイヤだな」って思ってた、あの番組のこと?なにかの間違いかと思って音声を戻して聴き直した。言ってる。◯◯って。え。

急いで◯◯の方も聴いてみた。あっ!同じだ!◯◯に出ているこの女性と、うんたったラジオの娘さんの声が同じだ!!そうか!同じ人が複数のポッドキャストに出ていたんだ!!今気付いた!!

 

番組Aと呼ばせてもらおうか。「うんたったラジオ」を知るまで、オイラは番組Aを聴いていた。ゆるく発信していくと番組説明文には書いてある。仕事に行くときや買い物の帰り道に楽しんでいた。でも段々嫌になって、視聴を止めてしまった。

それは ”語り口がゆるやかであり、鋭い言葉で人を惹きつけようとしていないように聞こえる。そして、ちゃんとしていない” という、つまりオイラの好みとは少しずつズレ続けているように感じていたからだ。

番組Aに登場している娘さんは、別の名前を名乗って活動していた。別に素性を隠しているわけではなかったのだと思う。たまたま別の名前で活動しただけだ。うんたったラジオは2年ほどやっているそうなので、番組Aの方を後から始めているようだった。

番組Aは、初回から割とちゃんとしていたと思う。録音環境も、番組の大きなテーマも、毎回違うトークテーマも、その広げ方や伝え方も、何もかもが整っているように聞こえていたが、回を重ねるごとにより洗練されていった。

番組Aには娘さんを含めて3人の人物が語り手として登場する(母親は登場しない)んだが、3人とも同じようなことを話すわけでもなく、ケンカしない程度に意見にばらつきがあり、その結果話題が広がる。そしてキレイに整えて終わる。ガツガツもしておらず、根っこの部分からはブレない。

オイラはそれが嫌であった。聴けば聴くほどに嫌になっていった。素人3人が集まって日常の話をするっていうのに、なんでそこまでキチンと話せるのか、どうして興味を引くようなことが言えるのか。どうしてそこまでキレイに風呂敷をたたむことが出来るのか、いや、出来てしまうのかと。

リスナーからのお便りも毎回頂くほどには、他の誰かも番組を評価していた。番組内でもメッセージを紹介して話題に触れつつ、3人自らの話題も持ってきてしっかりトークしていた。

「計算し尽くされたゆるさ」か。実際計算し尽くされているかは分からない。ちゃんとした大人が普通に話すとこうなるのかもしれないね。

それでもかわいげと呼べば良いのか、粗と言うのか、それがない。そう思って聴くのをやめた。やめてしばらく経ってから、Spotifyくんが勧めてきたのが「うんたったラジオ」である。はぁーだから勧められたのか、同じ人間が出ているから!と、今日ようやく理解した。

お風呂に入りながら、そのことばかり考えていた。オイラはすでに、うんたったラジオの方も嫌になりつつある。どうしてだよ~。

番組Aとうんたったラジオは関係ないし、番組Aに出ている人たちに非は一切ないのに。うんたったラジオは好きな要素ばかりなのに。こんなどうしようもない、自分勝手で、下らないことでオイラはしょぼくれてしまった。

 

 

突然だが、料理家のきじまりゅうたさんのYoutubeチャンネル「きじまごはん 【料理家きじまりゅうた公式チャンネル】」をご存知だろうか。オイラはアレをチャンネル登録していた。しかし今はやめてしまった。

チャンネル内の動画がどんどん洗練されていって、なんの淀みもなくなったように感じたからだ。祖母のコスプレをしたり、旅行にも行ったり、袋の結び方だけの動画も作ってたんだよな。今はもう全然だ。その代わり動画の最初に「貴方の心に刺さりますように」と言うようになった。

より地位と名誉を得るためにそうなったのかもしれないし、オイラの気のせいかも。でももし本当にそうなら、それは別に普通のことなので責めたりはしない。ただただオイラの好みとは違うというだけで。

配信される番組に限らず、世の中に有るほどんどのものはちゃんとしてるし洗練されているんだよ。オイラはそれら全てが嫌いなわけではない。そんなわけ、あるはずがないだろうよ。そうだとしたら生きていけないよ。でもさ~。

自分たちの持つ面白さが分かっている時よりも、分からないなりに戸惑いながら不確かな未来を探してるときのほうが、見てる時は楽しいものなのかも知れない。

今年も孤独のグルメは年末に放送したようだし、映画もやっていた。オイラはもう追いかけるのをやめてしまったが、その理由と今回のラジオの件は似ているところがある。

 

こういう気持ちって差別とか偏見かもしれないな。プロにはプロっぽく、素人には素人っぽくいて欲しいっていうオイラの気持ちって「これはこうあるべきだ」っていう固定観念に自分や他人を縛り付けようとする行為だとも思う。だから、このことをブログに書くのをためらっていたんだよ。

このことを友人に相談したら「それが読みたいと思う人もいるかもしれないし、書かないと済まないこともあるから」と言ってもらえた。その通りだと思ったので、書いてみた。

なにか自分の気持ちが昇華されたり、より煮詰まったり、分からないことが分かるようになればいいなと思ったし。書いてみたら、昔からオイラはそういうことを他人にも、そしてオイラ自身にも求めながら生きているんだな、ということに気付いた。

