マストドン
最近はブログの更新をしていなかった。マストドンに登録してから、小さな独り言はあっちに書いていた。それで満足していたからね。
最近Twitterに対して思うことが色々あって、12月7日にマストドンを始めた。マストドンは自分でサーバーを選んだり作ったり出来るらしい。こちらの方の記事を参考にして、サーバーを選んだ。記事のとおりに「新規です!よろしくお願いします」と挨拶をしたら、33いいねも貰ってしまった。今まで動画投稿しててもTwitterで貰ったことないぞ。ありがたい。
マストドンの方が特別に優れていると感じることも、私が所属するサーバーが他と全く違うということも、(一般ピーポーの私からすると)そんなにない。鯖によってある程度色はあるけども、SNSなので色んな人がいるし、うるさい人も怖い人もいる。でもTwitterとドンが明らかに違うのは、自分の居場所の作り方じゃなかろうか。
Twitterが自分で人を選び自分だけの世界を作っていくのに対して、マストドンは始めから存在する世界の中に入っていく感じ。それが面白い。
街というか……MMORPGにすごく似ていると思う。私がプレイしたものだと、大体チャットが「個別・フレンド・ギルド・全体」に分かれていて、そこで会話したりしなかったり、ゲーム内で遊んだり遊ばなかったりする。ゲームでも色んな人がいるから、合う合わない色々あるんだけど、「その世界にいる」という、ゆるく薄い、しかし確かにある繋がりが、なんというか心地よい。沢山の人が存在しているから、この世界は成り立ってるんだなーという安心感がある。フォロー/リフォローという強い繋がりも選べるんだけれど、他の繋がりを選べるのは良いところだ。あと、今からTwitterを始めて、イチからTLを作るなんてめんどくさいこと、私にはもう出来ない気がする。時間と体力が足りない。
…という記事を書いていたら、Twitterの偉い人が辞めるとか辞めないとかっていうニュースが流れてきた。びっくりしてTwitterを見に行ったのだが、私のTLでは殆ど誰もそのことに言及しておらず、いつも通り生活していた。あくまで私のTLの話でしかないのだけれど、それがなんというか、少し怖かった。家の屋根が燃えてるのに椅子に座って本読んでる人がいたら、不気味だろ。でも渦中の中にいる人はそういうものなのかもしれない。騒いでもどうにもならないし、騒いで結局何も動きがなかったらかっこ悪いし、みたいな。私は臆病なので直ぐ逃げる。だからマストドンに来た。
ゲド戦記
ゲド戦記の1巻を、先日読み切った。ムッチャクチャ面白かった。今年で1番かもしれない。どのページの文章もカッコいい。朗読していたら何度泣いていただろう。ゲドの心の成長と、成長してもなお滲むコンプレックスや感情の揺らぎに目が離せなかった。彼の少年期は、1巻の終わり頃と比べるとなんて危なっかしくて不安にさせるような生き方だったんだ!と、私事のように省みてしまう。けれど、少年の頃の出会いや経験が無駄ではなかったことが分かると、もう泣ける。傲慢さやコンプレックスは無い方が良いかもしれないけど、それが今のゲドを作り彼を導き、そしてゲド本人が昇華していったんだ。
ゲド戦記のあとがきにもあったように、ゲドの生き様を見て自分の生活を省みてしまう。でもそれは決して過去の人生を否定、批判するような結果にはならず、今の自分に勇気と活力を湧かせてくれる。ありがとうゲド。は~どのエピソードも良すぎるんだよ…1巻にはタカの話が度々出るけれど、それらの点と点を線で繋いでいった時の、タカのエピソードの良さよな……カラスノエンドウ……領主の息子……はぁ……
これまで四半世紀生きてきて、本を全然読まずに過ごしていた。進んで本を読むようになったのは最近のことだ。本が好きになったというより、時間的余裕が出来たのが一番大きい。それと今のほうが簡単に図書館に行けるし。子供の頃より今の方がずっと良い。年々良くなっている。金は相変わらず、いや子供の頃より無いかもしれないけど。
関係副詞
【高校 英語】 関係副詞 where,when② (8分) - YouTube
最近は高校生レベルの英語を勉強している。関係代名詞は中学生の範囲で出てくるんだが、副詞となるとまた違って難しい。ここら辺を勉強した時に、自分は副詞というものがよく分かってなかったことに気がついた。そうか、高校の教科書や参考書の最初に、文型や品詞の話が出てくるのは、意味のあることだったんだな。
私は英語よりも数学が好きだ。といっても博士とかそういうわけではない。ただ好きで、数学の本をよく読む。参考書のコーナーも一通り眺めるのだけれど「学校では教えてくれない○○」みたいなコピーで売られている本も多い。勉強を教える動画にもそういうものはあるな。大体決まって「学校で教えられたことはなんて無駄だったんだ」と、本の中の語り手が喋ってたり、レビューに書かれていたりする。
今手元に「いちばんさいしょの算数」という本がある。この中で、なぜ1たす1は2なのかが、丁寧に書かれている。なぜだと思う?
それは簡潔に書くと「1と1をたすと、2になることに決めたから」だ。しかしこんなことを丁寧に、いちいち学校で教えている暇はないのだ。個別塾や家庭教師じゃあるまいし。英語で言ったらdoもそうだな。なぜdoを使わなければ、一般動詞の否定文は作れないのか?そんなことを説明する暇はないだろ、先生に。生徒が自らすすんで学ぶ暇なら、いくらでもあるだろう。最近は子供も忙しいから、暇が無いかもしれん。
大人になってから理解力が上がって勉強ができるようになる場合もある。ソースは私だ。私は中学生の頃は数学も英語もわからなかった。分からなかったので、大人になってから勉強した。その結果、なんともあっけなく中学生用の数学の問題集を何冊も解けてしまった。多分、規則や法則をつかむのが上手になったんだと思う。大人になったからだ。
それでも英語は大変だった。大人になってからも問題集にキレ散らかしていた。なんでThere isで「~に…がある」って文に出来るんだよとか、仮定法過去に過去形使うのおかしくねとか、would you like とか好き勝手に連語作るなとか。それらの理由を、今勉強してようやく分かったんだ。これは子供の頃にその理由を聞いていても、私にはあまり意味がなかったように思う。そんなことはどうでもいいからテストを簡単にしろ、と言っているだろう。
こう思うと、読書も勉強も、今の自分がそれを受け入れるフェーズに入ったから、受け入れられているだけな気がする。生活環境もなにもかも、人それぞれ色々ある。私の場合は子供の頃に、そのフェーズが来なかっただけだと思う。それなのに、受け入れられないことを他人のせいにするのは、情けない。と、私は過去の私に思う。
上で紹介した動画のチャンネルをよく見る。一般人の人が作る動画に比べて演出が少ないので、アッサリ見られるのがいい。
終わりに
今日はここまで。ノートPCに有線のキーボード指して文打つのいいな。このことも今度ブログに書く。今こうやってブログを書いていると、やはり長文をガーッと書くのはここが1番だな。ブログはこれからも続けていこう。
最後は花を見ながらお別れ。今日花瓶から一輪、首が落ちてる花を見つけたので写真を撮っておいた。これを買った時に花屋さんは「しばらくするともっと開いてきて綺麗に咲きますよ」と言ってくれたんだけど。花として咲いてた頃と違う可愛らしさがあるな。ではまた。
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