wander around holding a soft oval

日記や雑記を書いています。それらの違いは分かりません。

お盆に身の回りを整理する

お盆に入ったので、毎年恒例行事。上着を洗濯した。オイラは普段会社に置いてある上着を着て仕事をするんだが、あまり汚れないのと、会社でしか着ないのとで全然洗濯しない。それでもお盆と年末年始には持って帰って、ワイドハイターに漬けてから洗う。なんとなく見た目がスッキリさっぱりする。家の台所のシンクも、ぱっと見汚れてなくても、泡ハイターとかで洗うといい感じになるのに似ている。ハイターの匂いは嫌いじゃない。

お盆休みの前日、会社でオイラが上着をカバンにしまっていると、それを見かけた事務さんに「キミは自分のものを綺麗に使おうとするところがいい」と褒められた。ありがとうございます。まぁ確かに、オイラより若い子たちは上着のそのままにしており、襟元がうっすら黄ばんでいるようないないような、そういうのもあったりもする。だがそこは、若さで補えている気がする。

昔聴いていたラジオで「年取ってから古着着るじゃん、そーすっと全然カッコよくない、ただ古い服を着てるだけの中年になっちゃったんだよねー」と、清潔感もあってスタイルもビシッとしている人が、自虐的に語っていたのを覚えている。古着にも状態があるので一概に言えないと思うが、でも言いたいことは分かる。だらしなさとかをカッコよさに出来なくなる。漫画で言うと、銀魂の坂田銀時いるだろ、あの人も60歳であんなだったら全然カッコよくないと思う。ということで、今年も上着を洗うのだ。

清潔感と言えば、今私はチェックのシャツが欲しい。首までボタンがついてる半袖のシャツ。以前伺ったイベントで、DJの女性がそういう服を着ていて、おーピシッと着てるとカッコイイなーと思ったのだ。それからどこかに買い物に出かけては、あの時見たチェックシャツを探している。家に服はそれなりにあるんだが、アロハっぽい、ダラッとしたシャツばかりなので、今の気分にそぐわない。今年のお盆は服の片付けもしよう。

毎年、お盆に実家に帰省しない。お盆中は実家が忙しいので、帰ると煙たがられるのだ。だもんでこの時期は暇である。暇なのでこんなブログも書いている。

 

お盆休みの恒例行事・靴の補修もした。革靴を半年に一回磨く。本当はもっと頻繁にケアする必要があるのだろうけど、面倒なのでやらない。全くせずに駄目になったら捨てる、ってのよりは良いだろう。革靴の修理屋さんに持っていっても良いが、そこそこ高いので、あちこちからかき集めたシューグッズで、DIYしていく。

今回は靴の先や側面に小さな穴が空いていたので、パテで埋めてヤスリをかけ、そこから補修をするような感じでやってみた。近くで見るとボコボコしているように見えるが、オイラが”履いている”靴を近くで見るには、ノームくらい背が低くないといけない。だから多分大丈夫。

そんなにいい革靴じゃないので、買い替えることも出来るのだが、使えるうちは使いたい。気に入っているので。なんでもかんでもポンポン捨てるのは趣味じゃない。

……と書いておいてなんだが、仕事用に使っていたジェットストリームの多色ペンを捨てるかどうか悩んでいる。いざという時にインクが全然出ないのだ。同じ紙の端っこにぐるぐるーってやったら出るのに、いざ書こうとするとカッスカスなのだ。おちょくられている。これが動物なら「んも~どしたのよ~」と頭を撫でたりもするが、相手はペンである。ウニなら食べるがuniなら捨てるしかない。

ということで、先月くらいからお試しに、アクロボールの多色を使っている。これが結構いい。ジェッストはインクの出だしがスッキリしていて、油性ボールペンぽさがないと思う、ジェッストはジェッストとしか言いようのないインクだと思う。対してアクロボールは書き出しが少しかすれる、油性ボールペンらしさがあるが、こちらをおちょくってくるようなことは無い。かすれは出だしだけで他はほぼ無く安定感がある。

あとはグリップの握り心地か。高いペンだとグリップの部分が裸?ゴムが無い?なんて言えば良いのだろうなアレな、見た目はスタイリッシュだが、オイラは滑るし硬いし使いにくい。フツーのゴムグリップが好きである。オイラが学生の頃はドクターグリップが大流行して、みんなこぞってあのムニムニした触り心地のペンを使っていた。オイラは高くて買えなかったな。100均で買ったよく分からないペンを使っていた気がする。

 

まとまった休みがあると、身辺整理をよくする。生活を見直すというか整えるというか、そんな感じだ。オイラの一番の趣味は「生活」なのでな。

そうそう、このお盆休みで「スマホでLINEニュースを見られないような設定に変えられた」のだった。LINEニュースを一通り眺めて最近知った出来事は「ひろゆきが政党を立ち上げる」だ。心の底からどうでもいい。この世の中には 愛したいどうでも良いもの が星の数程あるが、これはそうではない。それ以外の出来事は何も覚えていない、ただ「あーあ」という後悔する気持ちだけが残る。LINEニュースを見て得したことがない。なのに見てしまうのだ。

ということを友人に話したら、スマホを貸してみろと言われた。預けたら設定を変更され、LINEの下部メニューからニュースを消されてしまった。そんなことが出来るとは知らなかった。オイラのスマホからはもうLINEニュースを眺めることは、出来なくなった。良かった。命の恩人である。