まったく関係ない、昨日食べた甘夏の画像を見てお別れです。さようなら。



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干支の絵本

巳年。テレビ台の上を眺める。蛇に関係ある置物は…我が家にはないな。ゾウも鼻が長いけど、それじゃダメか。どうして蛇が十二支に入ったんだろうなと気になって検索してみる。なるほどね。

時々こうやって、干支について考えることがある。その度に、自分が昔読んだ十二支の絵本のことを思い出す。

 

オイラが小学1年生のころ、同じ登校班のメンバーに小5の友達がいて、昼休みも帰り道でも彼とよく遊んでいた。しかしオイラが3年生になると彼は中学生に。帰宅時間も趣味趣向も変わり、オイラと全然遊んでくれなくなった。

そして気がつくと、オイラと遊んでくれる人が一人もいなくなっていた。うっかり、同学年の友だちを作っていなかったのだ。

母は最初「あそこんちは家が汚いから遊びに行って欲しくなかった、遊ばなくなって良かったよ」というようなことを言っていた。実際彼の家に遊びに行くと、靴下が真っ黒になるのだ。それを洗うのは大変だっただろうな。

 

小学校低学年の時点で話せる人、いわゆる知り合いや顔見知りは沢山できたが、友達と呼べるような存在はいなかったように思う。3年生からでも学校の知り合いともっと仲良くなり、友達になれれば良かったんだが…

「山を1つばかり越えないと同学年の知り合いに会いに行けない」「教育上の理由で流行りのおもちゃやゲームが手に入らない」「オイラ自身が外で遊んだりするのが苦手」などの理由で、キッカケはあまり生まれなかった。

超弩級の田舎に住んでいるのに自然が苦手なのは中々にハードだな、と子供ながらに思っていたし、自分ってダメだなぁとも思っていた。見かねた母が、時々バドミントンをして遊んでくれたのも覚えている。

学校の休み時間に何をしようか、それが決まらない。一人で校庭の隅っこをブラブラしたり、百葉箱を眺めたり、学校の中を一周したり、その場でぐるぐる回転したりしてたな。

 

図書室にも行った。オイラの記憶の中では、町役場に併設されている図書室よりもずっと広くてキレイで、その空間が好きだった。だが本を読むのが苦手で、ただ図書室に、いた。大きな大きな机に突っ伏し頬を当てて、家具の冷たさを感じていたし、本棚の木目を指でなぞってもいた。一人でいるので喋ることはなく、ただ静かに。

本にずっと囲まれていたら、否が応でも興味は持つ。自分でも読める本は無いかと、気になるものを片っ端から眺めた。殆どのものはすぐに飽きたが、漫画の多い伝記やことわざの本などと、十二支の絵本だけは気に入った。特に十二支。あの話は、古くから伝わる「競争物」だ。それぞれがそれぞれのペースでレースをし、展開も緩急ついていて、オチもあって、とても面白い。少年誌で連載している作品なら1度はやるぞ、競争回。それのご先祖様のひとつだもんな。

オイラはその絵本が気に入ったので、カードを作って借りた。たしかバーコードを読み込んで借りたんだったかな。あれが初めての「バーコード読み」の経験だ。ちょっとワクワクした。家に持って帰って、読んだ。何回か読んで、飽きた。

それならすぐに返却すればいいのに、オイラはしなかった。その本がとても大切だから、ではない。忘れっぽかったし面倒だったからだ。返すまでに、たしか4年かかった。そう、卒業する直前までずっっっっっっっっっっっっっっっっと借りていた。

借りていることに罪悪感も覚えず(忘れているので)、何食わぬ顔で図書室に通っていた。図書室の先生(と呼んでいたが多分司書さん)からも「まるくん、干支の本返して欲しいな?」と何度も催促された気がする。その時は あ、そうか。返さないとな。とは思う。思いはする。が、家に帰ると忘れている。それを4年生の終わりまで繰り返した。確か親からも「アンタ本返してきな!カバン入れておくから!」と怒られた気がする。その日はカバンに絵本を入れて登校し、入れたまま家に帰ってきた。途中何度も無くしたりもした。

 

4年生か5年生になると、どういうキッカケかは忘れたが友だちが出来た。もう図書室に行くこともなくなった…のだが、その友だちは転校したので、また一人になってしまった。だもんでまた図書室に行く。すると久々に会う図書室の先生に、干支の本を催促された。

あっ。そうだった。   どうしよう。

本を1年以上も借りっぱなしにするというのは、誰がどう考えても失礼で迷惑な話だ。だがその時のオイラは、”失礼で迷惑な話”以上に、とてつもなく悪いことをしてしまったと、大きな罪悪感に包まれるようになった。大人にとっての一年間より、子どもの一年間の方が、長く感じるだろ。その長い間本を返さなかったのだから。

その事実を突きつけられ(自分のせい)、オイラは図書室に通いづらくなった(自分のせい)。そこで返せばよかったのに、結局怒られるのが怖くて(自分のせい)、返せなかった。干支の本は、自分のランドセルを入れる教室の棚の隅に、ずっと寝かせていた。担任の先生に見られると怒られるような気がしたので、カバンはいつも速やかに棚に閉まっていた。

それからまた学年が上がると、今までの生活から大きく変わり、友だちが沢山できていった。キッカケも理由も分からない。もしかしたら転校していった友だちの友だちから繋がって仲良くなっていったのか、それとも時間とともに性格が変わっていったのか。

