wander around holding a soft oval

日記や雑記を書いています。それらの違いは分かりません。

温泉と本屋に寄った日0223

温泉に行く。スーパー銭湯と呼ばれるものと温泉というものの違いが分からず、大きい施設のものをすべて温泉と呼ぶことにしている。スーパー銭湯は、知らない。予の辞書にない。貴殿は温泉、貴様も温泉。ここは温泉の国である。

よく行く温泉は雰囲気がとても良い。露天風呂の方にTVが付いてるが、音声はoffになっているし、張り紙やポップも少ない。ご飯を食べられる休憩所(食堂か?)は広くて静かである。心が洗われた。

 

帰りにショッピングセンターに行き、掃除用のマイクロファイバー布巾を買う。今家にあるやつは5枚組の5枚目のやつで、買い替えずにずっと使っていたので。

別にその布巾が丈夫だったというわけではなく、単に5枚目になってから取り替えずに使っていただけである。布巾のコスパはオイラの怠惰によって成長したと言える。精神論というか、気分に左右されないか、コスパってやつは。あまり意識せずにぼんやり生きているので、コスパもタイパもぼやぼやさせている。

 

布巾を買ったあとに、本屋にも寄った。子供の本コーナーに、戦争の話をインタビューし纏めた本があり、結構驚く。パンどろぼうシリーズの隣に、表紙が見えるように置くとは、中々派手なことをする。

それ以外でも、なんとなくだが、学びにつながる本が多く紹介されている印象。社会であったり知恵であったり、教養であったりとか。

 

オイラが初めて触れた戦争にまつわる話は、ちいちゃんのかげおくりだったか。悲しい話のはずなんだが、オイラはかげおくりってスゴい!という感想を強く持っており、今この歳になってもかげおくりをして暇を潰すことがある。

あとはなんといってもはだしのゲン。戦争の悲惨さを学びたいから読んだ、というわけでは全くない。小学校の教室に置いてあったマンガがはだしのゲンシリーズしかなかったのだ。ホラー漫画や恋愛漫画と同列で、それを読んでいた。

出てくる言葉が面白い。怒っているのに「うわーい」と叫んだり、ギギギと苦しんだり。あだ名でクソ森はないだろとゲラゲラ笑ったり。主人公たちが頭蓋骨を売り歩く時に米兵に歌った歌が何故かテンポが良かったり。そういうことを覚えている。

もちろん、主人公の母親を火葬した時に母の骨が全く残らなかった話とか、ドングリがヒロポン漬けになったりとか、そういうことも覚えているけれど。あの漫画で広島弁を少しだけ覚えられた。おどりゃクソ森!

ただまぁ、どれだけ愉快な話でも悲惨なエピソードも、それは創作の可能性があるし、インタビューや自伝だとしても、いろんな立場のいろんな声のうちの一部を切り取ったものである。それを忘れてはいけない。

小さい声を大きく捉えても、でも小さく捉えすぎても良くないと思う。

 

本屋に寄ったあと、また別の本屋に寄った。すると、そこの子供向けの本コーナーは、ためにならない本ばかり並んでいた。その光景がオイラには、とても良かった。

図書館に行く前の日記0215

今日は休みなので、図書館に本を返しに行く予定。

なのだが今日の午前中に配達される荷物があるので、それを受け取るために自宅で待っている。この待っている時間は、例えば電車をホームで待つ時間のように、あと何分と決まっているわけではない。長いような短いような、少し不思議な感覚だ。

ただぼんやり待っていても仕方がないので、洗濯を回したり(洗濯物を洗濯機に入れて洗剤を入れてスイッチを押すことを、回す、って呼んでいるんだけど通じるのだろうか)、あとで掃除機をかけるために部屋を少し片付けたり、水を飲んでブログを書いたりしている。

今日は本を4冊返す。2冊読みきった、あと2冊は図書館に行く道中で読むことにしている。歩いては通えないが、それがかえって気分転換になってよい。昔、千葉の富里に住んでいた頃は、近くに大きくてきれいな図書館があった。オイラが本を読むようになったキッカケの図書館だったな。