ニュースは知りたい時にNHKやら新聞やらで知るので別に良い。偏向報道とか古臭いと言われることが多いが、偏っていて古臭いことが分かっていれば、それで良いのではないかな。オイラ自身、中立である自信が無く、決して新しくもない。開き直っているのではなくて、中立であり常に新しくあるというのは、すごく難しいことだと思うのだ。

最先端や真ん中という言葉は、時間と空間とを数直線や三角形状に捉えているからこそ生まれる言葉だ。しかし、時間や空間を球体のように捉えると、表面的な真ん中や最先端は、存在しない。球に中心はあるけれど、それは外側から見えるものでもないし。中心と重心は違うしな。

なんだかよく分からなくなってきたので終わりにする。これから昼ごはんを作ってアイロンがけをするのだ。チャオ。

本や言葉についての小さいこと

ことこと

図書館のサービスを使って、本を予約した。高山なおみさんの「毎日のことこと」という本。私はたまたま手に取った「気抜けごはん」で彼女のことを知り、それから日々ごはんシリーズを少しずつ読んでいる。すごく気に入っているので、少しずつしか読めないし、また同じ本を読んでしまうので、いつまで経っても日々ごはん全巻を読破出来ずにいる。

図書館に出かけて本を受け取り、電車の中で次は何を借りてみようかと、高山なおみさんのことをブラウザで検索した。すると、彼女が「日々ごはんシリーズ」を完結させるというニュースを見つけた。

へー、と思った。あまり悲しくはなかった。薄情かもしれないな自分は。

自分は高山なおみさんの考え方、いやなんだろうな、ものの捉え方?が好きだ。野性的というよりも自然的、だがスピリチュアルってわけでもないし、アウトドアっぽくもない。なんとも不思議な人だ。正直よく分からない、掴みどころのない人だと思う、そこがいい。

人間は、知らないことに迫るため、論理や神秘で以て正解を出そうとする。しかし彼女の場合はなんというか、正解に辿り着こうとする素振りがない。思い悩むこともあるが、いつまでも問題をこねくり回すこともない。自身が風に吹かれて飛んでいき、気がついたら答えの一つを見つけている……そんな感じに見えている。

見えているだけなので本当の所は分からないが、それは他のすべての人間だってそうだ。見えている部分、つまり彼女の書く書籍の雰囲気が、とにかく好きである。

「毎日のことこと」も面白かった。読んでて思ったが、ポジティブな文章だな。そこも好きなところなんだろう。これは村上春樹のエッセイにも感じるところだな。自分は本当にネガティブな人間で、そのネガティブさが毒のように、いつも私を苦しめるのだが、彼ら彼女らの文章に触れると、その毒が薄まるような気がして、助かっている。

風呂敷を畳むには、気力も体力も相当に必要だ。畳めてすごい、と思う。悲しくないのは、彼女の行為を尊敬しているからかもしれない。

 

格言

はてなでブログを巡っていた時、作家さんの個人ブログに偶然たどり着いた。そこでは「全ての物事の9割はクズ」という誰かの格言を利用していた。こういう場でこんな言葉が生まれました、私が昔読んだあの本も今考えたらクズでした、などと綴っていた。

それを読んでからというもの、本を手にとっては「この本もクズかもしれないな」「だって9割はクズなんだもんな」と思うようになり、本を読む楽しさが薄まってしまっていた。私は根がネガティブなので、そんな何気ない発言をいつまでも引きずる人間である。

今日、思い立ち、その格言について調べてみた。分からないまま引きずるより、分かって引きずりたい。

調べてみて分かったのだが、この格言は言うなれば、売り言葉に買い言葉に近い発言である。詳しい事情は割愛するが、特定のジャンルへの攻撃に対しての反論であり、それを周りが持ち上げたことで普遍的な格言に昇華された、ということだろう。

もう一つは、その作家は引用を間違えていたということだ。最初の「こういう場でこんな言葉が」の所から間違えている。この作家さんにはあまり関わらないほうが良いなと思えた。調べて良かった。

スタージョンの法則 - Wikipedia

私はあまり著名人の格言について詳しいわけではないが、諺なら幾つか知っている。「好きこそものの上手なれ・下手の横好き」なんかがそうだろう。この2つの諺は、反対の意味だ。なので状況に応じて使い分けることが出来る。

諺とは、都合の良い機会にその言葉が当てがわれることで、効果を発揮させられるものだ。諺は、ある事象が起きた後に人間から発せられる。そして諺は、考えたことや感じたことの正当性を補強する目的で使われる。……と思っているのだがどうだろうか。

なので、諺も格言も、それを最初に生み出した人以外の人間が、好きな事象と組み合わせて、好きなタイミングで好きなように使われている。まったくもってふざけていると思うが、私は諺が好きである。犬も歩けば棒に当たるなんてさ、ユーモラスじゃないかな。

一方で、私は他人の格言そのものには興味がないのだなと、調べてみて思った。その言葉を発した人間の思想や、その時の状況と照らし合わせなければ、その言葉の質が分からないからだ。普遍的な格言というものは、本当は無い。

ということで、結果として調べてよかったし、調べるキッカケとして作家さんのブログにぶち当たって?良かった。ということにする。怪我の功名に、した。

 

謎のイベントで古本を買った

先週くらいかな、ギリギリ近所で謎のイベントがあった。電車で30分圏内ならギリギリ近所という判定。予定もなかったので一人で行ってきた。

駅から10分程度歩いた。暑い。道が広いから影を作ってくれるものがなにもない。田舎は意外と影が少ないので、歩くには大変だ。道路と自然と住宅に囲まれた場所に、ピンク色の建物が見えてきた。写真スタジオが今回のイベント会場であった。