昼休みには毎日ドッジボールをして遊んだ。帰りも友だちと帰った。もう図書室には行かなかった。でも時々特別教室に行く、その度に図書室の前を通るのが、苦手であった(自分のせい)。本のことは忘れておらず、ずっとずっと覚えていた。当たり前だ、ランドセルをしまう時に、絵本の干支と目が合うのだから。

 

6年生の…冬か春。学校に通うのもあと何週間か何日というその日。教室を大掃除することになった。自分が使った机の中も、下駄箱も、そしてランドセルを入れる棚の中も掃除して、空っぽにして先生に見せなければいけない。ヨレヨレの計算ドリルの表紙やプリントをどんどんゴミとして捨てていくと、出てきた。知っていた。

確か最初は、その本ごとゴミに捨てようとしたんだったかな。はぁーなんて愚かなんだろう。でもそれはアッサリとバレて、掃除を中断し一人で返しに行かされたんだ。

図書室には当然のごとく先生がいた。オイラは手に持っているものを背中で隠しながら入り、先生の死角に入るようにカウンターを通った。あとはバーコードをぴっとするだけだ。

が、しなかった。先生が見てないタイミングで、さっと本棚に戻した。たしか分厚い百科事典が並ぶ棚だったと思う。焦茶色の背表紙が並ぶ棚に、真っ赤で薄い背表紙の本が、1冊だけ並んだ。逃げるように図書室を出た。そこから掃除に戻った。それから一度も図書室の先生に会わないようにした。

多分きっと、あの棚の異変はすぐに先生に気付かれ、返却の手続きを済ませられた絵本は元の棚に収まったはずだ。そうであって欲しい。

 

「絵本が戻ってきたんだから大した事件じゃない」「何年も借り続けるなんてどうしようもない愚か者だ」「友だちを作らなかったことによる人格形成の不具合か」「反省してないからこうやってブログに書くんだろう」「誰も覚えてないよそんなこと」などなど、いろんな自分がいろんなことを考える。

正直言って、やかましい。が、全部その通りかもしれない。

こういう記憶とは、どうやったら折り合いがつくんだろうなー。折り合いをつけたいとも思っているし、つかなくても良いのではないかとも思う。何か変わればいいなと思ってブログに書いてみたが、やっぱりダメだ。自分の気持ちをどう書いても、フォローすることなんて出来ないものだな。フォローすることが新たな罪になりそうな気もするんだよ。

少年の日の思い出では、主人公エーミールは贖罪のために2度と虫の標本を集めなかったそうだ。ならばせめて今オイラができることは、本を集めないことなんだろうか。そうは言っても、三が日に本を買ってしまったけど。すごく良い本だよ。今年もなるべく沢山本を読むから、許してくれないだろうか、干支の絵本よ。

写真 鴨とネギの蕎麦

年越しそばは鴨スモークとネギのでした。今年もよろしく。



買って良かったもの(他人に)

今年は「買ってよかったもの」を書く気になれないなーと思っていた。買って良かったもの、あるにはあるけども。サンポールを初めて使ったら入居開始時からあった便器の脇の謎のシミが取れて嬉しかったとか、手袋が暖かいとか、このゲームがこのノートがとかね。でもこういうことを詳しく書きたくない。

オイラは割と貧乏な方だと思うんだが、オイラより貧乏してる人は日本中に結構たくさんいるのも知っている。年末年始にどう過ごせば良いんだろう…と苦心してるヤツがいる中で「買いました」って報告位はまだ出来るけど「これを手に入れたら生活が良くなりましたわ~」ってブログを書くのは、どうも出来る気がしない。

でも自粛ムードを漂わせたくもない。買ってもらえてよかったと思うお店の人だって、沢山いるじゃんね。それに、自分で働いて得たお金を好きに使って何が悪いんだ!とも思うんだ。世界中にいる飢餓に苦しむ人間に心を痛めて飯が喉を通らなくなる…っていうような人間でもないし。その事実を知りながら飯はモリモリ食うぞ。

それでも、それはそれ、これはこれ。なんだかなぁ。気にしぃなのかな。わからん。

オイラが、買ってよかったものを書く動機ってなんだろう。他人に勧めたくって書くこともあるだろうし、自慢したくって書くこともあるかもな。あとは1年の振り返りのつもりで書くこともあるか。

これらの気持ちが今の自分には無いのかもな。勧めても合わない人には合わないし、自慢したところで心がスッキリするわけでもないし。物によって生活は良くなるのだろうけど、なんというか、物を得られなければ生活が良くならないわけでもないし。「◯◯が無い生活には戻れない」って言葉があるけれど、その置いてかれた世界の側に住んでいるオイラからすると、戻れないことは幸せなのだろうかとも思うしさ。うーむ我ながらめんどくさいこと書いてるな。嫌な感じだ。

それでも1つだけ、今年買ってよかったと思えたことは、ある。買ってよかったと人に伝えられることはある。本だ。本を3冊、他人に買った。

 

 

booksanta.charity-santa.com

SNSのフォロワーが、ブックサンタで本を買ったよーと投稿していた。なんぞそれ?と気になって調べたんだが、どうやら匿名で知らない子供に本を贈ることが出来るらしい。よく分からないけど面白そうである、やろう。と思って、加盟している書店へ向かった。

隣町の書店に着く。本当にここが加盟書店なのか知っておきたい。しかしどう聞けば良いのか分からない。レジカウンターへ向かい、店員さんに「すみません、ブックサンタをしたいのですが」と聞いた。メガネの店員さんは驚く様子もなく、淡々とブックサンタについて説明してくれた。本の種類でNGなものはあるかなど、幾つか質問をした。

