wander around holding a soft oval

日記や雑記を書いています。それらの違いは分かりません。

しっかり歩くがしんどい時もある

夏の間はバスに乗る。暑くて歩いてられないから。

日が沈んでから会社を出るので、帰りは大体歩く。だがそれ以外は別だ。2025年よりマシだとしても、暑いものには変わりない。汗をかくのは嫌いじゃないが、汗だくの中でお客様と会うのはちょっとなぁ。

バスは好きではない。来て欲しい時間には殆ど来ないからだ。それはバスの運転手さんや運営会社のせいではないし、バスの前を懸命に走っている自転車のせいでもない。バスというのは時間通りに来ないのだ。遅れてやってくるものだし、なんなら1分ほど早くやってきてしまうものなのだ。だもんで暑い日にしか乗らない。

 

最寄りのバス停で、暑い中立ち続ける。昔はここに大きな木があって、それが日差しをやんわりと防いでくれていた。今は邪魔になったのか、切り株さえもなくなってしまった。木は人間よりも沢山生きるからすごいと思うのだが、人間はその木を気分と都合でアッサリ死なす。木のことを思い浮かべるので、このバス停を使うとさみしい気持ちになる。

数分遅れでバスがやってきた。席は殆ど埋まっているので座れない。立っている方がラクなので別にいい。バスは酔う。スマホなんか眺めてるとまぁー酔う。会社に着く前に気持ち悪くなってしまうので、立っていたい。自分自身が他の乗客の邪魔になるようなら諦めて座る。

殆ど席は埋まっているが、私の目の前にある二人がけの席、その奥側が空いている。私のそばつまり通路側には、女性のご老人が座っている。バス内はかなり混んでいるが、ご老人は席をつめるつもりは全くなさそうだ。

仕方がないと思う。そのまま何もせず、会社まで乗って行った。ご老人は私が降りる一つ前のバス停で、がんばって降りていった。そう、がんばって。

そのご老人は、おそらくだが、奥に詰めることが出来なかったのだと思う。多分身体の調子が悪く、降りる際に身体をずらし、その上で腰を上げて座席から降りて、という一連の行為が しにくかった のだと予想している。私の目の前に座っていたので、降りる時に思わず声をかけたほうが良いのではと思うような、身体の動かし方であったから。

たかが身体を一席分ずらすだけ、その「だけ」が出来ないことがある。

交通量が多いような道路に、押しボタン式の横断歩道があったとする。ご老人は、家から出て10m先のその横断歩道まで行かずに、車の間隙を縫って、目の前の道路を大急ぎで渡る(そして車にクラクションを鳴らされる)。そんな光景を何度も見かけた。地域性や性格の問題もあるだろうが、その他に 10m先に足を運ぶだけがしんどい という理由もあるのだ。それをどこで知ったんだったかな、確か爺さんから直接聞いたんだったか。

うちの母方のばーちゃんは、ばーちゃんの息子である叔父さんと一緒に暮らしている。ばーちゃんは97歳なのにしっかり歩く。しかし総合病院内を歩いて内科だの整形外科だのに行く時には、車椅子で移動するそうだ。しようと思えば出来るけど、しんどいのだよな。

 

だからどうしたという話なんだが。私から見たらアッサリ出来そうなことが、他人には出来ないということが、ある。そしてそれを私は気付けないことも、ある。あるのだ。

白杖を持っていたら目が悪いのだな等と、見ただけで分かる場合も多い。しかし、本当は風邪を引いていて階段を登るのも辛い大学生だっていただろうし、一見元気ハツラツだが本当は腹痛で今すぐトイレに篭りたい人だっていた、今日の仕事中の私がそうだ。

私の場合は、お客様の前で放屁ないし脱糞など出来るはずがないし、しかしお客様に「はらいたいっすわー」と言っても何の意味もなく、私が今出来ることはお客様が目の前の書類を読んでもらうフェーズ にたどり着くまで最速で仕事を進めることだ、と、普段の1.1倍の笑顔を振りまいて仕事をしていた。

そういうことって絶対にある。腹痛は仕事が終わったら何故か治ったのでラッキーだったが、老化で身体を動かしにくいとか、ずっと落ち込んでいてうまく物事を考えられないとか、いつもほんの少しだけ嘘をつき続けながら円満な関係を続けているとか、見えてないし障害とは言えないけどしんどさを感じている人って、いるよなぁ。

じゃあ皆辛いかもしれないから、皆に配慮しよう優しくしよう!って話になるのは、私はなんか変だと思う。悪いが、皆には配慮できない。絶対に、ぜっっっったいに、その手からこぼれ落ちる、いや違うな、配慮するためにわざと、こぼし落とすものがある。バス停の木のように。

それでも出来る限り優しくしたいなぁと思う。もうすぐ秋が来てくれる。バスを待つのはもうイヤだ。

最近聴いているもの・聴かなくなったもの

最近は、香山哲さんのYoutubeでの動画を聴いている。動画と言ってもほぼ静止画+語りなので、Podcastに近い。寝る前だったりご飯支度をする時だったりに聴いている。本人は、喋るのが上手くないと言っているけれど、どうかそのままでいて欲しい。