 

読んだ2冊は「もしニーチェがイッカクだったなら?」「暮らしの図鑑 パン」。

イッカクの方は「人間は動物よりも知性で優れている、人間だけが特別な知性というものを持っている」という考えを否定し、更にその優れていると思っている知能で人類は苦しんでいる、人類は愚かだ、だから今からなんとかしていこう!という本。拙い説明だな。本は面白いぞ。

オイラは賢いとか情緒的だとか、深く物事を考えられることだとかを尊ぶ考え方に疑問を持っている。賢いということは、賢いという事実を明らかにしているだけに過ぎない。それをすごいと思うかどうかはまた別の話だと思うのだが、なぜかすごいという感想が肥大化し、すごいという こと になってしまっている。おかしいと思う。そういう考えを持つヒューマンなので、この本のサブタイトル「動物の知能から考えた人間の愚かさ」に惹かれた。

まず読みやすかったな。オイラはあまり翻訳のことは分からないのだが、オイラでもスイスイ読める。といってもオイラの場合、難しそうな言葉が沢山出てきたり、もったいぶった書き方だと感じる所は読み飛ばすので参考にはならないだろう。オイラはあまり本を大切にしないからな。自分本位というか。

内容は面白いけど納得はしにくかった。「人類は愚か」という点について、確かに頷ける所はあるのだが、それほど愚かかねぇ?と思った。例えばこの本では人類が倫理や道徳の名の下に差別行為をした事例を取り上げていて、確かにそれは愚かと言っても良いのだが、その差別行為や考え方を批判する人間、悔い改める人間、その出来事に心を痛める人間もまたいる中で、果たして「人類は愚か」とキッパリ言えるだろうかと疑問に思う。また、その倫理や道徳で人類が滅んでいくのであったとして、滅んでいくことが愚かかどうかもイマイチピンとこない。生きているだけでえらい!の逆みたいな話か。

動物にもこういう面がありますよ、という話の部分は面白かった。あとは後書きの一節が良い。これが筆者の言いたいことで良いんじゃなかろうか。

僕たちの心だけが何をおいても絶対的にすぐれてるとは言えないし、僕たちが自称する知的優越性は、動物たちの苦痛に無関心でいることの言い訳にはならない。

 

パンの方は、見開き1ページで基本的に完結するパンの話、というか図鑑。絵や写真が豊富でオシャレでいい。この本に限らず、最近はオシャレな小さめの図鑑のような本が沢山出ていて良いよな。焼き立てだけではなく「冷めたて」も美味しいだとか、御当地のかなりマイナーなパンだとかも紹介していたりして、読み応えがあった。

パンに塗るものを取り上げているページでは、例えばバターとかを紹介しているんだが、オイラが思っている適量よりも、ずっとずぅっと沢山のバターを塗りたくっていて、かなり引いてしまった。アレだけ塗ったらパンの味はもはやどうでもいいのではなかろうか。写真映えを気にしての行為なのだろうか、写真用にあれだけ塗ったということで良いんだよな、そうだよな。

あとは、この手のパンの紹介にはあまりない、フツーにスーパーとかで買えるような、ヤマザキパンやパスコの菓子パン・食パンの紹介もされていて、そこは嬉しかった。有名ベーカリーのパンはそりゃあ美味いのだろうけど、普段口にする機会が多いのはやはりスーパーのパンだよな。こういうパンで中高生のオイラは出来ているので、そういうものも同列に語られていて嬉しくなったのだった。さっき「有名ベーカリーのパンはそりゃあ美味いのだろう」と書いたが、実際は店によってバラバラで、大して美味しいと思わないもの、値段の割にコレか…と思うもの、色々だなと感じる。ああいう店のパンで合わなかったりすると、かなり落ち込むし、ずっと引きずる。

今から行こうと思っている図書館の、最寄り駅の駅ビル内にもパン屋さんがあるんだが、あそこのパン屋に人がたくさんいる理由がわからないでいる。あんなに高くてアレなのに、良いのかそれで!と、通りがかる度に思う。