どうやら本当に、この世界にはブックサンタという取り組みがあるようだ。安心して子供向けの本コーナーに向かえた。棚の脇で座り込んで読書する子供や、母親の裾を引きちぎらんとする子供たちの邪魔をしないように、こそこそと本を眺めた。

最初は役に立つ本を選ぼうとしたが、やめた。自分が面白そうだと思った本のほうが、オイラは選びやすい。特に子供たちに何か、知識とか、本に込められたメッセージとかを受け取ってほしいわけでもない。そういうのは読んだ各々が勝手に解釈して受け取れば良いだろうから。

”ちょっとだけまいご・岸辺のヤービ・バッタマンション” の3冊を選んだ。選んだ理由は「面白そうだから」だ。自分で欲しいくらいだ。棚がいっぱいだし物をたくさん持つのは好きではないので、自分には買わないが。でもとても欲しい。欲しいものを他人に贈ることにした。

レジで会計をすると、小さなステッカーと冊子をもらった。冊子の中には子供たちのメッセージなどが書かれていた。なんとなく嬉しい。オイラが買った本をもらって、がっかりしなければ良いのだけど。

選んでいたら時間がずいぶん過ぎていることに気がついた。時計を見ると、後で行こうと思っていた店のランチ営業が終わっていた。仕方がないのでスーパーでひき肉を買って家に帰り、焼きそばといっしょに炒めて食べた。

 

オイラがブックサンタをやろうと思ったのは、子どもたちに本を贈りたいという、慈愛や慈悲の心からではない。面白そうだからだ。人に本を選んで贈ることが出来るのって、なんか面白そうじゃないか?オイラはそう思った。だからやってみた。やってみて良かったなと思えた。

まず、物を買ったのに自分の棚が埋まらない点、これが良い。オイラは本が結構好きだ。けれど沢山は持っていない。それは、本の管理が面倒だから。だからもっぱら本は借りて読んでいる。ありがたく図書館を使わせてもらっている。買った本も、9割は図書館に寄贈したり人にあげたりする。

でもそれらの行動は、本を持っていたくないからであって、本を買うという行為は好きなんだ。ゲームは好きだがレアアイテムを所有する欲がないとか、オイラはそういうところがある。好きなものを買うという体験が好きなんだろうな。その体験をさせてもらえるなんて、ブックサンタよ、良いじゃないか。

 

もう一つは、本を選ぶ時の視界の広がりが変わった点だ。これが良かった。

今回オイラは「面白そうだから」という理由で本を選んでいるが、その一方で「こういう本を喜んでくれる・面白がってくれる人もいるんじゃないか」とも考えながら、棚を眺めた。こういう考えは今まで無かった。

オイラはすごーく偏屈で臆病で根暗な人間だ。そういう自分は、書店の棚をあまりまじまじと見ないように心がけている。本のタイトルや帯や側にあるポップが怖く感じることがあるし、責められているように感じることもあるからね。情報が多いのも苦手だ。そういうものばかり眺めていると、ブルーな気持ちになったり、ムカムカしてくるし、ソワソワもしてくる。あまり気持ちが良くないまま書店を後にすることが多いから、なるべくたくさんの棚を見ないようにしている。

今回の取り組みの中でオイラは、児童書の棚だけでなく、一般の本の棚も、話題書籍の棚も眺めた。それでもぜんぜん嫌な気持ちにならなかったのは、他人のことを考えていたことで気持ちが分散されたからなのか、それとも他人のポジティブな感情を想像したからなのか、よく分からない。

分からないけれども、オイラはあの日、色んな棚を眺めることが出来た。すごく視界が広かった。そして「こういう本を好きな人もいるかも」という気持ちが、少しだけ「こういう本を好きなオイラもいるかも」という方向に偏ったような気がする。この感覚は明日になったら戻っているかもしれない。それでもブックサンタよ、良いじゃないか。

 

 

今回オイラは本を買った、これが今年唯一、人前で晒せる「買って良かったもの」だ。ブックサンタを勧めたい気持ちは別に無い。他人に奉仕したければ他の方法はいくらでもあるし。体験に金を使ったわけでもないので自慢することも特に無い。ほんの棚を眺められるようになるなんてこと、金を払って得る体験としてズレているような気がするもん。すでに手書きの日記にこの日のことは書いたので、自分の気持の整理をつけるためにこの記事を書いたわけでもない。

じゃあなんで書いたのか。結局のところ、書きたかったから書いた、としか言いようがないのかもしれないな。衝動的に、書きたいから書く。ブログの本質のようでもあるが、よく分からない。

自分の気持ちもよく分からないままに今回のブログは終わろうと思う。来年もブックサンタ、出来ると良いな。

書店でもらったステッカー。本を買って得た物。

今週のお題「買ってよかった2024」

穴蔵から覗いています

結局mixi2を始めた。どうもコミュニティという機能があり、そのコミュの中でやりとりが出来る、少し閉じられたSNSということだった。

オイラはゲームが好きなので、そういうコミュニティに入れば楽しいこともあるかもしれないなーとも思う。しかしネタバレをできる限り避けたいからそのコミュには入れんし、ほかに趣味と言えるもの…はそこそこあるけど、どれも浅いからあんまり人と話すことはない。そもそもファンコミュニティに属して仲良くおしゃべり出来るような人間でもないし、自分の趣味についての情報を得ようともしない。