建物一階では、部屋の半分がフツー?の写真スタジオになっている。しかしもう半分では、射的が行われていたり、オシャレな食べ物、古着まで売られていた。なんだこの空間はと戸惑っていると、食べ物屋の店員さんが声をかけてくれて、ラスクと綿あめを試食させてくれた。綿あめは塩キャラメル味!買うとすげー高いので試食だけ。美味しそうなワッフルを買った。

急な階段を登って二階の部屋に入ると、更に驚いてしまった。天丼屋とカレー屋、コーヒーショップに古着屋、古本屋に花屋、DJブースに床屋まで、これらが一つの大きな部屋で出店していた。そう、今回のイベントは「近隣の個人経営の店で集まってお祭りっぽいことしよう!」という感じだった。のかもしれない。正直今もよく分かっていない。

大きな部屋に人が溢れている。建物の周りには本当に何もないのに、どこからこんなに人が集まったのだ。休日のショッピングモールよりも人口密度が高い。人々は、座って話してたり立ったままコーヒー飲んでたり、髪を切られたりしている。私はコーヒーとバナナケーキを注文して、近くのイスに座ってもそもそと食べた。最初は人の多さと異様さに緊張していたが、DJがかける?曲と人々から発せられる音を、まぜこぜにして聞いていたら、身体が馴染んできて、心地よくなった。バナナケーキが美味い!

DJというものを生で見たのだが、良いものだな。知らなかった。

コンサートって、演者?奏者?の人を応援するような形で、客である我々と奏者が一体となって会場の雰囲気を作っていくような、そういうものだと思っている。だから途中で入退室したらダメだよとか、食べたりしないでとか、そういう決まりがある。

だがDJブース(という言い方で良いのかすら分かっていない、素人なので)は、そこら辺が自由だ。好きな時にその空間にやってきて、好きに聞いて良い。人と人にまとまりがない。そこに癒される。コンサートも好きだが、なるほどこういう空間も良いものだな。

古着を眺めたり、古本をチェックしたりもした。古本屋の店長さんから、あの駅のそばで店やっているので良かったら来てくださいとも言われた。ふっふっふ。実は貴方の店については、このイベントに来る前に事前に調べてきたのだ。こんなパーリーピーポーなイベントに、古本屋が来るなんて大層変わってるなと思ってな。店長さんと本や、本屋のことをお話して、じゃあ今度の土曜日行きますねなどと話した。サリンジャーの短編も1冊買った。

さっきパーリーピーポーと書いたが、そんな感じの人はあまりいなかった。おじいちゃんが椅子に座って天丼食べてるし、1階で射的を楽しんだ親子連れがDLブースの前で楽しんでいるし、そのブースの横では若者が髪を切られているし、店員さん同士でコーヒー片手にお喋りしているし。うまく言えないが、非日常のイベントに日常を纏ったまま参加しているというのかな。自然体の楽しさがそこかしこに感じられて、なんとも言えない良さがあった。

私も小さい天丼を買って会場を後にし、離れた場所にある公園で食べた。あの建物を出てからまだ10分も経ってないし距離も離れてないのに、異世界に行って帰ってきたかのような気分。そんな気分で天丼をつついて食べた。

 

あーあの古着屋でラルフローレンのポロシャツを買っておけば良かったなーあの色良かったよなーと、今思い出しながらこれを書いた。

バナナケーキと天丼。どれも美味しかった。

 

夏の体調

散歩から帰って皿を洗って、水分補給をしてこのブログを書く。

7月になった辺りで、体調が悪くなることが増えた。大体は胃腸に関するもの、だと思う。去年も同じ様な時期に、同じ様な体調の変化があった。例えばコーヒーを飲むだけでゲップが止まらなくなるとかな。

以前病院で診てもらったが、特に異常はなかった。おそらく冷たいものの取りすぎではないか、ということだった。思い当たる節がありすぎる。冷たい麺類、冷たい水、アイスコーヒー。ぜんぶ美味いものだ。

さて今年、この体調の変化をどう乗り切ろうかと考え、水分補給に工夫をすることにした。なんてことはなくて、飲むための容器を変えたのだった。

今まで私は、象印の水筒を自宅のコップ代わりに使っていた。保温効果がばっちりで、いつまで経っても冷蔵庫から出したての水をガブガブ飲める。水筒なので一度に補充できる水の量も多いので、マメに継ぎ足さなくて良い。何よりゾウのマークがとっても可愛い。

だが多分、その冷たさが仇となっている。夏の身体には結構なダメージなのだ。だもんで夏の間だけ、プラの容器に水を注いで飲むことにした。放って置くとじんわり温くなり、しかし不味いわけでは全然ないので、たっぷり飲めている。これのおかげか、少し調子が良くなった。

 

温度が低いものは、いつもいつでも苦手であった。スーパーの鮮魚コーナー周りとか、もう寒くて仕方がない。若い頃は耐えられていた…というわけでもなく、若い頃も寒い寒いと震えて、風邪を引いたり身体を壊していた。昔から身体は弱いのだが、向こう見ずの間抜け男なので、弱い自分との付き合い方が分からなかった。

今私がブログを書いている部屋にはエアコンがある。のだが、その風が私に直接当たり、寒い。それになんだか目も痒い。エアコンのフィルター掃除をしてみたが大してホコリは溜まっておらず*1、これは風そのものが原因ではないかと疑っているところである。