そうだ図書館だ。コレを書いている間に荷物が届いたのだ。12時になるギリギリのタイミングで届けてくれた。ありがたいことである。

それじゃちょっと出かけてくる。

Spotifyでポッドキャストを聴いているんだけど

その中で少し困ったことがある。Spotifyには沢山の番組があるはずなんだが、オススメに上がってくる番組が偏っていて、あまりおもしろくない。

例えばオイラはロッチのロッチナイトZEROを聴いているんだが、その繋がりで別の芸人さんの番組がどんどん出てくる。でも、出てくるものはなぜかサムネイルがうるさい。全体の色使いと大きな文字、Youtubeのサムネと変わらない、いやもっと派手である。プロの方が作っているので、目立ち方がすごい。

芸人さんの番組で、リスナーからの悩み相談に答えているんだけど、サムネに書いてある文字(芸人さんの回答の一部だと思う)もタイトルも言葉が鋭いので、オイラは目に入るだけで疲れてしまう。Spotifyをスクロールして眺めていると夜の新宿三丁目を歩いているような、もしくはLINEニュースを見ている時のような気分になる。

あとは考察や本の要約系の番組、解説系の番組も避けている。基本的に、聞かれてもいないのに答えるような奴の話は信用したらいけない。と書くとブログなんてものはすべからく信用してはいけなくなるんだが、まぁ本当はそういうものだろ。ああいうのも圧が強いし、今はそういうもののブームだろう。だからオススメに上がってくるが、オイラは知らないことこそが宝だと思っているので、あまりにも価値観が合わない。

Spotifyは履歴を削除したり自分の好みをカスタマイズしたりすることが出来ない。ノットフォーミーな番組をミュートすることも出来ない。一時的に非表示にすることは出来るが、それだけだ。だもんで結構参る。

最近は、Spotifyを立ち上げたらすぐにポッドキャストのお気に入りのタブをタッチするようにしている。お気に入りのものしか見たくない、と言っているのではなく、一部の番組のアピールに辟易しているので、そそくさと逃げている。

 

 

ポッドキャストを聴いていて良いこともあった。元気にやっている年上の人たちを知れたのが良かった。

ポッドキャストで最初に聴いた芸能人さんの番組は、関根勤小堺一機の「コサキン ポッドキャストDEワァオ」だ。実にくだらないし同じ話ばかり喋っている。そして、大変に元気である。お二人とももう70代であるのに、あんな大きな声を出して喋り続けていられる体力がすごい。そして殆ど文句も嫌味も愚痴も言わず、ポジティブに笑い合っている。ああいう人間たちを見ていると元気になる。

 

で、先週ナインティナインのANNに清水ミチコさんがゲストとして登場したのだが、ミチコさんも素直で明るく喋っていた。もう65歳か。

ミチコさんの芸は時にたっぷり毒を含む場合もある。しかしそれは芸をしている時であって、人と話している時は元気ハツラツとしており、リスナーからのリクエストには素直に応え、丁寧に回答されていた。作りたてのモノマネを披露した際に、他人から褒められたミチコさんが「そうかな?ありがとう~」と言っていたのが特に印象に残っている。

お客さんの目がある場所だからこそ、あのように振る舞っているのだとすると、オイラは余計に、すごいなと尊敬する。

もはや大御所で、いくらでもふんぞり返っていても誰も文句は言わないのに。コンプラなんて無視したってどうとでもなるくらいの地位にいらっしゃるのに。ああいう態度はやはり、長年活動してきたからこそ染み付いたものなのか。

 

みうらじゅん山田五郎の「みうら五郎」という番組も最近ずっと聴いている。一つのテーマに沿って2人がトークをするだけなのだが、その話が深くもなければ浅くもない、ためになるかと思えばそうでもない。脱線だけは必ずする。

ただ楽しそうに話して終わりである。二人とももうすっかり爺さんで、昔の思い出なんかもたっぷり話すのだが、その思い出もちっともカッコいいものじゃなく、いつも情けない。先程コサキンの話もしたが、彼らの思い出話も別にカッコよくないんだよな。そこもまた良い。