ひとり穴蔵で生活しているようなオイラには、共通の趣味で楽しくおしゃべりするようなことは出来ないな……と思って、入るつもりはなかった。

が、知人から招待が届いたので、結局始めたのであった。信念というものはオイラには無い。

 

最初にコミュを探す。料理はそこそこするので「自炊」で調べたが、なんだか映えている料理の写真を投稿するコミュが多く、オイラが好きそうな環境ではなかったので諦める。さてどうしよう……と考えて、「児童書」で検索。あった。

コミュは数個あり、その中でピンと来たものに入る。参加者はオイラ含めて2人。コミュの作成者は作家さんのようだった。挨拶代わりに「岸辺のヤーピと、こそあどの森シリーズが好きです」と投稿した。それをキッカケにして何度かリプを飛ばしあった。

作成者さんは作家同士のつながりも持ちたいということ、いずれはイベントもしたいと仰っていた。オイラは作家じゃないのに良いのだろうか…という気持ちと、イベントってなんだろう…人と集まるのかな、いやだな…という気持ちになった。

mixi2に登録したのが昨日のことで、そこから1日経ったらコミュの人数が少し増えていた。ちょっとホッとした。

オイラはマストドンというSNSのいちサーバーにも属しているが、そこでは児童書の話、というか自分が読んだ本の話は全然しない。難しい本なんて読まないし、流行りの本も読んでない。だから気後れしてしまう。しかしmixi2の児童書コミュについては、もともと大人が好きな児童書について語る場なので、何も気にすることはないのであった。

 

マストドンをしていると、mixi2について語る人をちらほら見かけた。

ある人は、mixi2が気に入らないということを書き散らしていた。しかしこの人はマストドンが好きすぎるので、ブルスカやTwitterやタイッツー、ありとあらゆるサービスとそれを利用する人へのヘイトを、事あるごとに書いているのを知っている。それをそのサービスの中ではなく、必ずマストドンで書いている。殴られない、安全な場所だと思えているからなんだろうな。

またある人は「mixi2が出たから、もうマスドンは~」等と投稿していた。マストドンのことをマスドンって略してる。その方の投稿を遡ってみると、単なる打ち間違いではなく本当にマスドンと省略しているようだった。マスドン。ト抜き言葉。イントネーションはどうなんだろう。マクドと同じ様なイントネーションか。今日はそのことばかり考えて過ごしていた。

そしてある人は、mixi2の面白さも、今所属しているマストドンの面白さも味わっていた。爽快だ。オイラもこうありたいと、実はそう思ってmixi2を始めた。新しいものを楽しめる人に、オイラは憧れがある。そうありたいと思っていたので、知人から招待が来た時は正直嬉しかった。

多分来月くらいには飽きていると思うけど。でもやらないと飽きることも出来ないから。

現時点でmixi2を始めて良かったなと言えることは、コミュを検索する際に「自分ってどんなことが好きなんだろう…」と、自分へ思いを巡らせることが出来たことだ。自分が気付いていない自分の好きなもの、ときめくもの。ぼんやりとしている自分をじっと見つめると、うっすらとそれらの輪郭が見えてくる。

それらはモノではなく概念だったりすることもあって、コミュを検索する時には役に立たないのだけれども、あぁオイラはこういうものも好きなんだなと。好きなものを知ることが出来て、嬉しかった。

 

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ふだんはニコニコやYoutubeで動画投稿しています。興味があればプロフィールから覗いて下さい。趣味のことはこっちでも書いてます。

くよくよ銀行そわそわ支店

12月12日は漢字の日だ。そしてオイラの銀行口座に12万3725円が戻ってきた日でもある。この日は記念日にしたい。あわてんぼうの日として。

 

11月29日

スマホにSMS。普段は面倒くさいので、誰からの連絡も無視しているが、ちょうど信号待ちのタイミングで通知が来たので、パッと開いた。

”【三井住友カードからの大切なお知らせ】ご利用代金のお支払いに関するご案内です。詳細は[URL]でご確認ください。”

おっ詐欺か?でも詐欺ならもう少し煽るような文面だし、URLも普段から見なれたやつだ。けれど間違いがあってはいけない。信号を渡って、洋菓子屋の脇道に入って立ち止まる。貼られているリンクではなく、スマホのブックマークから公式サイトに向かい、マイページでお知らせを確認した。

11月25日に行われるはずのクレジットカードの引き落しが、うまくいかなかったらしい。オイラが使っているクレカ用の銀行口座には約12万円を入れておいたんだが、数十円ほど足りなかったようだった。確かに今月は上着を買ったり旅行にも行ったしで、かなり金を使ってしまったから…普段の額の2倍も請求されてしまった。入れておいたお金では足りなかったのだ。

クレカの会社には悪いことをしたなと思ったが、ページ下部の方に「滞納した請求金を支払うには」と書かれたリンクを見つけた。そこを読むと、翌月の12月5日になったら再び引き落としを行うということ。その他に、カード会社が指定した口座に直接請求金額を振り込むことも出来ると書かれていた。

12月5日まで待っていれば、再び引き落とされるわけだ。だったら何もせず待っていてもいい。だがオイラはそこで余計な気を回してしまった。そう、指定の口座に直接振り込むことにしたのだ。滞納というのは気持ちの良いもんじゃないし、カード会社とオイラのお互いの関係性を良い状態に保っておきたかったし。

タイミングの良いことに、洋菓子屋の向かいにはオイラの給料が振り込まれる方の銀行Aの支店があった。サイトのページに書かれた口座へちゃっちゃと払込み、すぐに銀行を出た。雲一つ無い、よく晴れた日だったのを覚えている。

 

12月8日

暇で暇で、開いたSNSのページを閉じてはまた開いてをしていた。気まぐれで、ブックマークしていた銀行Bのマイページを開いたら、最近の明細が出てきた。12月5日に12万3725円の引き落とし。あーこれクレカの支払いな、はいはえっ?

