今日は家でゴロゴロダラダラすることが多かった。布団の上で横になり、最近買ったゲームをプレイして、飽きたら起きてPCの前に行き、SNSを眺め、また戻って本を読む。
こういうことばかりしていると、夜になって「こんな一日で良かったのだろうか」としょんぼりする。何も成さなくていいのだろうか…と不安になる。
そういう時のために、このブログはあるのだ!一日を振り返ると、洋服のアイロンがけもしたし、皿洗いだって、靴洗いだってしたぞ。おにぎりを作って冷凍するという、未来のオイラへのギフトも用意できた。すばらしいじゃないか。成した日である。
今タイマーが鳴った。あ、すみません。今この文章の1行目から、この行まででピッタリ5分かかったらしい。タイマーで測ってみたのだ。オイラは5分で250文字くらい書くのか。1000文字書くだけでも20~30分くらいはかかるんだな。ブログって、読む時は一瞬なのになぁ。儚い。儚くないか、しばらくはこのインターネット上に残るわけだしな。
そういえば今日は、他人のブログをいくつか読んだな。每日何件かオススメに上がってくるじゃんね、それを読んでた。その中で 趣味は人間観察 みたいなタイトルのブログがあった。少しブログを読んでみたけど、ああいうタイプの人は苦手だなぁ。
なんで苦手なのかはあんまり考えていない。よく分からないけどモヤモヤするので、あまり近寄らないようにしている。
このブログを書く前に、夜の散歩に行ってきたんだよ。その時にぼんやり考えていたんだけど。オイラは他人に対する悪口というか、誹謗中傷する……語彙?が、とても少ない気がする。悪い点を名前で呼べないというか。
誰かを嫌いになったり、苦手意識を持ったりしても「なんかイヤだな」「モヤモヤするな」くらいにしか捉えられない。
嫌だと思う気持ちがないのではない。むしろオイラは気難しい人間なので、すぐに「コイツなんかイヤだな」って思っちゃう。でも「なんか」でしかないのだ。
この前も、こういうことがあった。SNSで、とある人の投稿を見る度に、オイラはいつもモヤモヤしてしまっていた。別に過激なことを言っているわけでも、誹謗中傷しているわけでもないのにナゼ……?と。疑問に思って、友人にその とある人 の投稿を見てもらった。モヤモヤする理由を知りたかったからだ。
投稿をいくつか眺めた友人が一言。「コイツ、カッコつけてるねー。ミュートしといたら?」
カッコつけてる…カッコつけてる?とある人は(おそらく)成人しているんだが、大人もカッコつけるの?というか、カッコつけてる っていう、人間の様子を表す言葉、中学生以来だな聞いたの。
オイラは軽くショックを受けて、友人に沢山質問をしてしまった。なぜカッコつけてると思うのかとか、どういう状態をカッコつけてると言うのか、とか色々。
そいで、友人から聞いてなんとか理解できたのは ①世の中には大人になってもカッコつける奴がいる ②大抵それはバレるし、バレなくても人から嫌がられる ③カッコつけている奴を好きな人間も一定層いる ということだった。
色々質問したが、やはりオイラが一番びっくりしたのは友人が「カッコつけてる」と言ったことだった。正直に言うと、友人のそのジャッジが正しいかどうかは、オイラには分からない。もしかしたら本当は、もっと正確にその人の様子を表す言葉があるかも知れないし。
でもその正確性や成否はともかくとして、他人に対しての「なんかイヤ」に名前をつけたこと、それが驚きであった。*1いいのか、そんな簡単に他人を評価して。
そういうことがあったのが先週の話だ。それから每日「カッコつけ」ってなんだろうとか、他人に対して評価し烙印を押すことについてとか、色々考えていた。その中で、少なくとも今のオイラは、他人を評価したり烙印を押すことが不得意であるな、ということが分かった。
観察という言葉の意味は「ありのままの姿を注意深く見ること」だそうだ。*2しかし人間観察は、先程記した 観察 以上の意味があるだろ。人間観察には、見た後に推察したり、それを記録に残したりすることも含まれている。人間観察を趣味に持っている人の場合、観察して得た情報を何かに利用する。人付き合いであったり、ブログのネタであったり、評価であったり。
そういう点から考えるに、オイラは人間観察に向いていない。なんか好きだなとか、なんかイヤだなとか、そういう抽象的な評価しかしない。人を見る目がないとも言えるかもしれないな。ぼんやりとしか他人を捉えていないんだから。
ただ、自分をフォローするようでアレなんだが、オイラはぼんやりと見つめるのが好きである。フォローになってないか。他人に興味がないわけではないんだよな。
例え話として適切かどうか分からないんだが……電車の中で、自分の向かいに座っている人がいるとして、その人の背中には窓がある。窓の景色はびゅんびゅん変わっていく。トンネルを通って真っ暗になることもあれば、青空であることも、ビルが見えることも、色々ある。
その景色によって、その人の雰囲気って変わらないだろうか。そりゃあギャンギャンにタトゥー入れてて目鼻にピアスしてる人が向かいに座ってたら、どんな景色でも怖いし、もうそっちをジロジロ見ることも出来ないだろうけど。でもそういう人の背景が、桜並木だったら、ちょっと見え方が違う。
それは、その人の境界線の外側が変わるからってのもあるけれど、自分の気持ちも変わるからなんじゃないか。好きな景色、嫌いな景色、色々な背景によって自分の心持ちが変わり、それによって他人を見つめる眼差しも変わるんじゃなかろうか。
自分の状態によっても、見つめる対象以外の要素によっても、対象を捉えた時の感覚は大きく変わる。そしたらオイラにとってその観察はもはや、意味のない行為になるなぁと、そう思うのだ。評価も呼び名も、コロコロ変わっちゃうだろうから。
その人とその人の周りごと、ぼやぼや~っと見ることで得られるものがあって、オイラはそれを得たい、のかもしれない。どれだけ整った顔立ちの人間でも、まじまじと見ていると気持ち悪くなるしなぁ。細かければいいってもんでもないし。
飽きてきたから今日はこの辺で終わろう。ブログってのは暇つぶしにピッタリだなー。書くのも読むのも。
あ、そうそう。カッコつけについて一人で考えてて唯一、オイラが分かったのは「カッコつけるとカッコ悪くなる」ということだ。恰好の 恰 とは、ちょうど良いという意味らしい。身の丈に合ってなかったら、そりゃカッコ悪いって思われるよな。