長い日傘を買おうかどうか悩んでいる。長いというより、折りたたまないタイプの日傘か。
昔、折りたたむタイプの日傘を頂いた。貰ってからもう5年ほど経ったか。モノの良し悪しを判別できるほど日傘に詳しいわけではないのだが、多分、良いものだ。
傘の表地には紺色の布を、裏地には黒色の布を設えてある。二重構造のおかげなのか、ギラギラと太陽が照りつけてくるような日でも随分過ごしやすくなる。
また、傘の柄に取り付けてあるボタンを押すと、カシャン!と開く。折りたたむ時は手動で行うのだが、開くことに重点を置いたほうが良いという、開発者の意図が垣間見える。閉じた後よりも開いた後のほうが、傘としての能力が発揮されるわけだから。
子供の頃、母にはよく折りたたみ傘を持たされた。当時の自分の持ち物の中で、鉛筆やリコーダー等の棒状のものは数あれど、伸び縮みする仕組みをもった棒は珍しい。サイズも短すぎず長すぎない。そんなところから私は折りたたみ傘が好きになり、ブンブン振り回しては壊し、その度に母に叱られていた。
あの頃の自分と比べると、モノへの扱い方は、なんぼかマシになったのではないかな。ただあの頃も、大切にしていなかったわけではないんだ。大切に思いながらも振り回していただけで。今は振り回していないだけであって、思いは薄い。
折り畳み傘は、折りたたむのがめんどくさい。それが問題だと感じている。傘が悪いのではなく、私が悪い。
めんどくさがりの私は、子供の頃は折り畳み傘を開かずに使っていた。持たせた傘を使わず濡れて帰ってくる我が子を見て、母は随分呆れただろうな。大人になったらまぁ、多少はその面倒さに折り合いをつけられるようには、なった。なったのだが……。
この傘は、閉じている状態でボタンを押すと、開く。逆に言うと、傘を畳み切ってボタンを押すまでは、決して開くことは出来ない。その仕様が困りごとに繋がる。
例えば狭い道、大人が二人横並びになってギリギリ通れるくらいの歩道を、傘をさして歩く場合。向こうから人がやってくる。邪魔になるだろうと傘を少し閉じ――傘の開き具合をしぼませる、と書いたほうが伝わるか。しぼませたまま人とすれ違い、再び傘を開こうとする。
が、もうこの傘は開いてくれない。しぼませただけで、畳みきってないからだ。
なので一度傘を完全に閉じ、伸びた傘の芯の部分を手で押し縮め、折りたたんだ状態にもっていく。そこで改めてボタンを押して、傘を開くのだ。この手順を踏まなければ、傘は開きもせず、また縮みもしない。萎びた小松菜のように、だらしなく頭を垂れるばかりだ。
外出中にたった一度、この手順を踏むのであれば私も気にしない。しかし何度も折りたたまなければいけないとなると、面倒な気持ちが顔を出し始める。その上この折り畳み傘は、日傘である。天気が悪い日のお守りとして携帯するものではなく、天気が良ければ必ず出番があるものだ。つまり通常の折り畳み傘よりも、使用する頻度が多いのである。となると当然、先程書いた状況に陥る回数は増える。入道雲のように、面倒な気持ちが膨れ上がる。
そのため去年は、少し日差しが強いだけなら傘を開かず、我慢をしていた。しかしこれでは日傘を携帯する意味がない。雨に降られても傘を開かなかった子供の頃と、今の私は何も変わっていないのだ。
折りたたみを諦めて、嵩張るが開きやすい、長い傘を買おうか。開きにくいがコンパクトな折りたたみ日傘をこのまま使うか。悩む。
つくづく思うんだが、便利なものを手に入れると、また別の不便が付き纏うものだ。等価交換のように1つ便利になれば1つ不便になる…というものでもない。1つの便利に3つも4つも不便が鈴なりになってぶら下がってくる。等価交換というのは、漫画の世界の話だな。