おかしい。オイラは29日にカード会社に直接振り込んでいる。しかし5日にも引き落としがされている。これ、ひょっとしてオイラが振り込んでないことになっている?

その時ブアッと、自分がやらかしたことに気がついた。29日に振り込んだのは間違いない、明細も取ってある。しかし、オイラがカード会社への振り込みに使用した銀行は、引き落としで使っている銀行Bではなく、給料が振り込まれる銀行Aだ。

つまり、オイラではない誰かからカード会社へ、約12万円が振りこんだことになっている…な!?どうしよう。

慌てて三井住友カードのページへ行き、問い合わせを試みる。

がしかし、お客様サポートのページからは問い合わせの電話番号が見つからない。ページからは「困った時は・よくある質問・ご要件から探す・メールフォーム」の4つしか選べないのだ。うち3つは大体同じようなもので、見てみたが解決しそうにない。メールフォームからは「お客さま情報を確認したうえでのご案内ができない」と書いてあり、オイラが誤って支払ったお金はどうなるかという個人的な質問ができない。

AIチャット開始のボタンを見つけたので、それをタッチ。オイラが誤って支払ったお金のことを聞こうと試みるが、Aiチャットが開示してくれる選択肢の中にはオイラが聞きたいことはなく。文字を打って聞いてみても調べてくれそうにない。おそらくこれも、個人的なことを聞くことが出来ないのか。

困った。お客様サポートページを開いたのに、何にも解決できない。おろおろしていたら、友人からLINEが来た。そうだ!人に聞こう!と、友人に事の顛末を説明。するとすぐに、AIではなく対人でチャット出来るページのURLを調べてくれた。どうやって調べたんだろう、サポートページには無かったのに。

早速URLからチャットのページへ。しかしこれがまた大変だった。有人チャットでは客一人に割ける時間が限られているので、1分以内に担当の人からのメッセージに返信しなければ、チャット自体が終了してしまうとのことだった。1分って。

スマホで急いで事の顛末を説明する。己の小さな打ち間違いにもイライラしながらもチャットを進めていき、12月9日からどこかのタイミングで1度電話をもらえることになった!今度はオイラのお客様情報を箇条書きで入力するよう求められる。スマホで名前を打ち、改行のボタンを押す。名前だけが送信される。このチャットはスマホでの箇条書きに対応してないじゃんね!!!ひーひー言いながら情報を入力し、やり取りを終えた。

おやつに買っておいたフィナンシェを齧る。封を切って置いといたので、乾いてしまっていた。

 

12月9日

昨日のことが不安で眠れず、スマホで音楽を流しながら寝てしまっていた。そのせいで、スマホの電源は切れていた。時刻は10時。今日からカード会社の電話を待つ日々が始まるのか…と気分がどんよりした。

昼になっても電話はかかってこない。そりゃそうだ、12月9日「から」と書いてあったのだから、もしかしたら10日に電話がかかってくるかもしれないんだから。しかしここでオイラは嫌なことを考えてしまった。「もしスマホの電源が切れていたタイミングで、カード会社から電話がかかってきていたらどうしよう」と。その場合オイラが電話に出なかったわけだから、もうあちらが電話をかけてくる可能性は……

そんなことを考えたものだから、もう落ち着かない。眼の前にある大きなタスクが片付かないので、何をやっても上の空で、自分を責めながら家事をしていた。

オイラは杞憂から生まれてきたような人間だ。どんな小さいことでも、とても不安に感じる。もし、もうカード会社から電話がかかってこなかったら、それがオイラのせいだったら、そもそもオイラは三井住友の口座に振り込めたの?振り込んだのは詐欺グループへの銀行で、本当はカード会社には振り込めてすらいないんじゃないの?それを確かめるには電話を待たなきゃいけないけど電話がかかってこない……オイラはなんて愚かなんだ……こんなことなら気を利かせて直接振り込みなんて……と、どんどん落ち込んでいき、家の中なのにしゃがみこんでしまった。

数時間後、友人に電話がかかってこないことを伝えると「直接電話するといい」と言って、自動オペレーターによる電話応対の番号を教えてくれた。え!?なんでそれを知ってるの?サポートページには載ってなかったのに。すぐ電話することにした。

自動音声でのやり取りが始まった。指示に従いボタンを押して困りごとを絞っていく。やっていることはチャットと同じだが、しかしチャットよりもかなりスムーズに感じた。1分という時間制限が無かったからかもしれない。最終的にはオペレーターに繋いでくれることになった!が、今その方は手が離せない状態にあるそうで、明日あちらから電話をかけてくれるところまでたどり着いた。明日の電話の予約時刻は午前9時から10時。

スマホ電源ケーブルに刺さっていることを、寝る前に3度確認し、予備で目覚まし時計をかけて寝た。やはり不安であまり眠れなかった。

 