しかし、作業場所である家のテーブルはデカくでゴツく動かせない。テーブルの脚が邪魔で、自分が座っているイスの位置を変えることも出来ない。エアコンの風向きを変えればいいが、何分古いのでその機能が言うことを聞かない。なすすべなく風にさらされている。

目ばかりでなく、最近は肩こりもひどい。これはゲームのやりすぎも理由としてあるのだろうが、寒さも原因ではないかと思っている。早急に対応すべき、我が家の案件である。

案件と言えば、この前MSFに3000円寄付した。普段からも月1で少額寄付をしているが、今はエボラ病が酷いらしい。MSFからメールが届いた時、私はタリーズでアイスコーヒーを飲んでいた。「オレが快適にアイスコーヒーを飲めているんだから、この人らが薬を受け取れないのはおかしいだろ」と思って、衝動的に寄付した。こういうことは衝動的にというか、道理や賢さを一旦捨ててやったほうがいいと思っている。罪悪感と言うよりは、もっとシンプルな……ま、私が向こう見ずの間抜け男なのは今も昔も変わらないのだ。

最近の体調については、特に書くことも無いので終わる。あ!そうだ。

私はコレステロールが高いので、3か月くらいに1回血液検査をし、毎日薬を飲んでいる。家族は「たぶん遺伝とかもあるからあまり気にしないように、でも納豆を食べると良いぞ」と教えてくれた。お医者さんからは魚を食べて毎日歩き、卵を食べるなと言われている。

で、7月頭にいつもの血液検査をした。結果は8月に出る。病院からの帰りに、何か食べて帰ることにした。ここまで頑張った自分を労うために。

メニューが数種類しかない食堂があり、そこに入店。チキンとキーマの半々でカレーを注文した。案の定ゆでたまごが乗っかっていた。これを楽しみにしていた所がある。とっても美味しかった。ここの味噌汁には、カレー用スプーンとはまた違う小さい匙が添えられており、食べやすい。その心遣いが嬉しい。

私が食べている間に他のお客さんがいなくなり、店長とそのお母さん、私の3人だけになった。すると店長とお母さんが「今日のお昼何にする?アレがあるからアレとあれで」等と会話をしていた。しばらくすると店長さんは別室に移動しご飯を食べ始めたのだが、その部屋のドアが全開になっており、私から室内の様子が丸見えである。だが店長はお構いなしにお昼ゴハンを食べている。二人でお昼を食べているようで、なんだか嬉しかった。店員さんと同じ場所でご飯食べていられるのって、なんか嬉しくないですか。

会計をすると、お母さんが入口まで見送ってくれた。ただカレーを食べたこの俺を、だぞ。ありがたいことである。また来ます。

今日はここまで。

その時のカレー。全部うまい。またコレストロール制限がんばろう。

*1:サーキュレーターと掃除機フィルターにはビッチリホコリが溜まっていたので掃除した!

ナスのような肌触り

日課の散歩をしていたら、2匹のアオスジアゲハが天に向かって飛んでいく様子を見かけた。一匹はその言葉の通りまっすぐ空に登っていくのだが、もう一匹は相手の周りをぐるぐる旋回しながら追いかけるように登っていく。これが二匹ともフラフラ飛んでいるなら、仲睦まじいな~とかケンカしてんのかな~と思えるが、まっすぐ登っていく方はもう片方など歯牙にもかけない様子でぐんぐん飛んでいくのだ。繁華街の客引きをスルーして家に帰ろうとする人みたいで、なんか格好が良かった。一瞬歩道の方に目をやって、また蝶を見ようと振り返ったら、もうあの二匹はいなくなっていた。野生動物って、目を離すとすぐにいなくなる。

 

散歩から帰って家事をして、それから午後まで作業をしていた。私は実況プレイ動画を投稿する活動をしているのだが、昨日空いた時間にささっと動画を収録しておいた。それをさっさか編集する。まったく手をかけない。なんならAIに任せても良いくらい。まぁ任せないが。動画編集は楽しいが、他の楽しいこともしたいのだ。例えばゲームとか。結局ゲームじゃん。いいんだよゲームが好きなんだから。ひょんなことから彫刻刀をゲットしたので、何か彫ってみたいなとも思っている。したいことは全部やろうと思っている。

 

午後の2時になり、支度をして出かける。移動中はポッドキャストを聴いていた。ぼる塾のトーク番組。餅などに入っているアンコの話になり、アンコはSNSに載せる奴が全然いないだけでアンコ離れが起きているわけではない、SNSがすべてなわけがない、家族は大切だがSNSに載せないそれと同じだと話していて、その通りだなと思った。自分が見ているものが全てではない。それはアンコだろうがなんだろうが同じである。私はデイリーヤマザキに売っている芋饅頭が好きです。

 

駅から少し離れた場所にある、病院へ着いた。検査の結果、カンジタ菌はいなかったとのこと。薬を塗っていたら痒みは大分おさまりましたと伝えたら、軟膏一本使い切るまで塗り続けて、それで痒みがなくなったらもう大丈夫ですと言われた。会計は430円。今日はズボンは脱がずに済んだ、ちょっと安心。そう、今回は肛門科に行っていた。1か月ほど前から肛門が酷く痒く、市販の薬を塗っても良くならなかった。不安に思って人生二度目の肛門科に行ったのだった。一度目は学生時代、切れ痔が全く治らないのでガンかと思って病院に駆け込んだ。あの時の先生に初めて肛門に指を入れられ、びっくりして「うわー!」と叫んでしまったことを、今でも覚えている。結局薬を塗って治った。あれから十年以上経ち、二度目の肛門科であった。ここの先生は優しく丁寧に診てくれるし話も聞いてくれた。看護師さんも私が股間を晒さないように気遣ってくれて、非常に安心した。肛門を触診する時も声をかけて下さったので、全く驚かなかった。

