まるっとまったりまろやかに

ゲームの感想、考察、実況プレイ動画のこと。日記も。

シンプルブログの書き心地

最近は、シンプルブログをぽつぽつと更新している。ブログを書くのはやっぱり楽しい。

シンプルブログというのは、私のブログのタイトルとかではなくて、サービス名だ。はてなブログみたいな。

simblo.net

タイッツーというSNSを知っているだろうか。Twitterでいろいろあってから生まれたSNSだ。それを作った人が、ブログサービスも作った。それがこのシンプルブログだ。

ブログの文字入力画面はこんな感じ。本当にシンプルだ。

PCブラウザ版画面。スマホでも同じような画面になる。

スッキリしているが、書き心地が良くて気に入っている。他のブログサービスだとnoteに近いかもしれないな。書いたままブログ記事になるような感じ。フォントも可愛らしいし改行の幅も好みだ。

見出しを入れたければタグを使えば良いし、画像のアップロードもやろうと思えば出来るが、私は一切無視してただひたすらに文章を書いている。いや、書けている。文章を書くことだけを考えて文章を書けているんだ。楽しい。

それが出来るのは、やっぱり入力UIがシンプルだからなんだろうな。いろんな機能が目の前に無いから、体裁を気にしようとしなくなる。画像入力もいちいちめんどくさいし、見出しや目次なんてまどろっこしいじゃん。そういう機能を奥に引っ込めてくれているのがありがたい。指と脳みその距離が近くなる感覚というのかな、それが心地良い。ペンで紙に書いてるような気分だ。

シンプルなサービスが心地いいことって、ブログじゃなくても結構ある。

自分はただ蕎麦を食べに来ただけなのに、おしゃれなカフェスペースに案内され、トッピングがずらーっと並んだテーブルで、選べる季節の小鉢2種と一緒に、インスタ映えしそうな蕎麦を食べさせられる。それは全て自分が選択した結果のはずだし、良くしてもらっているのは間違いないんだけど、どうにも蕎麦の味がよくわからない。コト消費を、させられている。

だからといって、床に蕎麦投げつけられて「ほら食えよ」と言われたら、それはそれでイヤだ。そういうちょっと変わったプレイが好きな人もいるかもしれないけどな。蕎麦を自分で作るのだって大変だ。そば粉を買ってまで蕎麦を打つのは、そば打ちという趣味だろ。趣味じゃなくてもそば食べたって良いはずだ。

そういう意味で(どういう意味で?)「シンプルだけどちょっといい感じ」なシンプルブログのUIは、とっても好きだ。

 

シンプルなのは入力画面だけじゃない。

シンプルブログだけでは、誰にどれだけ読まれたかも分からない。SNSへのボタンは付いているが、押された回数も分からない。コメント機能もない。当然はてブコメなんてものもあるはずがない。

シンプルブログでは「LIKE」が出来る。いいねボタンみたいなやつだ。この数は記事の下部にボタンと一緒に表示されるが、押してもなにか反応があるわけではない。特別なメッセージが出ることもない。ただの「LIKE」でしかない。このゆるさよ。

シンプルブログのトップページには新着記事が表示される。人気の記事だとか、注目されているだとか、そういうものは載らない。記事ごとのLIKE数さえ出てこない。

このシンプルさによって、他人の声も数字も、なにも気にせずブログを続けることが出来る。ブログサービス側から自分のブログを商品として扱われることも(今のところは)無いし。それが嬉しい。

 

オフラインで執筆してひとりで楽しむのと、オンラインでブログに書くのは、違う楽しさがあるよな。やっぱり自分はそれなりに承認欲求があって、それを動力源にブログを書いているところはある。

でも、ブログというものを、記事というものを、拵える。その行為自体が面白いからブログを書くところも、ある。一つの創作活動だ。

承認欲求に支配されると、拵える楽しさを忘れてしまう。だからといって、承認欲求を捨て去るために山奥で一人日記を書いていても、手元に残るのはあくまで日記であって、自分にとっての「ブログ」にはならないんだよな。

シンプルブログでブログを開設して記事を書くというのは……バーチャルな街に家を一軒持つような感覚かもしれない。店でもないし洞穴でもなくて、家。家の窓を開けっ放しにして、風通しのいい場所で日常を生きていくような。そんな感覚だ。

同じような感覚を、昔noteにも感じたんだが……これ以上書くとnoteの悪口になりそうだからやめよう。悪口を書きたくて生きているわけじゃないし。

 

散々「シンプルブログはいい」ってことを書きまくったけれど、はてブロも良いところは沢山あるし、ふつーに好きだ。運営の方針含めて対象的だと思うなぁ。

これからもシンプルブログは続けるけれど、はてブロをやめるわけじゃない。書きたい方に書けばいい。自分の場所はたくさんあったほうが、気が楽だからね。

 

ふー書いた書いた。この文章も、熱中してばーっと書けた。そう出来るようになったのは、シンプルブログでリハビリしたからかもしれないな。承認欲求リハビリ。

 

まるいひとのブログ by marui-hito

盆の食事

 お盆休みがジリジリと終わっていく。思い返せばお祭りのような派手さはないが、植物園に行ったときくらいのじんわり楽しい気持ちがずっと続いているような、そんな盆だった。で、今日は、お盆中に食べたものの中で特に美味しかったり印象に残ったものを書く。

 

外で食べた部門

ココスのジャンバラヤ

 横浜市港北区に新羽という土地がある。そこのココスに行ってきた。わざわざ新羽を選んだのは、そこのココスが好きだからだ。

 ファミレスはどこも同じなわけではない。店舗によって店の雰囲気も違う。新羽のココスは店内の席のレイアウトがゆったりしていて落ち着く。混んでいても煩さを感じないし、仕切りが多いので人の目もあまり気にならない。カウンター席も多いし。雰囲気がいいので食べた時の味の感じ方にも変化がある。要は美味しく感じるのだ。

 今回行ったときはかき氷のフェアをやっていたので、こぐまと呼ばれるミニサイズのかき氷と、ジャンバラヤを注文した。これがどちらも美味しかった。まずかき氷だが、フツーにでかい。フルーツもたくさん乗っていて飽きない。よく考えたら子熊って子供の頃からでかいし、熊だもんな…と納得しながら食べた。かき氷ってお腹には溜まらないが美味しさだけを感じられる、不思議なお菓子だよねぇ。魔法というより、キツネにつままれたような感じ。

 最後にジャンバラヤを食べたのは、もう10年も前のことだ。私が秋田に住んでいた頃、バイト終わりに先輩の車でココス行って、ジャンバラヤを食って帰っていた。肉!米!シンプル!ってな所が気に入っていた。そのころから今までずっと、ココスはメキシカンなご飯を提供しているんだな。昔と比べると、盛り付けが豪華になっていた!!小洒落たワンプレートごはんだもうコレ。アボカドやトマトのディップまで付いてくるとは。いろいろな事情で値段が上がったりはしているんだろうけど、今の私はこっちのほうが食べ飽きなくて良いな、と思いながら食べた。肉が昔よりスパイシーな気がするし柔らかい!美味しかった。