 

12月10日

8時50分に起きた。普段ならこの時間に起きてしまうと寝不足になってしまうが、構うもんかと電話を待つ。いつかかってくるか分からない、しかし必ずかかってくる電話を待つのは緊張する。昨日と同じようなことを考えてしまうので、とりあえずスマホを持って外に出た。

外でコーヒーを飲んでいると、着信。三井住友カードから!一度深呼吸をしてから出る。はい、実は相談したいことがありまして……はい、よろしくお願いします。

しばし待つ。

…はっはい、なるほど、でははい、お待ちしてます、よろしくお願いします、それでは失礼します。

別の部署?担当?の人に電話を繋ぎたかったようだが、その方がお忙しいようで、今日中にその方から電話をかけ直すとのことだった。また待つのか!とも思ったが、8日の気分とは比べ物にならないほどスッキリしている。だってコトが少し進んだから。

家に帰ってきて、掃除をしているとまた着信。はい、そうです、あ、あっあ~そうでしたか、はい、はい。あ~良かったです、はい、いえとんでもないです、はい、ありがとうございました、失礼します~。

やはり2重支払いになっていた!お金は12月12日に返って来るとのこと!やったー!いや、やったーではないんだが、でもやったー!

とっても安心した。まずオイラが正しくカード会社に振り込んでいたことに安心した。だって詐欺グループの口座にうっかり振り込んでたかもしれないからね。そしてお金がそのまま戻ってくることも安心した。普段のクレカの支払いの2倍位の金額のお金が、急に手元からなくなったら悲しいぞ。それが戻って来る(正しく引き落とされているからクレカ代は払ってはいる)。ほあ~。

この日は夜遅くまで仕事だったはずなんだが、どんな仕事だったかまったく思い出せない。お金が戻ってきてよかったなーということしか考えてなかった。

 

 

12月12日

今年の漢字は「金」だそうだ。漢字が決まったその日、オイラの口座にも12万3725円という大金が戻ってきた。いえ~い。今年の漢字は金で文句ありません。金が何よりも大切です。

オイラは本当に余計なことをしてしまった。しかもカードと紐づけてない別銀行の口座から振り込んでしまうというミスまで冒した。そもそも25日の引き落とし失敗に気付いていないところから、今回の悲劇が始まっている。

心配性は石橋を叩いて渡るのでミスをしない、危険察知能力が高いと言われるが、そうではない人間もいる。うっかり者である私のような。

結局お金が戻ってきただけなので、得なんてものは一切していない。ただ数日オロオロして、悲しい気持ちになった。それだけである。

今回の出来事から何か、無理矢理にでも良かった点をひねり出せればいいが、なにもないのであった。それでも戻ってきたお金をコンビニのATMで確認し、外でケーキを食べたのは、何もなくて良かったことへのお祝いのつもりだった。

コーヒーも美味しかったです。

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続く年末

1年が過ぎていくのは歳を取るにつれ年々早くなる、と聞いたが、オイラの2024年はそうでもなかった。時が過ぎていくスピード”感”が、月ごとに差があったように思う。春は割と早くて、夏はもっともっと早くって。秋冬は時間の進みがゆっくりに感じられる。あくまでも今年の話なんだけれど。

今年の秋冬は紅葉が遅かった。ようやく桜紅葉が散り始めた。河原にはいつもセイタカアワダチソウがワッシャリと咲いているのだが、今年はそうでもなかったし。イチョウの葉だってまだ見頃だ、12月だっていうのに。

桜が咲けば春が来たと感じられるように、イチョウの葉が散ったら本格的に冬だと感じる。身近にある自然たちの衣替えがのんびりしてたもんだから、時間の流れを感じにくかったのかもしれない。

そうは言っても師走なのは間違いない。時間の概念がなければ坊さんも走り回らずに済んだのだろうけど、これがあるからスッキリする。

オイラは正月とか新年が好きだ。それぞれの日々は12月31日の後も続いていくのに、なぜか日を跨いだだけで「新しい」時間の流れが始まったように思えて。そのおかげで、去年までのモヤモヤが少し晴れるというか、嫌な気持ちを過去に置いていけたような気がする。新年をめでたい!とは思わないんだ。でも好きなんだよ。

そういえば夜廻り猫という漫画の1巻に「(新年ではなく)新日が始まったよ」と言って父親を勇気づけようとした子供の話が載っていた。新日ってプロレスみたいだなとも思うんだけど、オイラはあの話が好きだ。

 

ダリアと季節外れのツツジ。なんと今日も咲いていた。

 

先週くらいにぼやぼやーっとSNSを見ていたら、来年の目標をノートに書き出そうとしている人を見かけた。ノートに書くほど目標ってあるもんだろうかと疑問に思ったり、オイラは日々をぼんやり生きているから目標なんて無いなぁと思いながらも、ふだん使っている日記帳に書き出してみることにした。面白そうだから。

で、書いたのがこれだ。

①実況を楽しむ ②見る人のために面倒なことはしない ③本の制作を進める ④スクワットを続けたい ⑤美味しいものを作って食べる ⑥なるべく朝ご飯を家で食べる ⑦本を読む ……以上。

意外と書けてびっくり。こんなに来年もやりたいことがあった自分を尊敬する。日々をぼけぼけーっとしているオイラじゃない、別の人間のように感じるぞ。それぞれちょっと解説?しようか。頭を整理したいから。