 

ルンルン気分で買い物をする。ユニクロで新しいパンツを2枚買った。うち一枚はエアリズムシームレスボクサーパンツというもので、触り心地が面白い。特にゴムの部分がつるつる。適切な表現かは分からないが、ナスのような肌触り。尻を締め付けるような下着はやめたほうが良いと、先生に言われたので下着を買い直したのだった。

 

その後カフェで休憩。私の席の周りには一人しか客がいなかったのだが、その客がZOOM会議を始めた。話を聞く限りでは、どうやら動画か映像作品を作るかどうかの案件なようで、客は自身の腕を売り込む側の人間であった。「バズる動画を作りますよ」と、ノートPCに向かって、ハッキリ言った。私は肛門に指を突っ込まれる程度にビックリした。まさか世の中には、本当に、バズるための動画を拵えるクリエイターというのがいるとは。そして本当に、バズらせようと話を持ちかけるとは。歳の頃は30を過ぎている。キャップの似合う男性だ。話は続き、自分がいかに優れた存在なのかをアピールし始めた。動画だけでサラリーマンくらいの月収は稼いでる、借金をしてひどい目にあったがそれを元手に映画を撮った、そのスタッフの中にはシン・ゴジラの照明をやった人がいたんだ、など。私は恐ろしくなって、まだ残っているアイスコーヒーをズコーッと飲み干して、さっさと片付けてその店を後にした。

 

私は自己アピールがとても苦手である。履歴書は100枚ほど買って5枚程度しか完成させたことがない、それくらいには自分の経歴や長所などを人様に伝えるのが苦手である。自分は何者でもないと、心から思っている。実況プレイ動画を拵えて投稿する活動も、別に誰かにチヤホヤされたくてやっているわけではない。されたら勿論嬉しいが。本当は、ただゲームが好きなので、遊ぶついでにカメラを回しているだけだ。Vlogだ。そして私は何者でもない自分が結構好きだ。そういう奴なので、ああいうアピールを聞いていると前頭葉がチカチカしてくる。

 

家に帰り、買ったばかりのパンツを試しに履いてみた。ツルツルしてて面白い。水着みたいと書いたら伝わるか。生憎、男性用の水着以外は試着したことがないので分からないが。それから数時間後、今こうやってブログを書いている。カフェで余り物の食パンを買ってきたので、明日はこれで何か作りたい。今日の晩ご飯はゴマダレの冷やし中華の予定である。昔練りごまを買ったことがあったが、使い勝手が悪くて悪くて、結局ほとんど使わずに捨てた。自分には、ゴマダレは市販のもので充分であると結論を出した。以前拵えたホットケーキについての記事にも、似たようなことを書いた記憶がある。ホットケーキミックスを自作してみたり、ゴマダレに挑戦したり。やってみると、自分に向いている素、向いていない素があることを知れる。カスタードクリームと冷やし中華のタレ(醤油)は自作が好きだ。そういえば最近カスタードクリーム作ってないな。今度やるか。

早起きして腹を壊して一日を終える

eq2p7z5fe.hatenablog.com私は友ではないけれど、ブログを購読しているので手紙を受け取った、ことにした。ご迷惑でしたらすみません。

晩ご飯は春雨の炒め物を作る予定。立ち寄ったドラッグストアで永谷園の麻婆春雨シリーズを眺めていたら、なんだか食べたくなって、でもただの春雨だけ買ってきた。自分でイチから作ってみたくって。

参考にしようと思い永谷園の方のパッケージをよく見たが、春雨は50gしか入っていないことが分かった。意外だ。タレというか具というか、それらが150gくらい。今は塩味や担々味なるものもあって、どれも美味しそうであった。学生の頃は月に1度は食べていた。

 

今日は朝から腹が痛くて、午前9時から午後の3時まで布団の上で悶えていた。それもこれも、朝早起きしてスタバの新商品を飲みに行ってしまったせいである。

バナナアフォガートとかいう名前で、上に生クリームが乗っていないタイプの冷たいドリンク。これなら私も好きかもしれないと思い、ドーナツと一緒に注文した。味は美味しいのだが、なにせ今日は朝から曇っており、外は寒い。そんな中、食い意地と探究心に身を任せてバナナのそれを飲み切り、バッチリお腹を壊してしまったのだ。

「早起きして腹を壊して一日を終える」なんてバカみたいじゃないかと悔しくなり、少し痛みが和らいだタイミングで自宅を飛び出した。外は雨。好都合だ、雨の散歩が好きであるから。街の彩度が低くなる。

練習試合終わりの中学生や保護者の方とすれ違いながら、30分ほど歩いた。小雨が降っている中、橋の上から川の流れを見つめたりもした。なんだ歩けるじゃん私すごいじゃんと喜び、満足して自宅まで歩いて帰った。

帰る途中、ファミレスの前を通り過ぎたが、今日ドーナツ以外何も食べていないことに気付き、引き返して入店。揚げ餃子と蒸し鶏のサラダを注文して、ただ黙って食べた。食べ終わるやいなや、親子連れの団体がやってきたので、そそくさと退散。