 あとココスのドリンクバーには、シャルドネカベルネというぶどうのドリンクがあったり、期間限定だが梅昆布茶があったりするので楽しい。デザートのプリンは固くて私の好みだし。いいぜ、ココス。お盆終わってからもまた行くぜ。

 

ペタンク

 図書館で本を受け取った帰り、お弁当でも買っていこうかとデパ地下に立ち寄った。ふだんはスタスタと通り抜けていくだけの場所だが、買うぞ!と決めてじっくり眺めているとすごく楽しい。餃子と海苔巻きを買って満足していたが、洋菓子コーナーの前を通り過ぎた時、不思議な……ケーキ?と目が合った。それがペタンクだ。

 シュークリームがつぶれて上からクリームが溢れ出てきたような見た目。その上にはプリンのカラメル部分のような何かが乗っている。隣においてあるプリンが400円もするのに、こっちは300円だし、面白いから買ってみた。家に帰り、餃子と納豆巻、あなきゅう巻を平らげて、いざペタンク。

 うまーい。なんだこのお菓子。シュー生地にはナッツがまぶしてある。上のクリームが美味いけど、シュー生地の中には果物、たぶん梨の果肉入りクリームも入ってる。上のカラメルみたいなところは、うすーいスポンジケーキだ。その上にジャムみたいなのが塗ってある!!いろんな味がする!!うま…うま…と二口目から大事に大事に食べた。

 次の日にもペタンクを求めてデパ地下へ。やはり美味い。あまりに美味くて不思議で感動したので、神奈川の葉山にある本店にまで足を運んだ。そこの店長さんにお話を伺ったのだが「催事限定のお菓子で本店にはない」「上のスポンジに塗っているのは杏ジャム」「名前はスポーツのペタンクからきていて、ボールの形とお菓子を上から見た形が似ているから」などのことを教えてくれた。なるほど~!本当にスポーツからきてるとは!フランスでお菓子を学んだとのことで、だからペタンクなんだな。学んだ場所がインドならクリケットという名前になったのだろうか。

 ちなみに本店ではそこ限定のケーキを頂いた。なに食べても美味しい~!一応URLを貼っておこう。海を見ながら店内でお菓子を食べられるのは、本店ならではかもしれない。

LES PÂTISSERIES LA MARÉE DE CHAYA

 

家で作った部門

ゴーヤとトウモロコシの白和え

 夏なので、スーパーにてゴーヤを買ってきた。ふだんならチャンプルーにして食べてしまうのだけど、毎回それでは芸がないと思い考える。そういえば「暮しの手帖」でゴーヤ料理が載っていたなと思い、ペラペラめくる。そう、暮しの手帖という雑誌があるのだ。毎月発刊されているが、高いので普段は買わない。ファミ通の倍だもん。図書館の雑誌コーナーにもあるらしいのだが、大抵は誰かが既に借りている。置いてあるのを見た試しがない……だもんでよっぽど気になった巻?回?だけを買うようにしているのだ。

 あったあった、ゴーヤの白和え。トウモロコシと合わせるのか!彩りが良いので採用。レシピはざっくりと読み、料理の完成写真だけ覚えといてフィーリングで作る。コーン缶を使うので簡単だ。我が家の白和えは、味噌とマヨネーズをメインの味付けとして豆腐に混ぜる。すり鉢は無いが泡だて器でぐるぐるとやればそれなりに細かくなるし、荒い豆腐も具の一つとして感じられる。

 美味い。コーンと豆腐の甘みが塩もみしたゴーヤと合う。あまにがい。じわじわ美味い。ずっと食べてられる。色々入れたらまた別の美味しさがあるんだろうけど、ゴーヤとコーンが主役だから、こんなものでいいな。と思いながら食べた。豆腐とゴーヤだから具材の半分がチャンプルーのものだったな!

 

豆腐の汁ご飯

 ケンタロウさんの料理本を読むのにハマっている。昔から好きだったのだが、バイクの事故のことを聞いて以来、ショックで読まないようにしていた。亡くなったわけじゃないんだけど、読むと悲しくなるのだ。

 でも1ヶ月前くらいに、たまたま面陳されているケンタロウさんの料理本を見て、料理欲がもりもり湧いてきたことをキッカケに、また読み始めている。ケンタロウさんのご飯はとにかく美味そう。計算された飾らなさというのかな、それがいい。読者に寄り添いすぎてない所が良いなと個人的には思う。俺は作りたいもの作ってんだよ!って感じがして、それがまた良いんだ。ワクワクする。

 で、今回は「ケンタロウのひとりごはん」で紹介されていた、ひき肉と豆腐の赤だしかけご飯を作ってみる。家には赤だしは無いので、普通の味噌で作るけど。本の中で「ねこまんま」と書いてあるが、まさにそうだ。ひき肉入の豆腐の味噌汁を作って、それをご飯にかけるだけ。私はタマネギもひき肉と一緒に炒めた。

 う、うまい……なんで今までやらなかったんだってくらい美味い。材料としては味噌と豆腐と挽肉だから、麻婆豆腐にかなり近い。だからご飯に合うのは当たり前なんだが。でもスープごはんの発想はまったくなかった。

 これ、かなりアレンジが効くんじゃないかな。ナスを入れてもいいし、鶏肉でも良い。でもこのシンプルな味の方がねこまんま然としていていいかもしれない。ねこまんまって朝ごはんの時に急いでる人がやるイメージだったけど、いいな。ねこまんま。またやろう。

ねこまんま。美味かった。

終わり

 こんなもんかなぁ。毎食あさひるばん食べてていつも満足しているんだけど、特に印象に残ったのはこれかもしれない。書いてみて思ったのは、美味しさもさることながら、その食べ物に関するエピソードがあるものが印象深いんだな。当たり前か!

 あと別に、特別なごちそうじゃなくていいんだよな。美味しいものってごちそうとは限らないから。普通のご飯で良いんだよ、私は。

普段はここで活動しています。どうぞよろしく

niconicohttps://www.nicovideo.jp/user/37168119

youtubehttps://www.youtube.com/c/MrMaruimono0427

待ってなかった盆休み

 お盆、なんにもしてないな。

 長い連勤を終え、待っていてくれたお盆休み。しかし私はお盆を待っていたわけではない。予定がまるでないのだもの。

 お盆前、長い休みの間に何をしようかと、やりたいことをメモしておいた。のだが「キッチンと洗濯機を紙ヤスリで磨く」くらいしか思い浮かばなかったし、それはお盆初日で達成した。「アイロンビーズで遊びたい」とも書いたが、トイザらスで買ってきてからまだ開封していない。

 あ、ヤスリで磨くというのはだね。洗濯機の内側のプラの部分が黒ずんでたり、キッチンのシンクの取れない汚れがついてたりしてて。それをヤスリで削り落としちゃおうぜという作戦。洗濯機はあまりうまくいかなかった、ヤスリの目が細かすぎたようで全然削れない。一方でシンクの方はいい感じだ。もうひとつ細かいのでやったらもっとキレイになりそう。そんなことはどうでもいい!