 

少し前まで「川沿い」という番組を聴いたり、DJみそしるとMCごはんの「深夜のおやつ」を聴いたりもしていたんだが、こっちはどんどんつまらなく感じていった。大抵の話が「こういうすごいことがあったよ」なのだ。旅行に行きました、人に会いました、美味しいものを食べました……いや、そういう体験も人生においては大切だろうけど、每日そんなわけがないし、旅行に行ったとて、楽しいことだけなわけがないだろう。インスタの音声版になってるぞ。そういう気持ちになっていったので、聴くのをやめた。そういう理由でお気に入り登録を外した番組も割とある。

更新されなくて淋しく思っている番組もある。「岸政彦の20分休み」は番組が終わってしまったし「秋田県人しか出ない」は全4回の投稿が終わったのでもう更新されることはない。あとはザ・ギース尾関高文とOCHA NORMA広本瑠璃の「年の差ラジオ」は広島のラジオ番組で後からポッドキャストに配信されるんだが、中々更新が開くので淋しい。あの二人のトークは浅くて緩くて面白い。

 

特にオチもないがここで終わる。基本的に元気で明るく真面目で、そして少し間抜けだったりすると良いな、オイラは。そういう人間に憧れがある。

投票に行った日0205

これはアプリ版ブルースカイの検索画面に出てくるバナーなんだけど、これの良いところは選挙に行くことそれだけを勧め、それを肯定しているところ。そしてイラストの作者のアカウントも載せているところだと思う。人をポジティブな気持ちにさせるイラストを使用するときに、転載や盗用ではイヤだもんなぁ。

オイラも選挙に行ってきた。期日前投票。市民ホールまで歩いて、建物内のエレベーターに乗り込んで、扉が開いたらたくさんの人。オイラは届いたハガキを持っていたので受付はスムーズだった。投票用紙を前にして、どの名前を書こうかかなり悩んだ。ええいと書き上げて、箱に紙を入れて終了。係の方から投票証明書というものを貰った。証明なんてされなくても良いけどな、と思ったが、どうやらそれを見せると味玉をオマケしてくれるラーメン屋があったりと、なんかお得らしい。なるほどねー。

その足でスーパーに立ち寄り、鱈の切り身を買って帰った。その日は鱈と白菜の蒸し煮、和風ナポリタンを作って食べた。

オイラは投票するのが結構好きだ。例えば学校の中で強制的に投票させられるのはイヤだが、自分の意志で時間と体力を消費することにして、わざわざ投票しに行くのが良いんだと思う。自分が投票するかどうかを自分で決めたい。

それに、そういう意志で(勿論友人に頼まれたり味玉に釣られたりと色々あると思うが)投票に来た人たちの輪?そういう人たちのいる空間に混じれるのは、なんとなく気分がいい。皆同じ投票先に投票するわけはなく、考えていることはバラバラだろう。そういう人間たちが、バラバラなのに同じ場所に集まり同じ行動をする、それこそ他者と共に生きるということの基礎ではあるまいか。排他的のカウンターとして排他的になってはいけない。少なくともオイラはオイラに対してそう思う。

暗くなってきたので帰ろう。この日記は散歩の帰り道にモスに寄って書いていたのでした。モス野菜ばかり食べてしまうなぁ。

出かけた日の日記0202

北海道から帰ってきて1週間ほど経った。新千歳から羽田空港に着いた日、自宅までの帰りの電車の中で気を失いそうになったな。薬の副作用でも起きたかというほどの眠気。脳味噌が真空になったようだった。意識が朦朧としたが、ここで気を失えば起きれないかもしれないと思い、足の指に力を込めながら眠気に耐えていた。

家に帰ってから改めて職場に連絡をしたが、疲れているだろうからとりあえず明日も休んでおけとのこと。ありがたい。ひょっとして、やんわりとクビになったのではないかと焦り、ではいついつから出勤させて頂きますという話もまとめておいた。もし纏めなかったらオイラの席は無くなっていたのだろうか。いやいや。