差し障りのある書き方だけど、素人っぽさが残っている方が、私は好きだ。「岸政彦のちくわ日記」というPodcastも、学者さんであるからこその垢抜けなさがあって良い。最近聴いてないが。香山さんも岸さんも、彼らなりに(多分)がんばっている所もいい。

 

どちらかと言えば……ラジオは勝手にかかっているもの、というイメージが自分の中にある。聴き始めるその動機が、より能動的なのがPodcastだ(Youtubeとかも)。だからPodcast番組と推しには、ラジオよりも、深い繋がりがあるように思う。でも自分には推しというものがいないから「番組の内容が微妙なのに活動の一環として無理に追いかける」というようなことが出来ない。

ちょっと前まで、ぼる塾さんの番組をPodcastで聴いていたが、あれは視聴を止めてしまった。美味しいものを食べる→美味がる→食べ物について語る の流れがずーっと続いていて、飽きてしまった。自分は飽きっぽく、それでいて偏屈な人間なので、1つの番組をながーく追いかけていられない。すぐに気に入らなくなって止めてしまう。あまりいいことではない、気がする。

 

微妙だと思うこと、音声配信番組に求めていないことは色々ある。同じ流れのことをやっているとすぐ飽きて視聴をやめる。だから正直、コーナーとかも全部ナシで、フリートークだけを延々とやっていて欲しいなって思っている。リスナーからの投稿を読んで話してまた読んでという流れも好きだが、その投稿はコーナーへの投稿ではなくて、フリージャンルであって欲しい。

ネタ投稿も良いな。コサキンのネタ投稿コーナーはお題がコロコロ変わるので面白い。一方ロッチさんの番組での、ネタコーナーの一部は、世間に物申す!みたいな雰囲気が好きじゃない。リスナーが物申したとして、ロッチは演者なんだから、その発言に対して批判や否定がしにくい。で、批判したらしたで場の空気が変になってくるし。聴いている私にとっては良いことがあんまりない。

投稿の内容も、書かれた文章から「この人面白くないな+この人の性格が嫌だな」と思ったら、出演者の人がいくら好きでも、その番組から距離を取ってしまう。ファンにムカついたらそのファンの推し対象からも距離を取るのと似ている。書けば書くほど、自分って心が狭いな…と思えてきた。

番組内でゲストが来るのもちょっと困る。私はゲスト回は全てスルーする。私はその番組の出演者が語る内容が好きで、というかその番組の内容が好きで聴きに来たのに、聴いてみたら自分が求めていたいつもの番組の内容と違うわけだ。違う番組を聴いていることと同じ。これが例えばラジオなら、仕方がないので聴いていられる(し聴いていると面白かったりすることも多々ある)のだが、Podcastだもの。じゃあ結構です、となってしまう。飽きっぽいならゲスト回なんて大好物だろ!って自分でも思うのだけど、そうはならないのだ。

 

気に入らないと言えばこういうこともあった。愚痴のような話ばかりですまない。

しばらく配信を休んでいたとあるPodcastが、先日急に配信を再開したのだ。地方でのラジオ番組のアーカイブを、Podcastに投稿していくスタイルだった。番組の内容自体は実に面白く、いつも追いかけていた。

半年ほど前、2026年1月から、Podcastの更新がピタッと止まった。調べてみると、地方のラジオ番組自体は何事もなく放送されている。Podcastだけが止まったのだ。それから何の音沙汰もなく数ヶ月が経ち、もうPodcastはやめてラジオ一本でいくのかなーと思っていた。

で、今年の8月上旬に、これまでPodcastに投稿されていなかった半年分の番組アーカイブが、一気に公開されたのだ!嬉しかった!……のだが、番組内でも、番組のお知らせをするSNSアカウントでも、Podcastを休止していたことには触れてくれなかった。Podcastを始めた頃は、番組内でも宣伝していたのに。

そんな番組に対して私は不誠実さを感じ、あれだけ好きだった番組の視聴を、やめてしまっているのだ。その程度のことで好きだったことをやめてしまうそんな自分を、矮小な存在に感じてしまい、友人に相談した。「それは絶対クレーム入れたほうがいい」と、私よりもずっと怒りつつ提案してくれた。びっくりした。もしかしたら私の方でお知らせを見逃している可能性もあるかもしれないので、番組宛にや~んわりとメールを送った。どうか私の見逃しであって欲しい、メールを無視されて欲しい。

 

ううーん。やっぱり苦手だ。自分の好きじゃないものを語るのは。不平不満はいくらでもあり、口をつつけばいくらでも出てくる。しかし、それを語る自分を、私はイヤな奴だなと思うので、こういうことを語るのは苦手だ。清く正しく美しくありたい、冗談でなくて。