 昔はそれなりに充実したお盆を過ごしていたんじゃなかったか!!オイ!と思って、去年や一昨年のブログを読んでみたが、ずっとゲームばっかりしてたわこの人。何年経ってもこの男は変わらない。長期休暇にはどっかり座ってゲームをしている。まぁコロナもあるしな。

 別に去年も一昨年も、それについて不満に思ったことはなかったんだがなぁ。なんで今年はソワソワしてしまうんだろう。休みは休むためにあるんだから休んだら良いのに。そう思ってシャワーを浴びていた時に、そのソワソワの原因が少しだけ分かった。今年の冬休みもGWも、旅行に行っているんだ。

 冬は北海道に、GWは岩手に行ったのだ。友人に誘われたことをキッカケに旅行に行ったんだが、すごく楽しかったんだ。いつも旅行なんてめんどくさい……と思う自分だったからこそ、旅の面白さを知れた。だもんで、この盆休みにどこにも行かずに家でゴロゴロダラダラしているのは良くないんじゃないか!オイお前!と、ちょっと旅行に行ったくらいで影響されて旅行行きたいマンになってしまった私が、私自身を急かしているのだ。

 待ってくれもう一人の私!行こうとは思っていたんだよ。府中に。府中には競馬場があるらしい。「心がほどける小さな旅」という本で、競馬場へ旅に行く話が書いてあった。すんごく楽しそうだったのだ。今まで1度も行ったことのない、競馬場。聞くと子供の遊び場も歴史展示場みたいなのも、でーっかい公園もあるらしいじゃないか。行ってみたかった!みたかったんだ!!でもさ~その話したら色んな人から暑いからやめとけやめとけって言われるからさ~なんかイヤになっちゃってさ~(イジケイジケ

 誰にも話さずに行ってしまえばよかったな、府中。というかレースやってるのか。毎日いつ行ってもレースってやってるもんなのか。なんにも知らないまま、お盆休みも後半に入ってしまった。ゲームばかりして夜更かしてるだけの人間になってしまったな。ゲームは楽しいから良いんだが……うーむむ。

 

 ただまぁ、振り返ってみると、今年のお盆はいつものゲーム三昧の盆とは少し違うなぁ。ゲーム1.5味くらいだな。残りの1.3味では、ずっと本を読んでいる。お盆休み前日に、図書館で借りたい本の予約をしておいた。更にお盆休み2日目くらいに、デカイ図書館で本をモリモリ借りてきた。今手元に7冊ある(3冊は読んだので昨日返してきた)。ふっふっふ。ゲームもいいけどやっぱり読書は良いな!

 あとの0.2味は、ふだん行かない近くの駅のスーパーに行ってみたり、久々にココスのジャンバラヤを食べてみたり。図書館に立ち寄ったついでにデパ地下でペタンクという不思議なお菓子を買ってみたり。まるで小さな旅を重ねているようだ。

 あっそうだ!そうだぞ、遠くに行くだけが旅じゃない。部屋の中から一歩外に飛び出して知らないものに触れるだけで、あるいは知っているものの新たな表情を感じ取るだけで、それはもう旅と言えるのではないか。読書だってデパ地下だって、旅だ。おー(なんか良い着地点を見つけられて我ながら感心してしまった)。

 ここ数日のことを思い返すと、楽しいことが沢山あったような気がする。そのことをブログにまとめよう。「やりたいことリスト」には書いてなかったが、ブログ書くのは好きだからな。

ペタンクというお菓子を見つめながらお別れです、さようなら。

岩盤浴って良いぜ

 岩盤浴はいい。汗へのハードルが下がるから。

 今年の夏も暑い。私が住む神奈川の横浜も気温30度越えがザラだ。しかし今年の私は、暑い夏も嫌いじゃあないなと思えている。夏は暑いものだし、みたいな。暑いからこそ冷たいものに感激したりコンビニに入った時の納涼感を味わえるし。コンビニから出て数歩だけ、冷気が自分の体についてくる感覚も夏ならではな気がする。冬ってああいう感覚はないよね。不思議。

 私がイヤなのは夏そのものではなく、汗をかくことで味わうことになる不快感だ。なんとなく気持ち悪いし臭い気がする。汗臭さは対策できるものだが、自分の感覚、不快感は簡単に対策できない。タオルを持ち歩いても全身は拭けないし、ひんやりする首輪も15分で人肌くらいの温度になるし。

 ただ今年は、その汗をかくこと自体もイヤじゃない。だから夏もイヤじゃないのかもしれない。

 

 岩盤浴だ。今年の6月くらいに岩盤浴に行ってきた。これが効いている気がする。暑い部屋で熱い岩とか砂利の上で寝たり座ったりして過ごすアレだ。アレが私は好きだ。サウナほど息苦しくないし、大体はアロマのいい匂いがする。それと人の汗が混じっていても、そんなに臭いとは思わない。

 岩盤浴は、どれだけ汗をかいても許される場所だ。それでいてサウナのサ道のようなものもない。汗と高温への付き合わせ方がゆるいところが好きだ。*1熱いジャリの上で寝転んでいると、まぁ暑い。しかしその暑さに体が慣れて、暑いはずなのに心地よく感じてくる。自分の暑さへの耐性が少し上がるような…そんな気がする。心地よささえ感じる。

 岩盤浴には、店側から渡される専用の岩盤浴着を着て臨むことになる。この浴着が良い。皆が同じ服って所がまずいいんだ。私の場合はそれを汗でべっちょべちょのぐっしゃぐしゃにし、浴着に重みを感じるほどになる。ここで例えば「あの女性はひらひらのスカートでふんわりしてるのに、オイラはTシャツでグシャグシャで…」ってなったら悲しいだろう。自分の体臭とか気になるだろう。そんなことがない。皆同じ服で同じようにぐしゃぐしゃなのだから。恥ずかしさや劣等感?が一切なくなるのだ。

 あとこの浴着を洗わなくて良いのが最高だ。岩盤浴をした後は、大浴場に行ってシャワーに入るなり風呂に浸かるなりするけれど、その浴着は専用の回収BOXに入れるだけでいい。ほら、プールから帰ってきた後に、自分の水着とかタオルとかをわざわざ家まで持ち帰って、それを自分で洗濯するのってイヤじゃないか?まして自分の汗まみれの、ぐっしょりしてる服を洗うなんて。それを店側がぜんぶやってくれる。