そんな日から数日経過して、オイラはぼんやりと過ごしていた。2月1日は会社が休みだったので、久々に図書館に行こう、それもまだ行ったことのない所に行こうと決意して31日の夜は就寝。1日の朝に起きて急に「なんか今日は出かけたくないぞ」という気分に苛まれた。まぁ自分で決めたことだしと、支度をして出かけた。

 

結果として、お出かけは大失敗であった。

目的地までのルートを決めて電車に乗るも、電車があちこち遅延して中々着かず、また友人から、オイラが選んだルートは他の人間が選ぶであろうルートよりも随分遠回りをしていると教えられた。倍以上の差の距離を迂回して移動していたとのこと。なのに遅延て。

図書館の最寄り駅に着き、目的地まで歩き始めたが、GoogleMapを見ているのにも関わらず道に迷うわまたもや遠回りをするわ。普段ならこんなこと滅多にないのだが。更に家に財布を忘れたので、偶然見かけた美味そうな中華料理屋が現金払いのみの対応とのことで飲食叶わず。店を出て歩いていると、通りすがりの自転車乗りに肘をバシーンと当てられ痛い。

初めての図書館にようやく着いたが、子どもたちが歌うし走るしで元気が良すぎる。子供が元気なのは良いんだが、保護者の方がその様子を眺めているだけで、どうにも落ち着かない。良さそうな本を借りてそそくさと後にする。

友人から聞いたルートで帰ろうと思い歩くが、さすがに腹が減り駅前にある定食屋らしき店でオススメの丼ものを注文した。それがなんと全く口に合わない。オイラは大概のものは「美味いor超うまい」で判断するのだが、これはちょっと。1000円払ってこれを喰らったのかと、しょんぼりして電車に乗る。おそらく小旅行中の爺さん婆さんたちの集団がワイワイガヤガヤと話す電車に乗ってしまい、これはたまらないと次の駅で降りて各停を待ってまた乗った。

自宅の最寄りに着き「せめて何か1つ良いことを起こそう…」と、逆転を狙って最近見つけた雰囲気のいいカフェに足を運んだ。しかしタイミングが悪かったのか、店主さんと常連のお客さんが、かなり、不愉快な話をなさっていて、一人カウンターに通されたオイラは隅の方で聞こえないフリをしながら、借りてきた本を読んだ。あ、合わない…!内容が、多分書いている人間は相当腕がいいのだろうけど、如何せん自分には雰囲気というか書き味が合わない。

逆転ならず。しわしわになりながら家に帰った。

 

過去の自分ならここで不貞腐れて寝ていたが、今回は違った。「外がダメなら家だ!」と奮起し、家の中でしたいことをしたいだけした。と言っても布団をキレイに敷き直したり、部屋を整えたり洗濯をしたり。晩ご飯の支度を早々と始めて、好きなゲームをして活動報告用のブログを2本書き、自分で改めてコーヒーを淹れて飲む。良い。すっかり元気を取り戻した。

思えば朝起きた時の直感に従って、家にいたら良かったのだろうなと今は思う。が、家にいても同じようなことは起こったかもしれないし、外で色々な目に遭ったからこそ室内で快適に過ごそうと思えたのかもしれないし。それは分からない。

あの日、早々とカフェを出て一人とぼとぼと歩いている時に思ったのは「やはりオイラは北海道から脱出するときまでに運を使い果たしたんだな」ということと「ということは家に帰ってからは良いことがあるかもしれないな」ということだった。

幸運

寒い。他人が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、これを書いている。

2026年の1月25日、北海道の西側は大雪に見舞われた。その中にオイラはいた。

 

23日、友人Aの結婚式のために北海道にやってきた。飛行機は大の苦手であるが、呼ばれたので仕方がない。札幌で式があるが、すでにホテルは埋まっていたので、少し離れた手稲という地で一泊することにした。

