ささやかってどういう意味だ。ネットで検索した。謙遜する時に使うらしい。
お前の持ってきたささやかな花束ありがとう!とか言ったらダメだし、お前んちの弁当の彩りささやかだな~とか言ったらケンカになる。さわやかなら言ってもいいか。
実際は小さいと思っていなくても謙遜したい時に「ささやか」と言うわけだな。なるほど……
でもなんだろう、「ささやか」って言葉にはどうも「ナイショにしてる」という意味も内包されているように思えるんだよな。
人様に言うほどのことではないんだけど、みたいな。大したことじゃないんだけどね!あんまり人に言っても「しょぼww」とか言われそうだから言わないんだけどね!みたいなさ。そう思うから謙遜する必要があるわけだもん。
人に言ったらしょぼwwと言われそうな幸せか……スポンジへの洗剤ワンプッシュだけで皿洗いが終わったときとか。お!ラッキーって思う。
あとは図書館で借りた本の第1節が面白かった時とかかな。お!私に会うかも!ラッキーって思う。
逆に第1節からダメだとどこまで読んでもずっとダメだな私は……もちろん第1節は良かったけど中盤から読むのを止めた本も山ほどあるけど。
でも借りた本ならそういう事態になっても精神的ダメージが非常に少なく済む。気に入らないから読むの止めたって全然大丈夫。ありがとう図書館。
買った本でそういうことになると、ささやかどころじゃない不幸せがやってくる。金銭的な面でもそうだけど、気に入らない話を覚えてしまう脳の容量がもったいない。
そういう時は大抵、図書館に持っていて寄贈する。面白かった本でも、手元に置いとかなくても良いなと思ったら持ってってしまう。
ブックオフで売っても大した額にならないし(私の扱いが悪いから)、メルカリで売るのもめんどくさすぎるから。いつもありがとう図書館。…これもささやかかな。
あとは花の移り変わりを感じた時。家の近くの桜が少し散り始めた頃に、モクレンの花が見頃を迎えて。花弁が地面に敷かれてるのを見た時に、ツツジの蕾がはち切れそうになってるのを知る。
そういった、花が散るのと咲くタイミングが被った瞬間を見ると、見れてラッキーと思う。見れてというか、それを感じられてか。
心に余裕があると花を見たくなるし、花を見ることで少し心に余裕が生まれるよなと思う。私の趣味はインドアなものばかりだから、余計外に出たくなるんだよな。そこで花を見ると癒やされる。これは癒される案件だから幸せ案件ではないのか……?
あとはそんなに……ささやかじゃない幸せなら山ほどあるけどな。水が美味いとか。
ファミマで買った天津飯風おにぎりがムチャクチャ美味くて、晩御飯に自分でも天津飯風どんぶりを作ったりとか。これは超幸せじゃないか!?
超幸せなら無限にあるな。これなら人に言ってもしょぼwwとは言われないだろう。でも大丈夫、沢山あるけど人には言わない。
だって幸せってあんまり人に言いふらすもんじゃないから(ブログのテーマを全否定した時の顔)
なんだろう……言葉に出すと「意外とそうでもなかったな?」って思うことは沢山ある。自分の感情や、感情につながるようなことを具体的に言葉として形にしてしまうと、その時にこぼれ落ちるものがあるんだ。
絵を描く時に、何本もの線で下書きした時はすごくいい絵になる予感がするのに、清書すると全然ピンとこなくなる現象に似てる。
感情や事象がぼんやりしているから、人はそこに理想を付け足してしまう。人は、とか言っているけど他の人がどうなのかは実は知らない。ごめん。
言葉にすると伝わらないからこそ、人は言葉を覚えようとするのだけど、結局それもクッキーの型を増やしただけに過ぎない。生地の余りは出るのだ。そして人はそれを勿体なく思うものさ。
何が言いたいか分からなくなってきた。幸せなことは沢山あるが、私はあえてここには書かない。そのことが、幸せではなくなるような気がするから。
…………決して幸せなことがないから、ではない。と言っておく。
普段は実況プレイ動画を投稿しています。こぼれ落ちたクッキー生地のような実況です
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