wander around holding a soft oval

日記を書いてます。人からはエッセイだとも言われます。

次女と普通のご飯

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時折、街のレストランでステーキと格闘しているご老人を見かける。かつては何とも思わなかったが、今は、あのご老人はたいしたものだなと思う。

子ども不在の食卓に、老の訪れを思う - シロクマの屑籠

シロクマさんの記事を読んでいて、思い出したことが2つあるので、書き留めておこうと思う。特にオチはない。

 

ひとつめ

私の母は4人姉妹の次女だ。三女が無くなり、長男(一番下)はつるっぱげの爺さんになってしまったが、次女の母はまだピンピンしていて驚く。それに肌ツヤが良すぎる。あの人は大して運動もしないので、健康の秘訣が何なのかまったく思いつかない。ご飯もそんなに食べず、酒ばかり飲む。時々深夜にコッソリどん兵衛を食べ、偶然出くわした幼い私に、半分分けてくれたのを覚えている。

長女は今も存命どころか元気の塊みたいな人だ。特別なにかしているわけでも無いらしいのだが、いつ会っても見た目が変わらない。まるで時が止まっているかのようだ。長女の子どもたちはどんどん大きくなり、私と同じ、いや私よりもオジサンオバサンになっているというのに、長女も次女はいつまで経ってもオバアサンにならない。

10年以上前、母から「長女は旦那さんと二人で食べる晩御飯がすごくテキトーで、ご飯と味噌汁、ほうれん草のおひたしと納豆くらいしか食べない」と聞いたことがある。なぜか印象深くて、シロクマさんの記事を読んだ時に「長女と同じだ」と思い出した。

印象深く感じた理由は、晩御飯は一日の中で一番豪勢なものを食べたい!と思っている私にとって衝撃的だったから、かもしれない。朝昼普通に食べて、夜にそのメニューだと、腹ペコな私であれば泣いてしまうだろう。夜中一人でマヨネーズを吸うかもしれないな。

でも、印象に残った理由はそれ以外にもある。それはまた後で書く。

 

ふたつめ

私はマストドンのあるサーバーに登録している*1。「とりあえず記録用に」と思って、毎日のご飯の写真を投稿することにした。

お弁当を作ったり、晩ごはんを作ったり。昼間に夜食べる用のカレーを作ったりレトルトカレーを皿に持ったり。そのたびに写真を撮り、投稿している。いろんな方から反応を頂き、なんだか嬉しい。

昨日も晩ごはんを投稿した。すると鯖内の一人から「キミのごはんはほっこりごはんだね」とコメント…というか名指しの空リプを頂いた。ありがとうございます。

私のご飯はほっこりするものが多い気がする。地味というか、家庭的というか。地味・家庭的・ほっこりをイコールで結ぶのはどうなんだ?と思うが、私はそれらの言葉は結構うれしかったりする。家で食べるなら、地味なご飯を選びたい。

私は、豪勢な家庭料理にはあまり興味がない。たとえば「家でローストビーフを作りました~」とか言われても、ふーんと思う。美味しがって喜んでいたら、純粋に「良かったじゃ~ん!いえーい!」と私まで喜んでしまうのだけれど、その料理自体には関心がない。

決して不味そうに思っているわけではない!きっと美味いんだろうなと思う。しかし、うまそうな料理も、うまそうに見える写真も、一歩外に飛び出せば、いくらでも見つけられる。ある意味「いつでも食べられるもの」に対して、そんなに興味を持てない。外食で焼肉の写真を投稿されても同じだ。見慣れている(食べ慣れているわけではない。金持ちではないので)。

外食と家庭料理で同じものを食べることは、別次元の話なような気は、するのだ。どちらにも楽しさがあり、それはもう一方が決して持っていないものだと思う。ただ、美味しそうかと言われたら、私は料理屋さんに行ってポップを見たり、公式サイトを見たほうが美味しそうに感じる。お店みたいな味は、お店で食べられる。もちろんお金の続く限りだが。

一方で、その人の人柄や家庭事情が垣間見える、おそらく金を払っても食べることの出来ない「普通の家の料理」が、私は大好物だ。写真も下手というか、素人感がある方が嬉しい。構図もテキトーだとなおブラボー!写真が良く出来ていればいるほど、その写真が伝えたい美味しさは見てる人間に伝わってしまうが、その逆であれば、むしろ味の予想は全くつかなくなる。不味いかもしれないし美味いかもしれない。あぁ興奮してきた。外食の写真でも同じだ。普通のしぶそばの、わかめがビャっと隅に固まっている写真のほうがそそられる。味の予想がつくはずなのにつかない。

なので、私がSNSでご飯の写真を見た時には「良かったな~のいいね」と「美味しそう~のいいね」で使い分けている。もちろん分けたところで同じ”いいね”なのだけれど。

シロクマさんの記事を読んだ時に、素直に「美味しそうだな」と思った。思った時に、昨日言われたほっこりごはんのことを思い出したのだ。シロクマさんの朝ごはんも中々良い。褒めているのでどうか怒らないでください。

(そして縁があってこの記事を読んでいる、同じサーバーの方。私が興味を持たない=めちゃめちゃ美味しそうで映えてるご飯だと言うことを知っておいてください)(そして映えないな…とお嘆きの貴方、むしろ私はそういうのにそそられるので落ち込まずどんどん投稿してください)

 

老後と過去を思う

この2つのことを思い出し、改めてシロクマさんの記事を読み直した。そして「私がこんな嗜好になったのは、歳をとったせいなのか?」と思ったのだ。記事内では加齢と食事について書かれているが、私もそれによって好みが変わったのかと。

が、振り返ってみるとそんなことは全然なかった。「ひとつめ」で書いた長女の晩御飯の話、あれを聞いたのは私が高校生くらいの頃の話だったが、素直に「いいなー美味そう!」とも思ったのだ。別にからあげやトンカツが嫌いというわけじゃないむしろ毎日食べたいが、単純にそういうシンプルなご飯も同じくらい好きなのだ。旅館の、バイキングじゃない普通の朝ごはんみたいなのが好きなんだ。焼き魚が付けば尚良し。

外食のような家庭料理の話も同じだ。外で食べるご飯と同じくらい、家で母が作る切り干し大根の煮物のようなものが好きだった。わっしわっしと御飯のおかずに食べていた。

 

思い出したことを書けたので、ここで終わる。特にオチはない。人によって好みはいろいろあるので、何かを決めつけて書くことも出来ないし。記事と大きく関係あることも書けない。読んで思い出しただけだから。

私は年をとっても、ステーキと取っ組み合いのケンカをしていきたいし、家で大根油揚げの味噌汁に浸かっていきたい。

今日は昨日のご飯を見ながらお別れです、さようなら。

*1:SNSの一種