24日の結婚式はどちらかといえばパーティーのような催しで、堅苦しいのが苦手なオイラでも楽しめた。料理も美味しかったし。唯一、披露宴前の式典でオルガンとフルートの生演奏を聴いた時「ゼル伝のbotwみたいな雰囲気だな…」と、なぜかゼルダとリンクのことを思い浮かべて泣きそうになってしまう。こういうのをゲーム脳という。

式が終わり、オイラは2次会には行かずに別の友人とご飯を食べ、ホテルに戻って休む。移動中の電車の窓の外では雪が降り始めていた。これだけ降るのなら明日の飛行機は揺れるのかも、怖いなぁ嫌だなぁと思いながら就寝。

そして25日がやってきた。

ホテルの朝食会場にあるテレビの放送を見て、かなり雪が降っていることを知る。窓の外は昨日の電車内で見た風景と同じような、猛吹雪であった。

ホテルを後にし、朝9時に手稲駅に着いたのだが、数本前の電車がまだやってきていない状況。電光掲示板には「9時40分快速エアポート」と表示があったが、何の意味もない。関係者用の扉から、フル装備でスコップを持った職員が出てきた。ホームへ向かっていく。彼の背中を見て、今日はもうダメかもしれんと思った。無為な仕事をさせられる人間の背中であった。

オイラは岩手生まれ秋田育ちである。雪には慣れっこだ。いわゆる雪国マウントも、取ろうと思えば取り放題だ。が、オイラはそれをしない。上には上が、つまり北海道という雪キングダムを差し置いて、そのような態度を取ることなど烏滸がましいにも程がある、と考えていたからだ。北海道では東北の民が縮み上がるほどの雪が降るに違いないし、その中でも逞しく生きているに違いない。と、そう思っていた。

実際は少し違った。まず北海道はむちゃんこ広いので、あの街では豪雪注意報が出ていても、隣街は晴々としている、ということがよくあるそうだ。関東でも横浜市は雨だが相模原市は晴れだなんてこと当たり前なはずなのだが、北海道という名前が付いているだけで全て大雪が降るのだと、オイラはそういうイメージを持っていた。

もう一つ。町によって積雪量はある程度決まっているので、例えば今回のように数年に一度の大雪が札幌に降ってしまうと、何もかもうまく行かなくなるということ。北海道の民は雪なんて降ってもへっちゃら、なのではなかった。動くのを諦めじっとしてたり無理やり動いたりして、なんとかしているだけであった。

 

オイラは手稲から札幌、そして新千歳まで行く予定であった。まずは手稲から脱出しなければいけない。待っていたら電車が動くかもしれないと思い、カラオケボックスで2時間過ごした。宮本浩次の異邦人を2回連続で歌ったが採点するのを忘れた。店内で、乗る予定の飛行機が欠航になったとメールが届く。明日の同じ時間にチケットを取り直した。

店を出て再び手稲駅へ。9時40分快速エアポートと書かれていたはずの電光掲示板には「運転を見合わせております」とだけ書かれていた。引き返す。

とりあえず札幌に向かうためには、地下鉄がいいかもしれない。しかし地下鉄の駅まで向かう術がない。バスも動いてないだろう。そこまでは徒歩で1時間以上か。よし歩くか!

と覚悟を決めた時、バス停にバスがやってきた。ぐわんぐわんと車体を揺らしながらやってきたのだ。

渡りに船とばかりにそれに乗るも、車内アナウンスで「本当に揺れるのでしっかり掴まっていてください」と忠告される。実際揺れはするが、船ほどではなかったので耐えられた。道すがら埋まってしまい動かなくなった車を何台も見かけた。本来なら車で18分の道を、バスで40分以上かけて移動した。

地下鉄に乗れる宮の沢駅に到着。そこで腹ごしらえ。豆乳担々麺を食べた。このタイミングで北海道の知人から連絡が。札幌にある知人宅まで来たら家に泊められるが、道路状況が酷く車を出せない、なんとかここまで来てくれとのこと。なんとか。