 なんなら岩盤浴場の石にしみたであろう汗だって、イスについた汗だって全部きれいにしてくれる*2。寝苦しい夜に使ったベッドシーツを洗うのはいつも自分なのに、それ以上に汗をてんこ盛りにかいたその岩盤浴場のメンテはすべて誰かがやってくれる!自分の汚いものを全部片付けてもらえるなんて、赤ちゃんになれた気分だぜ。感謝しかない。

 岩盤浴の良いところは、岩盤浴が終わった後にもやってくる。汗への耐性が上がるのだ。だって人間は汗をかく生き物だから…とか、みんなそこまで人の体臭気にして歩いてないし…とか思えてくるので、汗をかくことで生じるあらゆる不快感が低減される。ついでに町中で背中に汗じみが出来ている人を目撃しても、なんとも思わなくなった。だって夏だしな。

 おかげで今年の夏、少なくとも8月6日の現在において、汗へのストレスは殆どない。いいぜ岩盤浴。9月くらいにもう1回行きたい。健康効果とかはよくわからないし気にしていない。石ごとの性質とか知らんし。岩盤浴に行くより3食食べてよく寝たほうが良いと思うもん。単純に好きだから行く。

 もちろん岩盤浴にも困るところはある。浴場でイビキかいてる人がいると不快だし、ジャリが尖ってて歩くと足つぼみたいでイヤだったりする時もある。だがそのレベルの困りごとなら、一人で風呂に入ってても起こるだろうし、気にしていない。もともと気にしいな人間だが、岩盤浴に行くとちょっとだけ強くなる。ま、この効果は半年も続かないし、それ以外のいろんなことは気になるので、岩盤浴が全てを解決するなんて思っちゃいない。個人差もあるしな。でも少なくとも。私の夏の不快感は、岩盤浴がなんとかしてくれている。ありがとう。

 

 自分が所属しているSNSのサーバーがなんかあったようで、入れなくなったのでブログを書こうかなと思って。つらつら書いてたら岩盤浴の話になっちゃったな。まぁいいか。アメリカのフェニックス州のアスファルトに寝転がったら、嫌がる暇もなくスルメになっちゃうんだろうな。

*1:私が知っている環境下だけの話かもしれない

*2:もちろん自分でもバスタオルなんかで拭くが、汗がついたタオルで拭いているからなぁ

剣盾をプレイしてきて思ったこと後編

はじめに

 私は普段、動画投稿をしている。最近はポケモン盾を虫贔屓で実況していて、毎回すんごく楽しかった。前に、4つ目のバッジを取ったところまでのゲームの感想をブログで書いた。

manmaru.hatenablog.jp

 今回は後編!4つ目のバッジゲットから、クリアして伝説のポケモンを捕まえる所までの間に、思ったことや考えたことを書いていくぞ!対戦はやったことないから、それについては書けない。あと動画内で喋ったこともあまり書かないつもりなので、ストーリーには殆ど触れない。ストーリーの感想が聞きたい人は動画を見てくれ!では書くぞ。

 

ジムチャレンジ

オニオンくんとメロンさん

 ポプラさんはいろんな所に出没しては少年たちを助けて?あげてたし、ネズさんは開会式に出ないというだけで随分インパクトがあった。両者とも変わったバトルだったもんね!キバナさんは言わずもがな。

 でもオニオンくんとメロンさんは特に大きな出番もなく、あっさりとジムが終わってしまったように感じたな。過去作でもシナリオ上で出番の乏しいジムリーダーは多くいたけど、今作は彼ら2人を除いたジムリーダーとの絡みがあって楽しかった分、余計に寂しかった。ファイナルトーナメントでオニオンくんとバトルしたときも、嬉しかった反面「だったらもっとシナリオで掘り下げても良かったんじゃ?」とも思ったよ。

 マイナーチェンジ版の影響なのかしらと思った。ほら、オニオンくんの活躍の場をポケモンshに用意すると、サイトウさんの分もswに用意しないといけないだろうから。手間がニ倍、いやそれ以上だもんな。今作のマイナーリーグという設定には面白いな~と思ったけど、マイナーに降格した側のリーダーたちとバトル出来ないどころか顔も見れないのは残念だった。メロンさんの子供に挨拶したかった~!私がパパだよ~!(?)

 たしかオニオンくんは薄明の翼というアニメで登場したらしく、見た人がみんな良かったと言っていた気がする。私はぜっったい見ない。ゲームで掘り下げられなかった部分をアニメで表現する手法に対して、私は拒絶しているからね。ゲームでやれ!

 

ジムミッション

 ポプラさんのがとにかく面白かったな!クイズに正解すると仕掛けが動くものはカツラさんのジムにもあったけれど、今回は不正解だとステータス低下が付与されたままオーディションが進行していったのが面白かった。出題されるクイズも難しすぎるし。メロンさんのジムが氷の仕掛けになっているのも良かった。氷の洞窟のようなエリアがフィールド内にあると、繰り返し移動するのがすごく大変だ。その仕掛けが1度きりしか挑戦しないジムにあるのが、なんとなくホスピタリティを感じた。クイズに不正解でもジムを進められるのも、ある意味優しい。

 スパイクジムとナックルジムのリーダーとのバトルはすんんごい楽しかったけど、ミッションは地味だったな…ただ戦うだけだから。それぞれのジムミッションがなぜああなのかという理由はなんとなく理解はできる。スパイクジムはスタジアムもないジムの苦肉の策として、寂れた街でバトル!ってのが良い。悲壮感を漂わせつつ特別なイベントの空気も感じられる。私が街に入ってからマリィちゃんが兄に決意を語りバトルが始まるまでの一連の流れすべてが、スパイクタウンのライブだったな…とすら思える。

 でもその一方で、ナックルシティはあんなにデカイ城があるのに、あれに一切触れず、宝物庫とも全く関係なくただダブルバトルをするというのは勿体なく感じたな*1。ただバトルするだけのミッションが2連続続くというのもどうなのよ。スマブラで終点ばっかり選ばれたら飽きるぞオレ。挑戦者10人の中からランダムに組を作って、マルチバトルさせたらより二人の英雄みがあって楽しいと思う!ホップかマリィちゃんで選べてもいいよね~。

 

その他ジムのあれこれ

 「ネズさんとバトル→最後のジムへの挑戦」この間がすごく短く感じてしまって、後半4つのジムチャレンジ自体までもが短く感じたなー。スパイクタウンからナックルシティまでの道のりがすごく短いんだよな、きっと。トンネルもただあるだけだし。ローズタワーでの出来事やブラックナイトが控えているから、あっさりさせたかったのかもしれないけど。