不平不満というわけではないのだが……この前から「ぼ◯ぼの」というアニメを観ている。知っている人も多いと思う。Youtubeの公式チャンネルがあり、偶然◯のぼののことを知って、毎週更新される回を欠かさず観ていた。私は丁度ぼのぼ◯世代らしいのだが、なぜか今まで観てなかった。それを後悔するくらいには面白かった。

のだが、今公開されている140話を観ていたら、スゲー嫌な奴が登場したのだ。ぼの◯ぼのにも乱暴者や変なやつは出てくるのだが、毎回救いがあるというか、納得出来るというか。まぁ良いか、と思えていたのだが。140話の嫌な奴は、別の登場キャラクターを酷い目に合わせて、その回が終わってしまった。ただ酷い目にあったキャラクターが可哀想で終わり。えぇ…と思ってしまった。

私はああいうキャラクターがどうも苦手だ。どれだけコメディータッチに描かれていても、不憫でならなくなる。嫌な奴が苦手というよりも、そんな奴に酷い目にあわされっぱなしのキャラが苦手なのだ。こうなってしまうともはや、ギャグとして観ていられなくなってしまう。笑えないのだ。子供の頃からどうも苦手でなぁ。ギャグ漫画で言うと、スーパーマリオくんなんかは登場人物全員酷い目にあうので面白いんだが、ただ一人だけ酷い目にあっていると、ただ虐められてるようで。ギャグをギャグとして受け止められないのは、悪いところだよなーって思うのだが、その受け止め方がこの歳になっても未だに分からない。

 

なんの話をしているんだか分からなくなってしまったので終わろう。終始私が好きじゃないものの話をしてしまって恐縮する。好きなものを好きでいるのは、運が何よりも大切だな。

お盆に身の回りを整理する

お盆に入ったので、毎年恒例行事。上着を洗濯した。オイラは普段会社に置いてある上着を着て仕事をするんだが、あまり汚れないのと、会社でしか着ないのとで全然洗濯しない。それでもお盆と年末年始には持って帰って、ワイドハイターに漬けてから洗う。なんとなく見た目がスッキリさっぱりする。家の台所のシンクも、ぱっと見汚れてなくても、泡ハイターとかで洗うといい感じになるのに似ている。ハイターの匂いは嫌いじゃない。

お盆休みの前日、会社でオイラが上着をカバンにしまっていると、それを見かけた事務さんに「キミは自分のものを綺麗に使おうとするところがいい」と褒められた。ありがとうございます。まぁ確かに、オイラより若い子たちは上着のそのままにしており、襟元がうっすら黄ばんでいるようないないような、そういうのもあったりもする。だがそこは、若さで補えている気がする。

昔聴いていたラジオで「年取ってから古着着るじゃん、そーすっと全然カッコよくない、ただ古い服を着てるだけの中年になっちゃったんだよねー」と、清潔感もあってスタイルもビシッとしている人が、自虐的に語っていたのを覚えている。古着にも状態があるので一概に言えないと思うが、でも言いたいことは分かる。だらしなさとかをカッコよさに出来なくなる。漫画で言うと、銀魂の坂田銀時いるだろ、あの人も60歳であんなだったら全然カッコよくないと思う。ということで、今年も上着を洗うのだ。

清潔感と言えば、今私はチェックのシャツが欲しい。首までボタンがついてる半袖のシャツ。以前伺ったイベントで、DJの女性がそういう服を着ていて、おーピシッと着てるとカッコイイなーと思ったのだ。それからどこかに買い物に出かけては、あの時見たチェックシャツを探している。家に服はそれなりにあるんだが、アロハっぽい、ダラッとしたシャツばかりなので、今の気分にそぐわない。今年のお盆は服の片付けもしよう。

毎年、お盆に実家に帰省しない。お盆中は実家が忙しいので、帰ると煙たがられるのだ。だもんでこの時期は暇である。暇なのでこんなブログも書いている。

 

お盆休みの恒例行事・靴の補修もした。革靴を半年に一回磨く。本当はもっと頻繁にケアする必要があるのだろうけど、面倒なのでやらない。全くせずに駄目になったら捨てる、ってのよりは良いだろう。革靴の修理屋さんに持っていっても良いが、そこそこ高いので、あちこちからかき集めたシューグッズで、DIYしていく。

今回は靴の先や側面に小さな穴が空いていたので、パテで埋めてヤスリをかけ、そこから補修をするような感じでやってみた。近くで見るとボコボコしているように見えるが、オイラが”履いている”靴を近くで見るには、ノームくらい背が低くないといけない。だから多分大丈夫。

そんなにいい革靴じゃないので、買い替えることも出来るのだが、使えるうちは使いたい。気に入っているので。なんでもかんでもポンポン捨てるのは趣味じゃない。

……と書いておいてなんだが、仕事用に使っていたジェットストリームの多色ペンを捨てるかどうか悩んでいる。いざという時にインクが全然出ないのだ。同じ紙の端っこにぐるぐるーってやったら出るのに、いざ書こうとするとカッスカスなのだ。おちょくられている。これが動物なら「んも~どしたのよ~」と頭を撫でたりもするが、相手はペンである。ウニなら食べるがuniなら捨てるしかない。