宮の沢駅から地下鉄で札幌の大通り駅へ向かい、ここから乗り換えて福住という地へ。知人は買い物にも行けないので、もし辿り着けるならスーパーで食材を調達してきてくれと頼まれる。関東にもあるロピアで鍋の材料を買ったり、その建物の二階の100均で下着を購入した。100均の隣には西松屋があり、子供が中国語で恐竜のおもちゃをねだったり、別の子供が駄々をこねて床に座ったりしていた。オイラはそれを見ながらベンチで休憩。

福住から知人宅近くのバス停へ。長蛇の列。ここで係員からのアナウンス。このバスを最終便にさせてもらう、この後は全て運休、そして◯◯までしか行きませんとの内容。出してもらえるだけありがたい、と心から思った。

バスに乗る。ぎうぎう詰の車内で、礼服一色と大きなリュックを持ち上げ立ったまま。オイラの後ろでは高校生くらいの子がゆとりをもって座っていたので「すみません座らせていただけますか」とお願いしたら、すぐにつめてくれた。

手稲からのバス移動とは比較にならないほど、福住のバスは揺れた。オイラが地下にいたり買い物をしている間にも雪が降り路面の状況も悪化したのだろう。オイラはバスの1番後ろの席、5人がけの真ん中に座っていたので車内全体がよく見渡せた。バスが揺れるたびに乗客の頭が皆同じ方向に揺れ、グルーブ感があった。しかしそう思っているのはオイラだけで、ここいらに住んでいる人は慣れたものなのだろうなとも思った。

途中バスが横転しかけたが、とりあえず今回の終点まで辿り着けた。知人がバス停に迎えにきてくれる。徒歩でだ。ありがたいことだ。知人の後ろを歩いてついていく。オイラはこの旅行で荷物を減らすべく、スーツ用の革靴1足だけでやってきた。知人はそんな靴で雪道は歩けないと心配していたが、意外となんとかなった。オイラの靴はテクシーリュクスと言って、まぁちょっと変わった靴なのだ。気になったら各々調べてくれ。

車が通ったあとの道を、ひたすら歩く。オイラは中学から高校卒業までの6年間、片道40分の道を歩いて登下校していた。大雪の中も街灯が無い中も歩き続けた。そのことを思い出す。1人でとぼとぼ歩いてたあの頃よりも、知人宅を目指している今の方がずっと気分がいい。

ついに知人宅に着いた!手稲のホテルを出てから12時間経過していた。知人のご家族が迎えてくれて、タオルやパジャマがわりのジャージなどを用意してくださった。その晩のご飯は、台所をお借りして、オイラが鍋料理や余った野菜で小さなおかずを拵え、一緒に食べた。北海道のお酒まで頂いてしまった。明日も早いだろうと思い、1杯だけ頂いた。

普段使っていない部屋に布団を敷き寝に入る。しかし埃のせいか目と鼻がかゆい。知人からマスクをもらい、つけたまま寝た。

6時起床の予定が7時まで寝てしまった。慌てて準備して風呂に入る。髪を乾かし朝ごはんを頂いた時に、昨日カラオケボックスで取ったあの飛行機の便が、欠航になったとの知らせが入った。つまり、今日も北海道から帰れないことが決定してしまった。

知人もそのご家族も、今日はこの家でゆっくり休んでいくといいと仰って下さる。そのご厚意に甘え、今オイラはスマホのバッテリーを気にすることなく、こうやってブログを書いている。100均で買った靴下は薄いので足先が寒い。しかし裸足よりは快適である。テレビから流れるニュースでは、新千歳空港に泊まった乗客の姿や、路上で動かなくなったバスの映像が流れていた。手稲のバスは全線運休とのこと。あの映像のどこかに自分がいた可能性は十分にある。

オイラは本当に幸運であった。カラオケボックスから出たタイミングでたまたま手稲にやってきたバスに巡り会ったし、地下鉄も事故もなく動いていたし、福住からのバスの最終便に乗れたのも偶然である、スーパーでの買い物が遅くなっただけでアウトだった。そして知人宅で寝泊まりさせて頂くばかりか、飲食物までご提供いただき、ただただありがたい。