 そうでなくても、ガラルの町にある建物や歴史的建造物は「ただあるだけ」なものが多い気がする。デカイ城、いろんな道路にある遺跡、トンネル、観覧車、そしてワイルドエリアのエリア名などなど……ああいうものにも触れたかった。でも、あれって一体なんなんだろ~って考える楽しさもあるな。なんでディグダが祀られてるんだろ?とかね。

 ジムミッションについてもそうだけど、多分時間が無かったのかもなぁ、制作間に合わなかったんだろうな~と思う部分は結構ある*2。ムゲンダイナとバトルした時にガラルの風景が蜃気楼のように浮かび上がるんだけど、結局アレがなんなのか、なぜムゲンダイナとバトルした時に浮かび上がったのかはサッパリ分からない。プレイヤーの想像に任せきって未完成のものを提供してくる姿勢は好きじゃない。けど、不確かな部分を想像するのは楽しいし、それによって生まれるものも多い。

 マップの構造自体は好きなものが沢山ある。特に、吹雪止まぬ10番道路を抜けてシュートシティが見えるあのシーンは素敵だし、アオガラスが飛び立っていくのもいい!10番道路にいるタクシードライバーさんが「アーマーガアがガラルからいなくなると…」と教えてくれたその後に、アオガラスが飛び立っていくのも少し不穏な感じがして好きなんだ。街に入ると石像が建っていたけど、あれは「いつまでも飛び立たないアーマーガア」を街に置いときたかったのかな~とか色々考えてた。

 

ポケモン育成

育てやすい

 以前のブログでは、第8世代のポケモンはどの子も育てやすくていいな!と書いた。けれどシナリオを進めていったことで「この子は後半から更に育てやすくなった・活躍できるようになった」と思えたポケモンは、そんなに沢山はいない。みんな個性あふれる活躍を見せてくれはするが、特別に抜きん出ている子は少ない印象だ。

 抜きん出ている子が少ないのは、バランスとしては良いような気がする。この子だけ育ててたらOK!というのが無いところが私は楽しいな。あのアーマーガアだって育ててみると意外に活躍してくれないもん。強いんだけど、1番じゃない。

 その中でも、カジリガメは育てやすかったな!岩石封じを自力で覚えるし、専用技くらいつくがあるのでポケモンから逃げられずに済む。思い出し技でシェルブレードもある。通常特性にがんじょうあごがあるのもポイント高い。あれでいて進化のレベルも早い。天候の変わりやすいガラルのジム戦では、雨でも砂嵐でも恩恵を受けられるので、非常にありがたい存在だなーと、育てながら思った。

 専用技といえばモルペコのもすんごいな!あれを覚えるのはかなり後半までレベル上げをしないといけないので、一緒に冒険する仲間として頼りになるかというと微妙だが、それでも今までの無進化電気ネズミ枠の中ではかなり育てやすい気がする。トゲデマルはUSUMになってようやくアイアンヘッドを教え技で覚えられるようになったが、モルペコは始めからかみつくを自力習得出来るのがいいよな。

 

育てにくい

 タイレーツは育てにくかったな~!レベルをあげるとインファイトを覚えるんだけど、それまでの一致格闘技はいわくだき・きしかいせいの二択なんだよ。冒険中にいちいち「背水の陣→起死回生」を狙っていくのは面倒くさい。毎回のバトルで波をザッパンザッパンさせたり九死に一生を得るくらい真剣にやらなくていいのよ……と思いながら、彼らの後ろ姿を眺めている。

 バトルが終わると毎回しっかり回復させないといけないので、そこらへんもシナリオ攻略ならではの面倒くささがつきまとうな。専用技はすごいんだが、バトルに慣れてない人は使い所が難しいのではなかろうか。PP少ないし。特に第8世代はタイプ単色が非常に多いので、ポケモン交代させたかろうし。かといって使わないとタイレーツである意味がないし。難しい。

 ただタイレーツが出現する8番道路では瓦割り、アラベスクタウンでリベンジのわざマシンが手に入る。これらを彼らに覚えさせると楽になる*3。モルペコもわざマシンで覚えられるものは多い。ここまでプレイすれば多くのわざマシンやわざレコードが手に入るので、単色タイプな第8世代でも技に困ることはなくなるんだろうな。これも「抜きん出て育てやすいポケモンが思い浮かばない」理由の一つだろうか。

 ま、私はレベル技の取得からポケモンの成長を感じるのが好きなので、マシンやレコードはあまり使わなかったな!意外なポケモンの意外な習得を見るのは面白いけどもね。ヤクデの熱湯とかさ。

 

新技の習得の遅さや夢特性

 第8世代からのポケモンたちの中で、専用技を持つポケモンの、専用技を覚えられるレベルが高めに設定されている子が多いなーと感じた。モルペコのオーラぐるまは55で習得なので、キバナさん戦にはもちろん、下手するとセミファイナルにも間に合わないんじゃないか?*4

 あとは専用特性が隠し特性で、普通にプレイする分にはそれに触れることすら出来ないのは、ポケモンの個性としてどうなんだろうなと思った。普通にプレイしている私としてはつまらなかった。

 でもでも、夢特性も新技も、シナリオ攻略でのレベルデザインとも関わってくるだろうから、ホイホイと出すことは出来なかったのかなとも思う。モルペコがレベル30くらいでオーラぐるま覚えちゃったら、私ならそれしか撃たないもんな。かといってオーラぐるまの威力を下げられたらガッカリするだろうし。苦労して苦労してようやく手に入った技がむちゃくちゃ強かったら嬉しいもん。

 それに、夢特性はある意味でレアリティになるわけだから、交換しあったり探して捕獲する楽しみにつながるだろう。期間限定のレイドイベントとの相性もいいから、プレイヤーみんなに渡すというのはなかなか難しいんだろうな~。と考えながらワイルドエリアを歩いていた。

 ただそんなものとは一切縁のない私からしたら、隠し特性は廃止にして3つ目の通常特性にしてほしいけども!お金払うから隠し特性出させてくれない?オジサンもう手間かける体力がないよ?任天堂くんさぁ時間ってプリカで買えないんだよ???

