スーパーで炒飯の素を買った。なんか見た目がかっこいいなと思って買ってみた。オイラはチャーハンの素で作るチャーハンが好物の一つだ。素で作るドライカレーも好きだ、意外にピリッとしてるんだよ。いつ作っても美味いって良いよなぁ。
この前「カレーはこうすればグッと美味しく!ルーを使うとルーの味になっちゃうから使わない!」と、料理家の人が喋っている動画を見たが、ルーにも素の味にも助けられることって沢山ある。作る時に寝ぼけてても、冷蔵庫の中で萎びたパセリを見つけて偶然性に任せて投入してみても、油の温度や順番を気にしなくても、だいたい美味しいってのはありがたい。チャーハンには赤色が入ってると嬉しいよな。この日はパセリと人参を入れた。
こういうのを、オイラの中では「ぜいたく」と言う。チャーハンの素はたまに使う用としてとっておいてる。
東京に住んでらっしゃる方が、午前中に登山→午後に焼肉→帰りに銭湯行って良い一日だったと書いている記事を見つけた。
数え切れないくらいの休日を過ごしてきたけれど、遠いところまで旅行に行かなくても、予定の立て方ひとつでまだこんなにわくわくして楽しい気持ちを味わえることがとっても嬉しい発見だった。
完璧な日曜日の過ごし方 - ばらで飾る生活
予定の立て方というより、金の使い方だよな。だって焼肉コースで8,000円するよあの店。豚バラ100g158円のパックが並ぶスーパーの店内で怯んじゃうオイラからすると、店の前を通るだけで精一杯だ。
このブログを書かれた方はすごく楽しそうに生活してらっしゃって、とても良い。楽しそうな人を見るのは好きだ。だがこの人の生活は真似できそうにない。オイラはそんなにお金持ちじゃないから。
お金がなくても工夫次第で心は豊かになるだろうけれど、お金がある人が工夫しだしたが、豊か度ハンパじゃないだろうな。
でも世の中には、オイラが使ったチャーハンの素を見て「金の使い方が派手だ!」と思う人もいるかもしれない。オイラはとりあえず屋根と壁のある家で生活できているし、電子レンジも家にある。ガスだって使える。それら全部ない人も沢山いる。だからなんだよ、と自分に質問してみたが、別にこれ以上思うことはない。
自分の中で、必要最低限以上にコストをかけたらそれは贅沢だ、という気持ちが常にある。例えば今オイラは麦芽コーヒー味の豆乳を飲んでいるんだけど、本来なら水でも飲んでたら良いのに、味の付いたまろやかな飲み物の味を楽しんでいる。だもんで1本100円程度のコレも、贅沢と言える。
目に見えないもの…時間もそうかもしれない。本来ならその1時間に予定をぎっちり詰め込めるのに、なにもせずにぼーっとする。なにもしないをする、と言うのかな。これは時間を贅沢に使う、だ。
だもんであのチャーハンの素も、オイラからすると贅沢だ。だって塩コショウを振ったら一応チャーハンとして味は付くから。なので嬉しいな~と思いながらバクバク食べる。
オイラが大学生になりたてで一人暮らしを始めた頃、ペットボトルのジュースを一切買わず、水道水と麦茶だけ飲んでいた。節約をしたいと思ったからではなくて、ジュースやお茶を家に置いてまで飲むなんて贅沢だと考えていたから。さすがに今はそこまで考えて行動はしないけど、それでも、贅沢だなーとは思う。
これは強がりみたいなものだと思うんだが、そういう気持ちは自分の意識?精神?を形作るものの中でも結構大事なものなんじゃないかと思っている。欲を満たす自分を後ろから「ぜいたくだなぁ」「もったいないよ」「でもいいなぁ」と眺める視点があるのは、良いこと……いや良いことかどうかは分からない。
自分の欲望に忠実になることを肯定はしたいが、それでもその一部始終を見届けて?覚え続けていたいというか。うーんうまく言葉にできないな。
多分怖いんだろうな、大きなコストを払うことが。たとえそのコストを払う力があったとしても、それを失うのが怖いんだと思う。そういえばゲームでもアイテムを99個まで貯めるのが好きなんだよ。
それで損していることはたーくさんあると思うけれど、プラスになったこともあるんじゃないかと思う。いや、思いたい。
オイラの人生がぜんぜん違うものだったとしても、チャーハンの素を可愛がる気持ちはそのオイラにはあるのかなぁ。今日はここまで。