今日は良い日とは言えないかもしれないなぁとか、それでも歩いた自分を労いたいなとか、慌てて店を出たから水を飲んでなかったとか。そんなことを考えながら歩いた。お茶を買うためドラッグストアに入り、そこで春雨と出会ったというわけである。

「自分の機嫌は自分で取る」という言葉があるが、あれは誰かの機嫌(自分も含む)が悪い時に唱えるものであり、まるで呪文だなと思う。どこか少し、機嫌の悪い人間(自分を含む)を突き放すような物言いで、「えんがちょ」にも似ている気がする。私は私の機嫌を取るため朝バナナアフォガードを注文し、昼は雨の散歩に出たが、うーんどうだろう。まずまずといったところか。

 

人様のブログにかこつけて、自分の日記を書いてしまった。しかし手紙のやり取りというものは、自身の日記を送り他人の日記を読むことに、近いような気もする。とりあえず寒いので温かくして過ごそう。春雨炒めの他には、昨日発掘した乾燥ひじきを戻して煮る予定。

ぺなぺなのパンケーキを焼く

目覚めると時計は午後6時半を指している。予定もないのでこのまま一日寝ていても良いが、さてどうしようか。頭の中で、自分の家の中をぐるりと一周した。パンケーキの粉の余りが棚の上にあることに気が付く。じゃあそれを焼いてみようかと、ヨイショと身体を起こした。

パンケーキの粉は、GW直前に買ったものである。長期休暇中に楽しいことをしたくて、今まで買ったことのない、ちょっと高いホットケーキミックスを買ったのだ。粉は150gが3袋分あり、うち1袋分をGW中に使って食べた。いつもの粉と違ってもっちりとしている気がして、これはこれで美味しかった。

普段は、テキトーに訪れたスーパーで、一番安い粉を買っている。さっぱりとしていて美味しいと思う。一時期、自分で材料を合わせてホットケーキミックスを自作していたこともあったが、フツーに売ってるホケミで充分美味しいと思ってやめた。

”ホケミ”という略し方は好きではないが、いちいち「ホットケーキミックス」と書くのはめんどくさい。パンケーキとホットケーキの違いは分からない。呼びたい時に呼びたい名前で呼んでいる。

 

共にGWを乗り越えたホットケーキミックスを、溶いた卵と水250g注いであるボールに入れ、菜箸でよーく混ぜてしばし放置。粉のパッケージ裏には「卵1個・水150g」と書いてあるが、その表記を無視した。

今のパンケーキの気分は、厚みのあるタイプでも、しゅわしゅわと柔らかなものでもない。ぺなーっと薄くてもちもちしたパンケーキ。それを目指し、水の分量を多くしつつ、よく混ぜてグルテンに頑張ってもらう作戦である。確かアメリカの方では、そういう薄いパンケーキが出てくるらしい。

いろんな国のパンケーキやその仲間のことを知ってから、おおらかになった。今日はああいうものが食べたい!と思ったら、その通りになるように作る。一つの料理とその類似品に着目しても、またその料理の作り方を見つめても、世界のそれぞれはあまりにも多様で面白い。

この前は図書館で、エジプトの子供の生活を紹介した本を読んだのだが、その家の母親がカーペットの上にペタっと座り、料理道具を広げて調理していて、結構ビックリした。台所じゃなくて、テーブルの上じゃなくて良いんだと思った。

 

溶いた粉をお玉ですくって、熱したフライパンに広げて焼く。今日は鉄のフライパンを使った。鉄のフライパンは今までに幾つか試したが、無印良品の小ぶりのものを気に入り、数年ほど使っている。鉄のフライパンは手間がかかるという問題があるが、無印のはその手間を省くような加工をしており、またサイズが20cm程度の小さなパンなので、手入れが比較的楽なのだ。「小さいタオルと大きい布団はどちらの洗濯がラクか」という話に似ている気がする。

じんわりと焼いて、表面に気泡が出てきたら、シリコンのフライ返しでひっくり返す。このフライ返しは去年無印で買った、ヘラ部分が長いタイプ。このヘラだと、お好み焼きやパンケーキなどを掬っても安定しているので、不器用な私でもひっくり返しやすい。勢いに任せてバチーンとひっくり返すと悲しいことになるし、皿やフライパンの蓋を使った返し方では、失敗した時が悲惨である。

 

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こう書いていて思ったが、私は結構自分なりに、自分と向き合いながら料理を続けてきたのだな。こういうことが苦手だからアレを使おうとか、コレを使いたいけど面倒だからもっと気軽なものにしようとか、ああいうものが食べたい時はこんな工夫をしてみよう、とか。自分は飽きっぽいのだが、自分自身と向き合うことには飽きなかったのだな。そうか。

そういえば最近、上田淳子さんという料理家の方がやっている「料理たのしくなる相談室」というPodcastを聴いている。上田さんが、料理ってどうやったら楽しく出来るのだろうか?と考え、作り方や向き合い方について話す内容だ。◯◯はこう食べろ!△△したらダメだ!等とは言わず、丁寧に優しく伝えるところが好きである。そして少し参考になる。

そう、「少し」参考になる。例えば上田先生の仰っていたサラダの作り方や、お弁当の副菜の捉え方、あとは豚肉の焼き方。これらの回を視聴し、今まで私が気付いていなかったことに気付けて、私のご飯支度に関する技能が増えたような気がする。特にサラダ作りについては自分を満足させられる腕前になった。