 

図鑑とガラル

通信のアイコンや図鑑の煩わしさ

 YY通信のあのアイコン!邪魔だったな~!!自分がポケモンを捕まえる・キャンプをする・ポケモンが進化をする等などで画面左下にぴょこんと出てくるのは、通知としては100点なんだろうけど、ゲームに没入したい私からすると不快極まりなかったもんな。あれ2画面構成のハードだったら下の画面に出てたのかしら。

 前作で出来てたことができなくなるの悲しいぜ…特に図鑑関係はさ、ちょっとどうかしてると思ったよオイラ。ポケモン捕まえた時に、彼らの仕草や姿を見回せたりができなくなってたりとかは、まぁ我慢はできるんだけど…検索できないのはもう意味分からんもんね。デジタルである意味よ。スマホアプリにするからこんなことに…ってレビューと共に☆1を添えたくなる。

 紙の図鑑の索引なら、ア・カ・サ・タ・ナって大きく見出しが付いてるけど、ポケモン図鑑はそれも無いし、五十音順で並び替えると進化前・後の順番変わって調べにくくなるしで!!もう!!!紙よりレベルの低いものを作って満足すな!ダイマックスエネルギーばっかり研究してないで、ポケモン研究とアプリ開発に熱入れんかい!!重さ比べ機能まで付けろとは言わないから、ちゃんとして!!!!と心の中で言いながら真顔で図鑑見てたね。

 

図鑑がしょぼい理由とガラルの人の好み(長い)

 図鑑について1プレイヤーの私がフォローする義理なんぞ、無い。使いにくいものを使いにくいと喚いて何が悪いんじゃ。けれど……ガラルの図鑑を眺めていると、それだけこの地方では図鑑というか、ポケモンそのものについての研究が進んでいないのではないか?とも思えてくるんだよな。

 所詮スマホアプリなんだから機能はしょぼくて当然、だとは考えてないんだよ。ではなぜスマホアプリ程度の機能しかないのか?って思っちゃう。それについて、ここからオイラなりの解釈や考察を書くんだけど、ガラルについての批判をしたいわけではないんだ。それを覚えておいてほしい。

 結論から書くと、ガラルの人はあんまりポケットモンスターに興味がないんじゃないかなって思ってる。いや!もちろん!ポケモンは好きだろうし、ヒスイの人とも違って「当たり前に」ポケモンと一緒に暮らしている。

 でも例えば、リージョンフォーム。それについてガラルの人って全然話さないんだ。ヒスイでも聞く話題なのに。アローラで大盛りあがりもしてたじゃん。なのにここじゃ話題に上がらない。なぜリージョンフォームが存在するかも、分かってないのにね。

 他にも例えば、ガラルデスマス。彼の進化条件って、むちゃんこ難しいと思ってるのよ。だって進化へのヒントがさ、ポケモン図鑑読んでもさっぱり分からないんだもんね。でもそれってつまり「ガラルの研究者たちも”解っていない”」ってことなんじゃないかなーと思って。解ってないから記しようがない。

 世代を重ねるごとに、図鑑の内容は地方の色が現れるようになってきた、という話を色んなところでしてる。アローラ図鑑ならディグダメガシンカポケモンの説明が特徴的だし、ヒスイ図鑑ならヤミカラスビッパが面白い。そしてこの剣盾にもそういうものは沢山ある。地方ごとに図鑑の説明が違うのは、その土地でポケモンの生態が変わるからだけでなく、地方でそのポケモンをどう捉えているのかが違うからだし、地方の歴史や風土が異なるからだ。と私は思っている。

 そんな今までの前提(と私が勝手に決めつけていること)から考えてみると、ガラルの人たちはあまりにも淡白に、いや違うな、カジュアルだ。カジュアルにポケモンと接している。そしてガラルの歴史や風土については、深く考えていないように思える。

 マグノリア博士やカブさんも言ってたでしょう、ダイマックスはガラルの文化だって。じゃあ、ダイマックス以外は文化じゃないのかな?って思って。

 図鑑が必要最低限の機能だけなのも、そこに繋がる。オススメ機能はロトムの性質によるものだし「図鑑」らしくない、どちらかといえばソシャゲの再プレイ促進の意味合いが強い。そこがカジュアルで良いと私は思っているけれど、ガラルの人もそれで充分だと思っていて、思っているからその機能しかない。と、私は考えているのさ。

 さっきも遺跡の話を書いたけど、あれだけの遺跡があるのに、考古学の研究がさっぱり進んでないでしょう。観光地にしかなっていない。だからウカッツさんみたいな人がカセキ研究の代表みたいなのになっちゃうんだよ。

 ソニアはガラルの伝説について調べようと頑張っているけど、逆に、今まで誰も調べてなかったの?って思う。こーんだけ伝承が残ってるのに手つかずって。シロナさん白目むくよ。

 そりゃクリア後のエピソードを見ればそこらへんもなんとなく察しが付くけれど、それを加味しても、このガラルに生きる賢人たちは、誰もなんにも思わずにホテルにデカイ英雄像建てて満足してたってことでしょう?タペストリーをボブの店に飾ってても触れられないし。そもそも、このガラルには「けんきゅういん」と呼ばれるトレーナーすらいない。*5

 そういうところを見ていると、ガラルではある意味で”大衆的な方向”へポケモン研究への舵を取っているんじゃないかな~って、感じるのさ。

 ガラル地方の中心、背骨はジムチャレンジというスポーツで、それを軸に生業や営みが生まれている。背骨の中ではダイマックスエネルギーの髄がドクドクと流れている。ダイマが無ければガラルは栄えなかったし、ジムチャレンジもここまで盛り上がるものにならなかっただろうね。

 だからこそ、その軸から外れた研究をする意義が、ガラルでは薄い。だもんでポケモンに対しても考古学の分野でも、研究が進んでいない。それを、ガラルを冒険していて感じた。少なくとも、ヨロイやカンムリを除いたガラル地方ではね。

 そこがアローラとはまったく違うところで、私はすごく面白いし好きだ。ここまでガラルのカジュアルさについて書いてきたけれど、これは悪いことだけじゃない。どんなことにもいい面悪い面っていうのはあって、その両方を見たり片側だけを見つめたりするのは、私にとっては大切なことなんだ。

 図鑑が詳しくないと困るのは私であって、ガラル地方の誰かではない。ここはハッキリさせておく必要がある。研究のレベルが低いからダメということもまったくない。その分、別の分野の成長があるわけだし。

 歴史を理解できなければポケモンを楽しんではいけないか?んなことないよねぇ。ポケモンバトルが楽しいという理由だけでポケモンを育て、そこから未来の扉が開かれる、大いに結構!シュートシティのスタジアム前で、ガーディと競争していた子供がいたでしょう、すごく印象に残っていてね。あの生き方はガラル地方ならではだと思うのよ。ジムが生活の一部になっている。

 もちろんこの件について「ゲーフリがジムチャレンジを際立たせるためにシナリオ上でガラルにおけるポケモンの研究や歴史の部分を省略した」とも「ジムチャレンジャーである人間からはガラルの歴史の深い所まで見えなかった」とも捉えても全然いいと思う。別の捉え方でもいい。キミの好きにしなさい。

 (スパイクタウンが寂れているのはダイマックスが出来ないからと言われている。でもジムチャレンジには8つのジムすべてが必要不可欠であり、ガラルの人がジムチャレンジ大好き民なのであれば、ガラルの人々はスパイクタウンにも訪れるはずだ。ナックルシティからずいぶん近いし。なのにあの街が寂れているのは、多くの大衆が求めているのはジムチャレンジという”伝統”ではなくジムチャレンジという”興行”であるから、と考えることも出来る。そういう意味でもガラルの人はすごくカジュアルだと思う。本筋とは少し逸れちゃうからここに書いたよ。スポーツはしないけどスポーツ観戦はする、それについての色んな良さ・悪さがガラルのジムチャレンジに感じられる。そこが良い。)



ポケモンキャンプなど

 前作のポケリフレからキャンプに変わって、ポケモンを直接触れなくなったのは寂しいけれど、一緒にご飯食べられるようになったのは嬉しかったな~~~!!!!!