ということで、先月くらいからお試しに、アクロボールの多色を使っている。これが結構いい。ジェッストはインクの出だしがスッキリしていて、油性ボールペンぽさがないと思う、ジェッストはジェッストとしか言いようのないインクだと思う。対してアクロボールは書き出しが少しかすれる、油性ボールペンらしさがあるが、こちらをおちょくってくるようなことは無い。かすれは出だしだけで他はほぼ無く安定感がある。

あとはグリップの握り心地か。高いペンだとグリップの部分が裸?ゴムが無い?なんて言えば良いのだろうなアレな、見た目はスタイリッシュだが、オイラは滑るし硬いし使いにくい。フツーのゴムグリップが好きである。オイラが学生の頃はドクターグリップが大流行して、みんなこぞってあのムニムニした触り心地のペンを使っていた。オイラは高くて買えなかったな。100均で買ったよく分からないペンを使っていた気がする。

 

まとまった休みがあると、身辺整理をよくする。生活を見直すというか整えるというか、そんな感じだ。オイラの一番の趣味は「生活」なのでな。

そうそう、このお盆休みで「スマホでLINEニュースを見られないような設定に変えられた」のだった。LINEニュースを一通り眺めて最近知った出来事は「ひろゆきが政党を立ち上げる」だ。心の底からどうでもいい。この世の中には 愛したいどうでも良いもの が星の数程あるが、これはそうではない。それ以外の出来事は何も覚えていない、ただ「あーあ」という後悔する気持ちだけが残る。LINEニュースを見て得したことがない。なのに見てしまうのだ。

ということを友人に話したら、スマホを貸してみろと言われた。預けたら設定を変更され、LINEの下部メニューからニュースを消されてしまった。そんなことが出来るとは知らなかった。オイラのスマホからはもうLINEニュースを眺めることは、出来なくなった。良かった。命の恩人である。

ニュースは知りたい時にNHKやら新聞やらで知るので別に良い。偏向報道とか古臭いと言われることが多いが、偏っていて古臭いことが分かっていれば、それで良いのではないかな。オイラ自身、中立である自信が無く、決して新しくもない。開き直っているのではなくて、中立であり常に新しくあるというのは、すごく難しいことだと思うのだ。

最先端や真ん中という言葉は、時間と空間とを数直線や三角形状に捉えているからこそ生まれる言葉だ。しかし、時間や空間を球体のように捉えると、表面的な真ん中や最先端は、存在しない。球に中心はあるけれど、それは外側から見えるものでもないし。中心と重心は違うしな。

なんだかよく分からなくなってきたので終わりにする。これから昼ごはんを作ってアイロンがけをするのだ。チャオ。

本や言葉についての小さいこと

ことこと

図書館のサービスを使って、本を予約した。高山なおみさんの「毎日のことこと」という本。私はたまたま手に取った「気抜けごはん」で彼女のことを知り、それから日々ごはんシリーズを少しずつ読んでいる。すごく気に入っているので、少しずつしか読めないし、また同じ本を読んでしまうので、いつまで経っても日々ごはん全巻を読破出来ずにいる。

図書館に出かけて本を受け取り、電車の中で次は何を借りてみようかと、高山なおみさんのことをブラウザで検索した。すると、彼女が「日々ごはんシリーズ」を完結させるというニュースを見つけた。

へー、と思った。あまり悲しくはなかった。薄情かもしれないな自分は。

自分は高山なおみさんの考え方、いやなんだろうな、ものの捉え方?が好きだ。野性的というよりも自然的、だがスピリチュアルってわけでもないし、アウトドアっぽくもない。なんとも不思議な人だ。正直よく分からない、掴みどころのない人だと思う、そこがいい。

人間は、知らないことに迫るため、論理や神秘で以て正解を出そうとする。しかし彼女の場合はなんというか、正解に辿り着こうとする素振りがない。思い悩むこともあるが、いつまでも問題をこねくり回すこともない。自身が風に吹かれて飛んでいき、気がついたら答えの一つを見つけている……そんな感じに見えている。

見えているだけなので本当の所は分からないが、それは他のすべての人間だってそうだ。見えている部分、つまり彼女の書く書籍の雰囲気が、とにかく好きである。

「毎日のことこと」も面白かった。読んでて思ったが、ポジティブな文章だな。そこも好きなところなんだろう。これは村上春樹のエッセイにも感じるところだな。自分は本当にネガティブな人間で、そのネガティブさが毒のように、いつも私を苦しめるのだが、彼ら彼女らの文章に触れると、その毒が薄まるような気がして、助かっている。

風呂敷を畳むには、気力も体力も相当に必要だ。畳めてすごい、と思う。悲しくないのは、彼女の行為を尊敬しているからかもしれない。

 

格言

はてなでブログを巡っていた時、作家さんの個人ブログに偶然たどり着いた。そこでは「全ての物事の9割はクズ」という誰かの格言を利用していた。こういう場でこんな言葉が生まれました、私が昔読んだあの本も今考えたらクズでした、などと綴っていた。