しかし他の回、例えば魚の調理全般についてや、蒸し物やレンジ加熱についての回など、私が既に知っていたり身につけていたりすることについて、番組で話していることも多い。この文章を書いている2026年5月現在で、料理たのしくなる相談室は109回配信されているが、うち50回以上は既に分かっていること・知っていることについて語られていたのであった。

 

たかが半分、されど半分である。たとえ知識として分かっていたとしても毎度の調理で必ず行えるわけではなく、また同じ調理をした所で料理家の方と私では天と地ほどの差がある。しかしそれでも、料理について、私は気がついたら様々なことを知り身に付けてきたのだなぁと思ったのだ。一人暮らしを始めてから10年以上、自炊を続けてきた結果だ。

コレに関しては、自分自身を褒めたい。よくここまで生きてきて、色んなご飯を作ってきた。失敗してもめげずに本を読んで挑戦して、自炊を続けてきたものだ。自炊をして10年以上ということは、私は私にご飯を食べさせて10年以上経ったということになる。

作ってきた自分に対して、食べてきた自分から称賛を贈りたい。誰かにご飯を食べさせてもらえたら、感謝を伝えるだろう。それと同じだ。自分ありがとう。そういう気分に、料理たのしくなる相談室を聴いていて、なったのだった。

あ、参考になるかどうかは関係無しに、料理たのしくなる相談室略して”りょうたの”は楽しいので、これからも聴き続けます。聴いていると自分も重い腰をあげて料理したくなってくるので助かっている。料理が上手くなるではなくて「楽しくなるコツ」を教えている所がとても良いと思う。

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ぺなぺなのパンケーキを1枚焼いては、別で用意した大きめのフライパンの上に置き、鉄のフライパンにサラダ油を薄く塗って、またお玉から生地を注ぐ。皿ではなくフライパンの上の方が、冷めにくいような気がする。3枚ほど焼いているうちに、仕事であったイヤなことを思い出した。

私はご飯支度をしている時に、特に単純作業であまり脳を使っていない時?と言えば良いのか?分からないが、そういう時にイヤなことを思い出す。アレは一体何なんだろうな。皿洗いの時なんかは毎度毎度思い出すのでイヤになる。(あ、このことを”りょうたの”にメールで相談すれば良いのか!)

「イヤなことを思い出したら太ももを軽く叩き続けると良い」と教わり、実践したことがある。最初は効いてくれのだが、段々それも効果がなくなってきた。世の中の人はどうしているのだろう。

イヤな気持ちになったので、友人に連絡した。その話を伝えると「ソイツ(仕事先のイヤな人)は死んだほうが良いな」と怒っていた。そこまで言わなくて良いんじゃないかと思う。が、気持ちはスッキリした。代わりに怒ってくれたり、なんならただ話を聞いてもらうだけで随分ラクになる。最近は傾聴の本が流行っているけれど、分かる気がする。話を聞いてもらいたいんだよな。

りょうたのもそういう効果があると思う。料理の本にすら書いていないような小さな困りごとを、誰かに聞いて欲しい。聞いてもらうだけで解決することってある。

 

友人で通話しながら、7枚の薄いパンケーキが完成した。家にある、貰い物のメープルシロップと、カロリーハーフのマーガリンを少しずつかけて食べる。とっても美味しい。この薄いパンケーキは、1枚をぺろんと食べてもいいし、重ねて食べても良いところだ。それぞれに美味しい。フチの部分がカリッとしている所も良い。焼く時に厚みを出さぬよう、フライパンに注がれた生地の中央部分を、お玉で少し凹ませたのも良かった。

8年以上前のことだが、SNSで 料理が出来るようになってきた と投稿したら、フォロワーから「だったら◯◯作ってみろ」と、聞いたことのない料理名を言われ誂われたことがある。

それはどんな料理ですかと聞いたら、ミャンマーで祭りの日に食べる特別な料理だと教えてもらった。彼とは多分、料理が出来るということに対する考え方が違う。

卵焼きにしろ茹でブロッコリーにしろ、自分が作りたい料理をどう作るか、そのイメージに近づいた料理が出来るか。それが可能であることを「料理が出来る」と言うのではないか。私はそう考える。

カキフライが作れると宣って、そのフライを半分ほど爆発させたり、それで腹をくださせたりした場合「カキフライを作れる」とは言えない。まして聞いたことのない、食べたいと思っていない料理を作って、それが何になる。自分が食べたいサラダを作る。子どもが食べたい弁当を作る。それが出来るというものではないか。

まぁ私なら、半分爆発したカキフライもありがたく食べるが。好きなので。

料理好きの人間が二郎系ラーメンを自作し、実際の二郎系ラーメンの店長さんに食べさせた記事のことを思い出した。あれは面白かった。再現性もさることながら、店長の「どんな二郎が作りたいか考えてみて」という意見に対し、笑顔で応えているライターさんが印象的であった。あれはいい記事だった。

 

珍しく沢山文章を書いてしまった。私が思っていたよりも私は、料理全般の話が好きみたいだ。GW中は何度か外出し、外でご飯を食べもしたのだが、結局は自分で作るのが一番好きであることに気がついた。

新玉ねぎをくし切りに切って鍋に入れた時の香りや、冷蔵庫から出したばかりの肉を指で摘んだ時の冷たさ、サバ缶を食べ終わった後の空き缶の生臭さ。ああいうものを感じられるのも、自炊の良いところだと思うのだ。