 いいのよ触れなくて…ただ見つめ合ってご飯を食べられる。互いにいろんなことを考えて生きていく中で、ご飯の前で同じ「美味しい」という感情を共有できる、それってもう家族じゃん!!キャンプについてはこれ以上書くことないんだよな…自分が作ったご飯を美味しい美味しいと食べてくれる人、それが私の理想の人なので、これ以上求められない。センキュー。

 あと今更だけどさ。今作っていろんな道路にそらをとぶが出来るけど、それって全部キャンプ地を目印にしてるんだね。だから色んなところで他の人とキャンプが出来るし、そこで体力回復が出来る。キャンプのミニゲームが苦手な人でも他の人と一緒に作れるからカレーランクが上がりやすい。良いよね!

 でもPP回復が出来ないのはめんどうだったなー。今作は木の実の取得がランダムだから。ハロンタウンの木の実屋さんで色んな種類を売ってくれたらよかったのにー。ただまぁそのPPの管理も、RPGっぽくて良いよね。かみなりのわざレコード手に入ったけどスパークのほうがPP多いし…って考えられるし。今作は一度覚えたわざレコードの技はポケセンで思い出せるんだよね。あれすごくありがたかったな。

 

クリア後の冒険について

 実況はしていないけれど、一応エンディングを見た後に遊べるシナリオはプレイしたんだよ!正直に言うと、実況してなくて助かったな~と思った。いや!良いところはたくさんあるんだけど、どーしても1つ、許せないことがあったから。それに対しての怒りというか、悲しさを抑えて実況できる気がしなかったから、実況してなくて助かったな~と思ってる。

ポジティブ

 良いところはそりゃ~もう山程ある。ソニアやホップたちみたいな、仲間の成長を感じることが出来たし!ビートくんがいたアラベスクジムとかでの出来事や、ナックルシティのキバナさんとネズさんとのやり取りとか最高だったし!カブさんの笑顔を見て思わず「くわぁ~!」と叫んじゃったし!メロンさんと話した時、スクショ30枚くらい撮っちゃった……へへ……

タイプすぎてだめだ…誰か…

ネガティブ

 けどね。シーソー兄弟が、とにかくかわいそうでさ。彼らは何のために生まれてきたんだろうって思って。

 彼らって、既存のキャラと伝説ポケモンを引き立てるための存在でしかなくない?いろんなところに喧嘩を売って、ポケモンを苦しめて、伝説ポケモンの力に対処できなくて。過去に登場した悪の組織を濃縮還元した人って感じ。しかも良いところ全然ないじゃん。カッコよくもないし。バトルも強くないし。

 この感じすんごい似てるのよね、エピソードデルタと。ORASのエピデルに登場したヒガナと、シーソー兄弟ってやってること全く一緒なのさ。他人をディスって笑いを取ろうとする所も一緒だし。でも、プレイして受けたショックの具合なら、Shの方が上かなぁ。

 エンディング前ではエール団やローズさん、ビートくんみたいな、プレイヤーの障害となる存在はたしかに出てきた。でも彼らは、自分たちなりに色々考えて、ポケモンや人のために行動していた。その行動にエゴが含まれていたとしても、ね。

 そして彼らを慕ってくれる人がいた。エール団にはマリィちゃんやネズさん、ローズさんにはダンデさんやオリーヴさんが。彼らは今作における諸悪の根源でも悪いヤツラでもない、ガラルに住む普通の人と、あまり変わらなかった。

 私は今作をプレイしていてそう感じたし、それがとても嬉しかった。きっちりと善悪で線引をしなかった、このソシルドのシナリオに触れられて良かったとすら思っていた。

 だってのに。あれはなんだ。シーソー兄弟は何のために生まれてきたんだ。いや、なんのために生んだんだ、ゲームフリークは。

 別に悪いやつをこの世界に登場させるな、なんて言ってない。悪いやつは存在して良いし、というか私が決められることじゃあない。だけど、人から愛されるキャラクターだけが更に愛される権利を与えられるような、そんな世界まっぴらゴメンだね。このガラルでは、特に。

 だからやっぱり、クリア後のガラルを冒険してなくて良かったなーと思う。多分、自分が小学生とかだったら笑って許してるんだろうな。わーコイツ負けて白目むいたおもしろーいっつってさ。参ったな~

ネズさんとずっと一緒にいれたことが一番良かった

おわりに

 たくさん書いて疲れたから、そろそろ終わるか!ここに書いたこと以外の、ポケモンソシルドについての感想は、全102話の実況の中でたーくさん話したから、ぜひ動画を見てほしい。あとマシュマロで今作の難易度に関する質問を頂いて、それについて答えたから、よかったらこれも読んでみてくれ。めちゃ良い質問、というか意見だったなー。ありがたい。

marshmallow-qa.com

 そーいえば今回の実況は、今までのポケモン実況の中でも一番短くなったのに、終盤の再生数がすんごい低かったな。見てる人の中で飽きた人が多かったんだろうか。こんなに短く終わったのに。それもちょっと悲しいというか、寂しいな。

 まぁでも、冒険が面白かったから良いか。それに沢山の人に見てもらえたし、アンケでも嬉しい感想たくさんもらったしな!

今回の実況のアンケート。時間あったら答えてくださいな→

https://forms.gle/tCkQBqmzfV4tDZjv5

気を取り直してまた実況撮るか!ではまた。

*1:あの城ってジムとは何の関係もないんだもんな。

*2:ポケセンでBP交換してくれる人がトツゼン登場したりとかさ

*3:リベンジははいすいのじんと相性が良くないが

*4:今作は後半のレベル上げがしにくい。常に戦ってくれるトレーナーさんもいないし取得経験値の仕様が第5世代の時と同じなので自分よりもレベルが低い相手とバトルしたときの経験値の量が他の世代よりも少ない

*5:白衣を着ている女性とバトルすることもあるが、彼らは皆「けんきゅういん」という肩書ではない。ガラル地方に研究員は存在しているだろうが会うことは出来ない

Xくんについて

 昨日の23時頃か。PCでツイッターを開いたら、画面左端の青い鳥のロゴが、見知らぬXに変わっていた。ついにXに変わったんだな。バランスボールが後頭部にボコンとぶつかったような、柔らかくてどうでもよくて、そしてケッコー重い衝撃を感じた。

