wander around holding a soft oval

日記を書いてます。人からはエッセイだとも言われます。

北海道旅行をして思ったことその1

先々週、北海道に旅行に行った。3泊4日の予定だったが、最終日に飛行機が雪で飛ばず、1泊増えた。4泊5日の長旅だ。今までの旅では最長。実家に帰省した時ですら、ここまで長く、自分の家以外の場所に泊まったことはない(実家は家ではあるのだけど)。アパホテルに3泊した。

北海道から神奈川に帰り、次の日は仕事だった。しかしその日はとてつもなく暇で暇で。出勤しなくても良かったんじゃないか?と10回は思った。上司からも言われた。

 

”北海道”は良いところ…だったと思う。いや、ごめん。正直あまり良くわからない。旅自体はとても楽しかったのだが、北海道らしい旅を出来たのかどうかは、分からないんだ。

北海道で食べたものはどれも美味しかった。寿司、ラーメン、カレー、ジビエ料理雪印パーラーラッキーピエロにも行ったな。最高だった。だが、最高に美味しいものならどこか別の場所に行っても食べられると思う。お金さえ払えば。北海道だから一番美味しいな~というものを味わったかどうかは、よく分からない。

北海道は雪がすごかったが、それは岩手も秋田も同じなので正直良くわからない。雪に慣れすぎているからな。レンガ倉庫で色んなお土産を見たが、神奈川にも赤レンガ倉庫があるので、それも特別感はなかった。むしろ札幌駅の前にあるでっかい本屋さんや、函館にある全フロア無印良品の建物に興奮してしまった。

珍しいお土産も買ったし頂いたりしたが「珍しいもの」は北海道以外にもどこにでもある。私は旅行をしたことがないので、どこに行っても珍しいものしかないのだ。先程ラッキーピエロの話をしたな。ラキピは北海道にしか無い珍しいものだが、神奈川にしか無い珍しいものだってあるだろ?珍しいものというカテゴリで分けてしまうと、珍しくなくなってしまうんだ。

北海道らしいな!と思ったのは、移動時間の長さだろうか。札幌から函館まで数時間電車に乗って移動。帰る時も同じように移動した。神奈川から北海道への飛行機移動のほうが短かった。これはおそらく北海道らしさではなかろうか。それが良いところかどうかは分からないけどな……でも移動中ずっとSwitchのメトロイドドレッドというゲームをプレイしており、移動時間内でクリア出来た。ハードモードまでクリアした。それほどボリューミーな移動だった。

「らしさ」を感じるためには、それなりの未経験と経験が必要だと思う。私は旅が未経験なので、北海道の特徴を掴めなかった。そして雪国は経験済みなので、そういう意味でも特徴を感じ取れなかった。多分そういうことなんだろなーと思う。

しかし、この北海道に行った経験は、間違いなく私の血肉になったと思う。もう一度北海道に行って「あぁこの感じ変わらないな」でも「変わったな」でも感じたのなら、それはもう十分に北海道を経験していると言えるんじゃないかなーと思うのだ。再びラキピに行ってバーガーと焼きそばを注文し腹がはち切れんばかりに食べ、そこで北海道らしさを感じられるのかもしれないのだ。

ということを、北海道から神奈川に帰ってきて、すぐ支度してまた出かけ、隣町の喫茶店でコーヒーを飲みながら考えていた。

この時私はスマホを家に置いてきた。わざとね。

 

旅は誰が作る

実は北海道にいる間も、移動中も、帰ってきてからも、大きな旅をした実感が無かった。日常の延長線というような感覚に近い。ちょっと遠くで美味いもの食べたよーくらいの気持ち。新鮮ではあったが達成感も旅情も湧かなかった。どうしてだろう?と、成田空港から横浜駅へ向かう電車の中で考えていた。

横浜駅から相鉄線を使って二俣川に行ったことがある。同じく横浜駅から東急を使って乗り継いで渋谷に行ったこともある。どちらもいつも行かない場所なので、降りる度にワクワクする。逆に言えば、それくらいにしか、北海道に降りた時もワクワクしなかった。電車に乗りさえすればどこにでも行けてしまうから、北海道も二俣川も、離れてはいるが繋がっているように感じてしまっている。のかもしれない。

旅情が湧かなかった2つ目の理由は、スマホにあるんじゃないかとも思った。旅先でも珍しいもの美味しいものを沢山スマホで撮った。路面電車もモバイルPASMOで乗れた。考えたことをスマホにメモし、SNSに投稿した。景色の一部が、旅の時間が、50平方センチメートル程度の電子機器で切り取られている。神奈川にいようが、北海道にいようが、スマホから見えるものは変わらないし、スマホが見ているものも変わらない。スマホを通してしまうと、ただの日常でしかなくなる。と思ったのだ。

そこで、スマホを持たずに出かけてみたのだ。財布から小銭を出しいつも行く場所の切符を初めて買い、いつもの喫茶店でコーヒーを注文し、飲みながらメモ帳に手書きでアレコレ書いたり本を読んだりした。

たったこれだけのことで、すごくワクワクしてしまった。そして小さな小さな旅情を味わえてしまったのだ。

自分はなんて安上がりなんだろうとも思ったし、こんなことなら北海道旅行の初日でスマホ捨てればよかったなとも思った。そして、こんな小さなことで非日常を味わえるなんて面白いなとも思ったのだ。そう思った瞬間、北海道で感じた北海道だけの空気が、頭の中にどわーっと広がった。あの場で私が感じていたことは全て特別なものであった。それを石ころ程度に留めていたのは自分だったのだと、ここで理解した。

日常と非日常は、遠くにあるようで実は肉薄しているのかもしれない。新しい花を生けたら「いつもと違う日だ」と言えるし、旅先で花を見て「いつもと同じ日だ」とも言える。旅行に行ってもいつもと同じ日常を送ることだって出来るし、その中で自分が無意識に非日常を味わっているのかもしれない。旅の中で生活は出来るが、生活の中でも旅情は味わえるのかもしれない。

 

と、メモに書いたところで店が満席になっていることに気が付き、家に帰った。日常を特別にするのは自分であり、特別な世界の中で日常を生み出すのもまた自分なのだな。北海道で面白かったことを沢山思い出したので、また今度書こうと思う。

電車の中のセコマの唐揚げ、函館の海の奥にコメダ。日常と非日常。