まるっとまったりまろやかに

ゲームの感想、考察、実況プレイ動画のこと。日記も。

誰のための料理

つづらの手帳 (蝦夷温泉) - マンガノ

ある漫画を読んだので、感想とかを書く。

女性二人が美味しそうなご飯を食べつつ、日々朗らかに生きていく様子が描かれていて、すごく良かった。読んでよかったなーと思える漫画だった。

良いところは沢山あるのだけど、毎回の調理と食事のシーンの描写が特に気に入っている。写実的というのか、アレは。

 

まず料理は4コマで完成する。1ページの半分に、調理工程とその絵が載ってある。

工程は簡素にして簡潔。あんなに調理の描写を省いたおでんの作り方、料理マンガで久しく見ていない。

一方で"バズレシピ"ほどの手軽さと見た目でもない。ごま油と塩昆布で味を補強しチーズと温泉卵でとろりんちょさせる、そういうご飯は出てこない。

肩の力は抜いているが決して手は抜いていない、そんな料理が美味そうだ。

 

料理の絵はまるで写真の1枚を貼ったよう。ひょっとしたら写真を模写したり加工してるのかもしれない。そのくらい、ちゃんとリアルだ。

食事シーンも二人で仲良く食べている。味の感想は一言二言くらいかな。美味しそうに食べている。互いが相手を思い合い、労いながら食べる。

このマンガでは料理を作業の一つ、家事の一つとして捉えている、私はそう感じた。この料理は、二人のための料理だ。それを見てなんだか気が楽になり、またこのマンガが好きになった。

 

 

自炊を続けて数年経つ(プロフィールとしては20代なのでこう書いている)

料理は面倒だ。食べたいご飯を食べるためにはご飯を作らなくてはいけない。当たり前だ。その前に流しの皿を洗わないといけないし、炊飯器を潤かして米が取れやすいようにしないといけない。

タンパク質だのビタミンだのを考え始めると疲れ果てる。ご飯を作ることというのは、ごはんを作ればいいだけではない。冷蔵庫の常備菜も冷凍食品も、自分で買わないといけない。はぁ。

 

私は、誰かが美味くて心が満たされるような料理を食べさせてくれて、かつ皿洗いもしてくれるなら、二度と自炊なんかしなくていい。

あ、いや。やっぱ今の話はナシ。そんなことはない。ご飯を作るのは嫌いじゃない。

ふと思いついた料理が目の前で完成するのは嬉しい。150円の鯛の頭を煮て出汁を取りそうめんのつゆにしてニヤニヤするのは楽しい。自分の作るマカロニサラダもオムレツも好きだ。

だから週2でご飯を作ってくれるならそれでいい。皿は全部私が洗う。

こう考えると、やはり料理をするのは”普通”だ。好みとしても、心のあり方としても。

 

 

さっき少しバズレシピについて書いたが、ああいう類のものは好きじゃない。情報を誇張しているとこと、料理そのものをエンタメ化しすぎてる、と感じるから。

しすぎてるかどうかは私の感想でしかない?感想とかを書くって1行目に書いたぞ。今更言うな。

好きじゃないなーと気付いたキッカケは、Twitterでとある料理研究家の方がトブトブうるさくなったことかな。今はフォローも外して本も全て手放した。

ああいう言い回しは苦手だ。というか、晩飯食って頻繁にトンでたらそれ料理のせいってより睡眠障害だから医者に行け。

 

私だって美味い飯を手軽に作れりゃ言うことない。基本料理なんてものは面倒だ。でも、私はそういうご飯も”そうじゃないご飯”も好きなんだよな。どっちもあった方が良い。

今料理サイトを見ても本を読んでも楽・手軽という言葉が出てくる。その一方で最強・正解という単語もよく使われる。それを求めている人間が多くいるからなんだろう。

でも2番目に強くても、不正解でも美味しければ良いんじゃないか。楽なのってそんなに良いことなのか。

粉から麺を作りたくはないが、出汁をとってみたいと思う奴だっている。少しだけ手間をかけたい人間や、面倒くさいことをしたい奴にとっては、お手軽チートご飯はつまらなく見える。

なんでもかんでも塩昆布混ぜるかチーズ載せるかで”美味しそうさ”を強調するようなやり方は、2~3口で食べ終わるような小鉢料理を沢山用意して「これが一般家庭における普通の家庭料理です」とドヤ顔で語るのと変わらない。極端だ。

 

 

マンガの中で麦茶を作る回がある。その回がこのマンガにおける料理のスタンスを物語っていると思う。

主人公は料理を作りたくて作っている。自分と、向かい合って座って食べてくれる友人のために作る。そして一緒に食べる。

 

料理が、自分たちのためという枠組みから飛び出していない。他人を一切介入させないその料理に私は惹きつけられた。書いている方はそんなこと考えてらっしゃらないかもしれないが、これからも応援しています。

ここまで書いてみたが、前回の孤独のグルメの内容にも少し似ているな。私はそういうものが好きなのかもしれない。他人の聖域を覗き見るのが。