 PCでツイッターを眺める時は「おだやかツイッター」という拡張機能を使う。ずいぶんおだやかになるので大変ありがたい。でも昨日からXという文字の横に「おだやか」と書かれていて、すごくナンセンスというかアンバランスで笑ってしまった。

 それからしばらくの間は、ブックマークしているアイコンは鳥なのに、ログインするとXが現れるという奇妙なことも起こった。数時間ごとにブクマのアイコンも変わり、スマホの方も変わり、私の目の前からは鳥が1羽もいなくなった。少しずつ変わっていった所がなんとなく、個人が運営しているサイトみたいでかわいいなって思った。

画像左上のXおだやか。おだやか…かな…

 私は実況プレイ動画を投稿して活動しているので、動画投稿者としてこのツイッターを使っている。相互フォローしている人の99%は視聴者と投稿者としての間柄だ。もちろん仲の良し悪しや親密度は人によって違うけれど、私をフォローしている人の大半は、私の動画を見てなんらかの手順を踏んで私のアカウントを見つけたのだろうから。

 日常的な呟きはするけれど、それよりもずっと多く、宣伝とか告知とかホウレンソウの発信のために使う。かれこれ10年くらいは使ってるのかな。そんなツイッターくんが、ついにXくんになってしまった。

 ショックでは、ある。今日も明日も「ツイッターがおだやかXになったな…」という思いを抱えると思う。しかし、それでも使い方はあまり変わらない。名前が変更されたくらいではね。しかし最近、ちょっと厄介なことになってしまった。

 

 ニコニコという動画投稿サイトがある。ここはYoutubeよりも随分寂れているのだが、Youtubeにはない良いところも結構ある。例えば自動ツイート機能。これのおかげで予約投稿していた動画が公開されるとツイッターに投稿のお知らせが自動ツイートされる。ありがたい。これはYoutubeにはもう無くなってしまった機能だった。

 その自動ツイート機能の提供が終わった。

blog.nicovideo.jp

 ニコニコは結構がんばっていたと思う。API有料化になっても自動ツイートは出来ていたから、きっとキチンとお金を払っていたんだろうな。でも今回は有料化というより仕様変更で復旧できないと書いてあるから、お金の問題じゃないのかもしれないな。分からんけどね。

 私がツイッターを使い続ける理由が、1/3消えた。いちいち手動でお知らせをするのは楽しいけれど、めんどくさい!毎週月水金に動画投稿しているけれど、月水金のだいたい決まった時間にツイートするのかと思うと、もう気が重いもんな……。

 別に決まった時間じゃなくていいんだが、ただ私の場合、仕事終わって家帰って一息つく頃にはもう23時とかなんだよな。世間じゃスヤスヤタイムなのに誰がお知らせを見るんだと。あまりお知らせの意味がない。気がする。

 もちろん、iftttなどのサービスにお金を払ってXとニコニコを連携させることも出来る。が、お金を払ってまでする価値のあることでもないなとも思う。だって私のお知らせのインプレッション50いかないもん。月額で何ドルも払って自動ツイートして、3いいねじゃ悲しすぎるぜ。私のお知らせ自体が価値のあるものとも思えないし……。

 第一さ!こういう考え方ってすごくイヤなんだ!趣味も、いいねも、大なり小なり人の好きという気持ちが含まれているでしょう。それを値踏みしたり値札をつけるなんて、それこそツイッターくんがやってる商売と変わらんもんさ。こういう考え方になるくらいなら、やめたほうがいい。

 だもんで、今後はあんまりニコ動に動画投稿したお知らせをしないと思う!動画の感想などをつぶやきたい時はするけどね。よろしく。確かYoutubeの方は出来てるはずだから、そのまま続けるけどね。

 

 Xくんは消えてなくなることってあるのかなー。あるかもな。そうなったら困る人っていーっぱいいるんだろうな。自分がネットの世界を覗いた時にはすでにツイッターがありました、って人も沢山いるだろうし。ツイッターのフォロワー数X万人!って売り文句の帯を巻かせる漫画家さんとか。そういう人ってインスタとかにいくのかな。

 先週東北で大雨が降って、いろんな地域の人が困ってたんだよ。それなのに一部の行政のアカウントが凍結されちゃって、情報を発信できなくなったんだよな。花巻だったか。あれには困った人もいたんだろうな。

 ひとつの会社が経営・運営しているサイトに縋って公的な情報を発信したり飯のタネを作っていくのって、割と不安定で危険な行為だよなとも思うし、それでXくんに文句を言うのはなんか違うよなーとも思うけれど。これだけの規模になったものに対して「一企業が作っただけのものに頼るなんて~」と切り捨てるのも、なんとなくかわいそうだし。難しいよなぁ。

 

 関係ないけどさ、未確認なものや伏せたいもの、あと◯◯って言いたいものをXって呼んだりするよね。プロジェクト◯◯だとカッコ悪いけどプロジェクトXだとかっこいい。20XX年だとかっこいいけど20◯△年だとちょっと子供っぽい。日本人というか、日本語での話なのかな、◯とかXとか使うのって。20XX年って書くより、20XX年って書いたほうが文字のバランスが好き。

ふだんはここで動画投稿しています。

niconicohttps://www.nicovideo.jp/user/37168119

youtubehttps://www.youtube.com/c/MrMaruimono0427

ポートフォリオhttps://potofu.me/maru-tyokubai

 

通勤途中のカギ

 通勤のために、いつもの道をとことこ歩いていたら、塀の上にカギが置いてあった。自転車のカギだったかな。ちらっと見たが、仕事があるので通り過ぎた。

 職場に着くまでの残り10分、カギのことを考えていた。

 カギってのはそりゃもう貴重品だよ。これがなければ家にも入れないし、自転車にも乗れないんだもん。宝石もスマホも貴重品だが、それが入ったロッカーを開けられないんじゃ意味がないし。ポケモンの主人公が拾ったら、間違いなく「たいせつなもの」のカテゴリに保存される。

 なのにあのカギは、警察に届けられたわけではなく、塀の上に置いてあった。

 カギをあそこに置いた人は、どんな気持ちだったんだろうか。私と同じように通勤途中で見つけたけれど、自分は急いでるから交番までは届けられない、しかしカギは大切なものだ、と思ってここに置いたのだろうか?それとも、もし交番に届けたとしても、探している人が交番に行かずこの道ばかり探したら見つからないから大変だ、と思ったのだろうか?

 鍵が塀の上に置かれた理由は、よく分からない。しかしこの落とし物は、なんらかの善意によってあそこに拾い上げられたはずだ。小さな親切心だよなきっと。それを通勤途中で感じられて、ちょっと嬉しかった。

 小さな親切大きなお世話、という諺があるが、これには当てはまらないだろう。