それを読んでからというもの、本を手にとっては「この本もクズかもしれないな」「だって9割はクズなんだもんな」と思うようになり、本を読む楽しさが薄まってしまっていた。私は根がネガティブなので、そんな何気ない発言をいつまでも引きずる人間である。

今日、思い立ち、その格言について調べてみた。分からないまま引きずるより、分かって引きずりたい。

調べてみて分かったのだが、この格言は言うなれば、売り言葉に買い言葉に近い発言である。詳しい事情は割愛するが、特定のジャンルへの攻撃に対しての反論であり、それを周りが持ち上げたことで普遍的な格言に昇華された、ということだろう。

もう一つは、その作家は引用を間違えていたということだ。最初の「こういう場でこんな言葉が」の所から間違えている。この作家さんにはあまり関わらないほうが良いなと思えた。調べて良かった。

スタージョンの法則 - Wikipedia

私はあまり著名人の格言について詳しいわけではないが、諺なら幾つか知っている。「好きこそものの上手なれ・下手の横好き」なんかがそうだろう。この2つの諺は、反対の意味だ。なので状況に応じて使い分けることが出来る。

諺とは、都合の良い機会にその言葉が当てがわれることで、効果を発揮させられるものだ。諺は、ある事象が起きた後に人間から発せられる。そして諺は、考えたことや感じたことの正当性を補強する目的で使われる。……と思っているのだがどうだろうか。

なので、諺も格言も、それを最初に生み出した人以外の人間が、好きな事象と組み合わせて、好きなタイミングで好きなように使われている。まったくもってふざけていると思うが、私は諺が好きである。犬も歩けば棒に当たるなんてさ、ユーモラスじゃないかな。

一方で、私は他人の格言そのものには興味がないのだなと、調べてみて思った。その言葉を発した人間の思想や、その時の状況と照らし合わせなければ、その言葉の質が分からないからだ。普遍的な格言というものは、本当は無い。

ということで、結果として調べてよかったし、調べるキッカケとして作家さんのブログにぶち当たって?良かった。ということにする。怪我の功名に、した。

 

謎のイベントで古本を買った

先週くらいかな、ギリギリ近所で謎のイベントがあった。電車で30分圏内ならギリギリ近所という判定。予定もなかったので一人で行ってきた。

駅から10分程度歩いた。暑い。道が広いから影を作ってくれるものがなにもない。田舎は意外と影が少ないので、歩くには大変だ。道路と自然と住宅に囲まれた場所に、ピンク色の建物が見えてきた。写真スタジオが今回のイベント会場であった。

建物一階では、部屋の半分がフツー?の写真スタジオになっている。しかしもう半分では、射的が行われていたり、オシャレな食べ物、古着まで売られていた。なんだこの空間はと戸惑っていると、食べ物屋の店員さんが声をかけてくれて、ラスクと綿あめを試食させてくれた。綿あめは塩キャラメル味!買うとすげー高いので試食だけ。美味しそうなワッフルを買った。

急な階段を登って二階の部屋に入ると、更に驚いてしまった。天丼屋とカレー屋、コーヒーショップに古着屋、古本屋に花屋、DJブースに床屋まで、これらが一つの大きな部屋で出店していた。そう、今回のイベントは「近隣の個人経営の店で集まってお祭りっぽいことしよう!」という感じだった。のかもしれない。正直今もよく分かっていない。

大きな部屋に人が溢れている。建物の周りには本当に何もないのに、どこからこんなに人が集まったのだ。休日のショッピングモールよりも人口密度が高い。人々は、座って話してたり立ったままコーヒー飲んでたり、髪を切られたりしている。私はコーヒーとバナナケーキを注文して、近くのイスに座ってもそもそと食べた。最初は人の多さと異様さに緊張していたが、DJがかける?曲と人々から発せられる音を、まぜこぜにして聞いていたら、身体が馴染んできて、心地よくなった。バナナケーキが美味い!

DJというものを生で見たのだが、良いものだな。知らなかった。

コンサートって、演者?奏者?の人を応援するような形で、客である我々と奏者が一体となって会場の雰囲気を作っていくような、そういうものだと思っている。だから途中で入退室したらダメだよとか、食べたりしないでとか、そういう決まりがある。

だがDJブース(という言い方で良いのかすら分かっていない、素人なので)は、そこら辺が自由だ。好きな時にその空間にやってきて、好きに聞いて良い。人と人にまとまりがない。そこに癒される。コンサートも好きだが、なるほどこういう空間も良いものだな。

古着を眺めたり、古本をチェックしたりもした。古本屋の店長さんから、あの駅のそばで店やっているので良かったら来てくださいとも言われた。ふっふっふ。実は貴方の店については、このイベントに来る前に事前に調べてきたのだ。こんなパーリーピーポーなイベントに、古本屋が来るなんて大層変わってるなと思ってな。店長さんと本や、本屋のことをお話して、じゃあ今度の土曜日行きますねなどと話した。サリンジャーの短編も1冊買った。