はっきり言って、明日新千歳から神奈川に帰ることが出来ないのではないかと思っている。しかしそろそろオイラのこの幸運も尽きそうであるな、とも思う。そんな予感がする。おそらく神奈川に着いたら馬に頭を噛みつかれるくらいのことは覚悟したほうがいいかもしれない。かえって縁起がいいか。

電車の中で書いた文0111

今さっき、目的地とは反対方向に向かう電車に乗ってしまい、終点に着いてからそれに気が付いた。乗客がぞろぞろと降りていくのに合わせて、オイラも「お、終点か〜」みたいな顔をして降り、何食わぬ顔で隣の車両にまた乗った。今これを書いている時、最初にこの電車に乗った駅を通り過ぎた。ようやく目的地に近づき始めた。

自分にとって電車の中は、書き物をしたり読書をするのにピッタリの場所だ。周りを気にしなくていいし、気にされなくて良い。本が読みたければ喫茶店に行くより、ペットボトルのお茶を1本買って、長ーい電車移動をした方が良いかもしれない。その時々によって混み具合や煩さが違うけど、それは店内も同じだろうし。

 

今ふと、笑福亭鶴瓶さんが若くて金のない頃、奥さんと電車に乗って移動して、ホームに降りずにまた帰る…というデートをしていた話を思い出した。電車で長距離移動するたび思い出す。鶴瓶さんのラジオで聞いたんだっけかな。段々政治の話ばかり口にするようになり、そのうち聞くのをやめてしまった。そればかりではイヤだなぁ。

そういえばこの前実家に帰った時、父がTVのニュース番組に悪態をついていた。前はそういうことはなかったが、長く生きたことでそういう文句も言いたくなるのだと思う。鶴瓶さんもそうだし父もそう。父はみのもんたに顔が似ている。

文句ばかりの人間を眺め続けるのは辛いのでやりたくないが、でも文句を言ってくれた方が良いとも思う。爺さん婆さんが世間にバンバン文句を言う社会って、個人的には好きだ。社会に文句が出てこなくなったら、というか文句が聞こえてこない社会は、いろんな意味でおしまいだろう。

 

実家に帰った時、家族たちは全然水を飲まなかった。オイラはペットボトルのお茶をすぐ空にしてしまうのに、彼らは酒ばかり飲み、ケロッとしている。オイラは友人に水を飲め飲めと叱られる。それは脱水症状でよく具合を悪くするからなんだが、オイラの家族はなぜ水分補給せずに元気でいられるのか。身体が強いのかな。羨ましい。オイラはすぐ身体が痛くなるし、肌もじゃんじゃん乾燥する。世の人ってどうしてるんだろ。

そう、◯◯について世の人たちってどうしてるんだ?という小さな疑問がたくさんある。水分補給もそうだし朝ごはんもそうだ。以前配信中にみんな朝ごはんどうしてんのって聞いたら、菓子パンだけだったりそもそも食べてなかったりして、あんまり参考にならなかった。スーパーに行くと朝ごはん用にグラノーラが大量に売られているし、医者も政府も朝ごはんで栄養取りましょうって啓蒙しているのに、実際オイラの周りでは啓蒙効果というか、キッチリ食べている様子がない。この齟齬はどうなっているんだろう。他人の生活ほどわからないものはない。

掃除機なんかもそうだ。うちの床はフローリング。週に一度は掃除機をかける。ゴミが落ちてるなと思って掃除するんだが、掃除機をかけ終わるとゴミが落ちている。エッと思ってまた掃除機をかける。これで終わりとするとまた落ちている、さっきとは違うゴミが。これは一体どういうことなんだろう。靴下にくっついててそれが落ちたのか?世の中の人はこういう目に合わないのか?

電車がもうすぐ着くのでここまで。みんなもっと自分の身の回りの、本当に取るに足らない小さな小さなことを書き起こしてほしい。キミが旅行に行った日のことより、手を洗ってズボンで履いたとかクリーム玄米ブランを食べると歯に挟まるとか、そういうことを。