 

①②)オイラは趣味でゲームの実況プレイ動画を投稿する活動をしている。そういうオイラにとっては、先月かなり大きな出来事があった。これを期に、活動の在り方を見直すことにした。

プロデューサーぶって自分の動画を吟味・批評するのはやめて、Vlogのつもりで好きに活動していく。そして、やりたくないけど他人に喜んで欲しいから……という動機での編集は、今後はやらない。やってもやらなくても楽しむかどうかは見る側の勝手なんだから、どうせならやりたいことだけ動画に詰め込もう。その方が心と身体の健康に良い。座りすぎよくないぞ。

 

③)マストドンというSNSを始めたのは一昨年のことだったか。何かを継続して記録してみようと思い、自分で作ったご飯を写真に撮り、専用のタグと文を添えて投稿し続けた。ある日、オイラの投稿を見た人が「その文章を一つにまとめたものが読みたい」と言ってくれた。オイラ自身もそうしたいなーと思っていたところだった。

数日後、cookという本を読んでいると「みんなも自炊の写真を使って料理の日記を付けると良いぞ!」と筆者が書いていて。面白いかもなーと思って、気に入ったご飯をノートに手書きで認めるようになった。これを続けていったら、小さな本1冊分にはなるだろうから、それをどうにかして本にしようと思っている。直筆のままスキャンしてもいいだろうし、キレイに書き直しても良いし。

売るつもりはない。自分のアルバムだと思って、のんびり作りたい。のんびりというのは進度が遅くなっても構わないという意識の表れからくる言葉だが、何も書かなければ進捗はストップしてしまう。それは「のんびり」とは言わない。だもんで、ゆっくりで良いので進めよう。

 

④)ふらりと立ち寄った本屋で見つけた、Tarzan の家トレ特集というタイトルの雑誌。これをパラパラと読んで、なぜかスクワットをしたくなり、以来時々している。この雑誌には毎日スクワット→腕立て→腹筋のローテを行えと書いてあるが、一切を無視してスクワットをやっている。10月くらいからかな?好きな日に好きなタイミングで、1分間くらいただしゃがんで立ってを繰り返す。

1分間やるだけで、終わると足がプルプルするし、内太ももが痛くて仕方がない。老いると筋肉痛は2日目に来ると聞いたが、あまりにも筋肉がないオイラはやって5分後にはもう痛い。痛くなくなるまで続けたい、何か変わるかもしれないから。

 

⑤⑥)生協のみかんジュースが飲みたいという理由だけで、おうちCOOPを始めた。カタログを眺めていて分かったんだが、みかんジュースは取り扱っておらず、実店舗のみでの販売のようだ。契約する前にカタログだけ眺めさせてもらえばよかった。

とはいえCOOPと契約したのは悪いことではない。東急バスの運賃くらいの送料を払い、スーパーに行って色々買っていると思えば便利に感じるし、定期注文で納豆と食パンが届くようになったのは、オイラの生活に対して大きな影響を与えてくれた。おかげで朝ごはんを家で食べるようになったんだ。

以前は毎朝コンビニに寄って菓子パンかおにぎりを1つ、あとついでにコーヒーかお茶を1つ買っていた。300円×30日で計算すると、合計金額9000円になってしまうことに、先々週気付いた。これがエンゲル係数の増加の一因なのは間違いない。

オイラはアスリートではないので、納豆ご飯を食べようが食パンにあんことバターを塗ろうが、コンビニでツナマヨおにぎりやもっちりチョコリングを買って食べようが、身体とパフォーマンスへの影響に違いは無いと思う。しかし食費が浮けばその分どこかでラーメンが食べられるかもしれない。うまい朝飯にラーメンが付いてくると考えたら嬉しいじゃないか。やろう。

 

⑦)ここ数年くらいか、本を読んだらタイトルをノートに記録している。最近そのノートを一新したんだが、そのついでに過去の記録を読んでいた。我ながら児童書ばかり読んでいる。面白いと感じるので仕方がない。最近は新書も読めるようになってきたぞ。

読み終えてから面白かったと思ったり、これは好きな本だなと思ったら、タイトルに小さく丸を書いている。10冊中5冊くらいは丸が付いていると思うけど、数えたことはない。丸がたくさんあると、なんだか嬉しい。昔は読書がすごくイヤだったので「こんなオイラでも気に入った本が世の中にあるんだ」と思えると、自分の心の成長を感じるし、好きな作品がこの世界にあって良かったな~と良い気分になる。

読まないと分からないことがある。内容や評価ならタイトルで検索すればざっくり知ることが出来るし、内容のエンタメ成分も、動画サイトの書籍解説動画を見れば浴びることが出来るだろう。けれど、自分がその本のどこが好きでどこが嫌いか、どうして面白いと思ったか、何がつまらないのか……”本を通した自分のこと”までは、誰も解説してくれないものだから。だから、読むぜ。

 

 

こうやって書いてみたけど、これって、来年の目標じゃないな???今年の秋から続けていて来年も続けたいことだな。来年やりたいことを挙げるなら、新しいこと・したことないことを書くべきだったんじゃないか。

まぁいいか。どうせ日々は続いていくのだから。去年からの継続と修正、これを来年の目標!ということにする。それに、ボケーっとしてたらふと新しい目標が思いつくかもしれない。まだ今年は20日以上あるんだし。

 

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