さっきパーリーピーポーと書いたが、そんな感じの人はあまりいなかった。おじいちゃんが椅子に座って天丼食べてるし、1階で射的を楽しんだ親子連れがDLブースの前で楽しんでいるし、そのブースの横では若者が髪を切られているし、店員さん同士でコーヒー片手にお喋りしているし。うまく言えないが、非日常のイベントに日常を纏ったまま参加しているというのかな。自然体の楽しさがそこかしこに感じられて、なんとも言えない良さがあった。

私も小さい天丼を買って会場を後にし、離れた場所にある公園で食べた。あの建物を出てからまだ10分も経ってないし距離も離れてないのに、異世界に行って帰ってきたかのような気分。そんな気分で天丼をつついて食べた。

 

あーあの古着屋でラルフローレンのポロシャツを買っておけば良かったなーあの色良かったよなーと、今思い出しながらこれを書いた。

バナナケーキと天丼。どれも美味しかった。

 

夏の体調

散歩から帰って皿を洗って、水分補給をしてこのブログを書く。

7月になった辺りで、体調が悪くなることが増えた。大体は胃腸に関するもの、だと思う。去年も同じ様な時期に、同じ様な体調の変化があった。例えばコーヒーを飲むだけでゲップが止まらなくなるとかな。

以前病院で診てもらったが、特に異常はなかった。おそらく冷たいものの取りすぎではないか、ということだった。思い当たる節がありすぎる。冷たい麺類、冷たい水、アイスコーヒー。ぜんぶ美味いものだ。

さて今年、この体調の変化をどう乗り切ろうかと考え、水分補給に工夫をすることにした。なんてことはなくて、飲むための容器を変えたのだった。

今まで私は、象印の水筒を自宅のコップ代わりに使っていた。保温効果がばっちりで、いつまで経っても冷蔵庫から出したての水をガブガブ飲める。水筒なので一度に補充できる水の量も多いので、マメに継ぎ足さなくて良い。何よりゾウのマークがとっても可愛い。

だが多分、その冷たさが仇となっている。夏の身体には結構なダメージなのだ。だもんで夏の間だけ、プラの容器に水を注いで飲むことにした。放って置くとじんわり温くなり、しかし不味いわけでは全然ないので、たっぷり飲めている。これのおかげか、少し調子が良くなった。

 

温度が低いものは、いつもいつでも苦手であった。スーパーの鮮魚コーナー周りとか、もう寒くて仕方がない。若い頃は耐えられていた…というわけでもなく、若い頃も寒い寒いと震えて、風邪を引いたり身体を壊していた。昔から身体は弱いのだが、向こう見ずの間抜け男なので、弱い自分との付き合い方が分からなかった。

今私がブログを書いている部屋にはエアコンがある。のだが、その風が私に直接当たり、寒い。それになんだか目も痒い。エアコンのフィルター掃除をしてみたが大してホコリは溜まっておらず*1、これは風そのものが原因ではないかと疑っているところである。

しかし、作業場所である家のテーブルはデカくでゴツく動かせない。テーブルの脚が邪魔で、自分が座っているイスの位置を変えることも出来ない。エアコンの風向きを変えればいいが、何分古いのでその機能が言うことを聞かない。なすすべなく風にさらされている。

目ばかりでなく、最近は肩こりもひどい。これはゲームのやりすぎも理由としてあるのだろうが、寒さも原因ではないかと思っている。早急に対応すべき、我が家の案件である。

案件と言えば、この前MSFに3000円寄付した。普段からも月1で少額寄付をしているが、今はエボラ病が酷いらしい。MSFからメールが届いた時、私はタリーズでアイスコーヒーを飲んでいた。「オレが快適にアイスコーヒーを飲めているんだから、この人らが薬を受け取れないのはおかしいだろ」と思って、衝動的に寄付した。こういうことは衝動的にというか、道理や賢さを一旦捨ててやったほうがいいと思っている。罪悪感と言うよりは、もっとシンプルな……ま、私が向こう見ずの間抜け男なのは今も昔も変わらないのだ。

最近の体調については、特に書くことも無いので終わる。あ!そうだ。

私はコレステロールが高いので、3か月くらいに1回血液検査をし、毎日薬を飲んでいる。家族は「たぶん遺伝とかもあるからあまり気にしないように、でも納豆を食べると良いぞ」と教えてくれた。お医者さんからは魚を食べて毎日歩き、卵を食べるなと言われている。

で、7月頭にいつもの血液検査をした。結果は8月に出る。病院からの帰りに、何か食べて帰ることにした。ここまで頑張った自分を労うために。

メニューが数種類しかない食堂があり、そこに入店。チキンとキーマの半々でカレーを注文した。案の定ゆでたまごが乗っかっていた。これを楽しみにしていた所がある。とっても美味しかった。ここの味噌汁には、カレー用スプーンとはまた違う小さい匙が添えられており、食べやすい。その心遣いが嬉しい。