出来たパンケーキと、昼飯に作った冷やし中華(豚肉・キュウリ・キムチ)。

日記 拾った傘・ナポリタン

この日の天気は曇り時々雨。差したり閉じたりが面倒だったので、普通の傘を持って出かけた。

前回のブログには、折りたたまないタイプの日傘を悩んでいると書いた。そんなもの悩まずにすぐに買えば良いのだが、それを買ったら今使っている傘がいらなくなってしまう。それはなんだか寂しいので、悩んでいる。

今の傘は、確か会社で捨てられそうな所を貰ったんだったかな。その日の仕事が終わって会社を出る直前、雨がザーザー降ってきた。傘を持ってこなかった私は、給湯室の片隅にまとめられていた「忘れられもうすぐ捨てられる傘たち」の中から一本拝借して、それを差して帰ったんだ。

その傘はどこか不思議で、でも他の傘と比べてもどこが違うのかが分からない。そんな傘が気になったので、手にとったのだった。家に帰って傘を畳む時に気がついた。傘の先っぽにマークが書いてあるし、傘の骨の部分が金属ではなかったのだ。

+TIC | Caetla(サエラ)

調べるとこの傘には、制作会社の色々な思いが込められているようだった。そうとは知らず、一番ピンときたというだけの理由でこの傘を持ってきたオイラは、なかなかにラッキーボーイかもしれない。

次の日にこの傘を会社に持っていって事務さんと話し、自分のものとした。それから……1年くらいか。この傘を使い続けているが、今のところ困ったことはない。傘の先っぽが平たいので危なくないし、骨の部分がサビないので綺麗なままだし、傘の表面にエンボス加工がされており濡れたまま畳んでもくっつきにくい。ゴミとして出会った傘だが、随分気に入った。壊れても部品を交換できるそうだ。

雨が降った次の日、骨が折れ無惨に捨てられている傘を見ると、傘もかわいそうだし、それを差していたであろう人のこともかわいそうになる。嫌だよなぁ傘が壊れるのって。

私の手が塞がっておらず、かつもうすぐ家に着くという状況でのみなのだが、私はそんな道端に捨ててある傘を、家に持って帰る。そして分解して、次のゴミの日に出している。その方が、傘も浮かばれるんじゃないかと思って。なお横浜市では、傘を分解して出せば金属ゴミとして無料で出して良いということになっている。

 

傘の話が長くなった。今日は友人と「有名なチェーン店のナポリタンを食べてみよう」と決めていた。そのために集まったのだ。しかし集合時間が昼飯には少し早かったので、それぞれが欲しいものを買うためにアチコチ歩き回った。

私は仕事用のズボンを1着買った。ユニクロの、スッキリとした形のもの。私は短足なので、くるぶし丈のズボンと表記されているのにも関わらず、脚の長さがピッタリであった。ラッキーだ。

今までのズボンは履き心地も良かったのだが、仕事から帰る頃にはなぜか脚が痒くなってしまっていた。綿や化繊など生地の種類の問題かと思ったのだが、調べてみると、少しゆったりと肌に触れている状態のほうが、痒くなりにくいことが分かった。

他にも生地の織り方や加工、柔軟剤などの問題もあるそうで、肌の痒みと衣服の問題は奥が深い。とりあえず密着していると痒くなるのかもしれないので、ゆとりのある新しいズボンを買ったのだった。まだ使えるのに捨ててしまうのは勿体ないので、今度ブックオフに持っていって引き取ってもらう。

先程の傘の話と少し繋がるんだが、金や土地に僅かばかり余裕が出たとしても、私はポンポンと物を買えない。その理由は幾つかあるけれど「買うということは未来のゴミを一つ増やすことでもある」とも思っているから、かもしれない。物を手に入れることへの覚悟というか責任というか、それが関係しているのかも。

そういう責任感が私よりもっともっと強い人は、ハナからユニクロで衣服を買わないかもしれないな。傘もささないかも。

 

暇なので本屋もぶらぶらした。絵本コーナーにあった本をペラペラとめくり、なんか驕ってるなぁこの作者と思いながら、ナポリタンの店に向かった。時々そういう絵本に出くわすと、少しブルーな気持ちになる。新書でも単行本でもなく、絵本で出会うと落ち込む。

うさを晴らすかのように、店でナポリタンを注文した。友人はオムレツとハンバーグが上に乗ってるナポリタンの小、私はノーマルなナポリタンの並。テーブルに置かれた料理を見比べると、明らかに小の方のボリュームが多い。これがトッピングの力かと二人で慄いた。

ナポリタンには油がしっかりと使われて作られており、その上鉄板で提供されたので、熱々。ナポリタンの小さな山を掘削するようにガツガツと食べた。食べ終わり、私は大盛りでも全然大丈夫だなと思ったが、向かいの友人の方はというと、白目をむいて寝かけていた。

食べ物にはそれぞれ好みの温度がある。冷やし中華がぬるいのはイヤだが、買ったおにぎりは冷たいほうがいい。確かジェノベーゼのパスタは少しぬるいくらいが美味しいとシェフが言っていたが、私はピンとこない。というかジェノベーゼではなくバジリコのようなものが好きだからな。ともあれ、ナポリタンはアッツアツが好きだということが分かった。

 

本も眺めたしズボンも買ったし、うまいものも食べたので満足。ダラダラせずにさっさと帰った。晩ご飯は貰い物のタラコでパスタを作って食べた。麺料理は何度食べても飽きないが、脂っこいものは昔から飽きやすい。バターは控えめにした。

湿気た海苔を焼いてバリバリかけて食べた。美味しかったです。