私が食べている間に他のお客さんがいなくなり、店長とそのお母さん、私の3人だけになった。すると店長とお母さんが「今日のお昼何にする?アレがあるからアレとあれで」等と会話をしていた。しばらくすると店長さんは別室に移動しご飯を食べ始めたのだが、その部屋のドアが全開になっており、私から室内の様子が丸見えである。だが店長はお構いなしにお昼ゴハンを食べている。二人でお昼を食べているようで、なんだか嬉しかった。店員さんと同じ場所でご飯食べていられるのって、なんか嬉しくないですか。

会計をすると、お母さんが入口まで見送ってくれた。ただカレーを食べたこの俺を、だぞ。ありがたいことである。また来ます。

今日はここまで。

その時のカレー。全部うまい。またコレストロール制限がんばろう。

*1:サーキュレーターと掃除機フィルターにはビッチリホコリが溜まっていたので掃除した!

ナスのような肌触り

日課の散歩をしていたら、2匹のアオスジアゲハが天に向かって飛んでいく様子を見かけた。一匹はその言葉の通りまっすぐ空に登っていくのだが、もう一匹は相手の周りをぐるぐる旋回しながら追いかけるように登っていく。これが二匹ともフラフラ飛んでいるなら、仲睦まじいな~とかケンカしてんのかな~と思えるが、まっすぐ登っていく方はもう片方など歯牙にもかけない様子でぐんぐん飛んでいくのだ。繁華街の客引きをスルーして家に帰ろうとする人みたいで、なんか格好が良かった。一瞬歩道の方に目をやって、また蝶を見ようと振り返ったら、もうあの二匹はいなくなっていた。野生動物って、目を離すとすぐにいなくなる。

 

散歩から帰って家事をして、それから午後まで作業をしていた。私は実況プレイ動画を投稿する活動をしているのだが、昨日空いた時間にささっと動画を収録しておいた。それをさっさか編集する。まったく手をかけない。なんならAIに任せても良いくらい。まぁ任せないが。動画編集は楽しいが、他の楽しいこともしたいのだ。例えばゲームとか。結局ゲームじゃん。いいんだよゲームが好きなんだから。ひょんなことから彫刻刀をゲットしたので、何か彫ってみたいなとも思っている。したいことは全部やろうと思っている。

 

午後の2時になり、支度をして出かける。移動中はポッドキャストを聴いていた。ぼる塾のトーク番組。餅などに入っているアンコの話になり、アンコはSNSに載せる奴が全然いないだけでアンコ離れが起きているわけではない、SNSがすべてなわけがない、家族は大切だがSNSに載せないそれと同じだと話していて、その通りだなと思った。自分が見ているものが全てではない。それはアンコだろうがなんだろうが同じである。私はデイリーヤマザキに売っている芋饅頭が好きです。

 

駅から少し離れた場所にある、病院へ着いた。検査の結果、カンジタ菌はいなかったとのこと。薬を塗っていたら痒みは大分おさまりましたと伝えたら、軟膏一本使い切るまで塗り続けて、それで痒みがなくなったらもう大丈夫ですと言われた。会計は430円。今日はズボンは脱がずに済んだ、ちょっと安心。そう、今回は肛門科に行っていた。1か月ほど前から肛門が酷く痒く、市販の薬を塗っても良くならなかった。不安に思って人生二度目の肛門科に行ったのだった。一度目は学生時代、切れ痔が全く治らないのでガンかと思って病院に駆け込んだ。あの時の先生に初めて肛門に指を入れられ、びっくりして「うわー!」と叫んでしまったことを、今でも覚えている。結局薬を塗って治った。あれから十年以上経ち、二度目の肛門科であった。ここの先生は優しく丁寧に診てくれるし話も聞いてくれた。看護師さんも私が股間を晒さないように気遣ってくれて、非常に安心した。肛門を触診する時も声をかけて下さったので、全く驚かなかった。

 

ルンルン気分で買い物をする。ユニクロで新しいパンツを2枚買った。うち一枚はエアリズムシームレスボクサーパンツというもので、触り心地が面白い。特にゴムの部分がつるつる。適切な表現かは分からないが、ナスのような肌触り。尻を締め付けるような下着はやめたほうが良いと、先生に言われたので下着を買い直したのだった。

 

その後カフェで休憩。私の席の周りには一人しか客がいなかったのだが、その客がZOOM会議を始めた。話を聞く限りでは、どうやら動画か映像作品を作るかどうかの案件なようで、客は自身の腕を売り込む側の人間であった。「バズる動画を作りますよ」と、ノートPCに向かって、ハッキリ言った。私は肛門に指を突っ込まれる程度にビックリした。まさか世の中には、本当に、バズるための動画を拵えるクリエイターというのがいるとは。そして本当に、バズらせようと話を持ちかけるとは。歳の頃は30を過ぎている。キャップの似合う男性だ。話は続き、自分がいかに優れた存在なのかをアピールし始めた。動画だけでサラリーマンくらいの月収は稼いでる、借金をしてひどい目にあったがそれを元手に映画を撮った、そのスタッフの中にはシン・ゴジラの照明をやった人がいたんだ、など。私は恐ろしくなって、まだ残っているアイスコーヒーをズコーッと飲み干して、さっさと片付けてその店を後にした。

 

私は自己アピールがとても苦手である。履歴書は100枚ほど買って5枚程度しか完成させたことがない、それくらいには自分の経歴や長所などを人様に伝えるのが苦手である。自分は何者でもないと、心から思っている。実況プレイ動画を拵えて投稿する活動も、別に誰かにチヤホヤされたくてやっているわけではない。されたら勿論嬉しいが。本当は、ただゲームが好きなので、遊ぶついでにカメラを回しているだけだ。Vlogだ。そして私は何者でもない自分が結構好きだ。そういう奴なので、ああいうアピールを聞いていると前頭葉がチカチカしてくる。

 

家に帰り、買ったばかりのパンツを試しに履いてみた。ツルツルしてて面白い。水着みたいと書いたら伝わるか。生憎、男性用の水着以外は試着したことがないので分からないが。それから数時間後、今こうやってブログを書いている。カフェで余り物の食パンを買ってきたので、明日はこれで何か作りたい。今日の晩ご飯はゴマダレの冷やし中華の予定である。昔練りごまを買ったことがあったが、使い勝手が悪くて悪くて、結局ほとんど使わずに捨てた。自分には、ゴマダレは市販のもので充分であると結論を出した。以前拵えたホットケーキについての記事にも、似たようなことを書いた記憶がある。ホットケーキミックスを自作してみたり、ゴマダレに挑戦したり。やってみると、自分に向いている素、向いていない素があることを知れる。カスタードクリームと冷やし中華のタレ(醤油)は自作が好きだ。そういえば最近カスタードクリーム作ってないな。今度やるか。

早起きして腹を壊して一日を終える

eq2p7z5fe.hatenablog.com私は友ではないけれど、ブログを購読しているので手紙を受け取った、ことにした。ご迷惑でしたらすみません。

晩ご飯は春雨の炒め物を作る予定。立ち寄ったドラッグストアで永谷園の麻婆春雨シリーズを眺めていたら、なんだか食べたくなって、でもただの春雨だけ買ってきた。自分でイチから作ってみたくって。

参考にしようと思い永谷園の方のパッケージをよく見たが、春雨は50gしか入っていないことが分かった。意外だ。タレというか具というか、それらが150gくらい。今は塩味や担々味なるものもあって、どれも美味しそうであった。学生の頃は月に1度は食べていた。

 

今日は朝から腹が痛くて、午前9時から午後の3時まで布団の上で悶えていた。それもこれも、朝早起きしてスタバの新商品を飲みに行ってしまったせいである。

バナナアフォガートとかいう名前で、上に生クリームが乗っていないタイプの冷たいドリンク。これなら私も好きかもしれないと思い、ドーナツと一緒に注文した。味は美味しいのだが、なにせ今日は朝から曇っており、外は寒い。そんな中、食い意地と探究心に身を任せてバナナのそれを飲み切り、バッチリお腹を壊してしまったのだ。

「早起きして腹を壊して一日を終える」なんてバカみたいじゃないかと悔しくなり、少し痛みが和らいだタイミングで自宅を飛び出した。外は雨。好都合だ、雨の散歩が好きであるから。街の彩度が低くなる。

練習試合終わりの中学生や保護者の方とすれ違いながら、30分ほど歩いた。小雨が降っている中、橋の上から川の流れを見つめたりもした。なんだ歩けるじゃん私すごいじゃんと喜び、満足して自宅まで歩いて帰った。

帰る途中、ファミレスの前を通り過ぎたが、今日ドーナツ以外何も食べていないことに気付き、引き返して入店。揚げ餃子と蒸し鶏のサラダを注文して、ただ黙って食べた。食べ終わるやいなや、親子連れの団体がやってきたので、そそくさと退散。

今日は良い日とは言えないかもしれないなぁとか、それでも歩いた自分を労いたいなとか、慌てて店を出たから水を飲んでなかったとか。そんなことを考えながら歩いた。お茶を買うためドラッグストアに入り、そこで春雨と出会ったというわけである。

「自分の機嫌は自分で取る」という言葉があるが、あれは誰かの機嫌(自分も含む)が悪い時に唱えるものであり、まるで呪文だなと思う。どこか少し、機嫌の悪い人間(自分を含む)を突き放すような物言いで、「えんがちょ」にも似ている気がする。私は私の機嫌を取るため朝バナナアフォガードを注文し、昼は雨の散歩に出たが、うーんどうだろう。まずまずといったところか。

 

人様のブログにかこつけて、自分の日記を書いてしまった。しかし手紙のやり取りというものは、自身の日記を送り他人の日記を読むことに、近いような気もする。とりあえず寒いので温かくして過ごそう。春雨炒めの他には、昨日発掘した乾燥ひじきを戻して煮る予定。