wander around holding a soft oval

日記を書いてます。人からはエッセイだとも言われます。

冷やし中華の食べ方

渾然一体。別々のものが区別がつかないほど一つになってとけ合っているさま、とある。

カレーなんかがそれに近いような気がする。ひとさじ掬い取って「あぁこれはターメリックと人参のペーストが小麦粉かなんかと2:3:7で混ざり合っていますね」と目視だけで確認できる人はあまりいないと思う。お好み焼きなんかも渾然一体ごはんに該当するかも。断面を見るとなんとなーくキャベツ入ってそうだな、と思って食べてみると干しエビや細切りのこんにゃくなんかが紛れ込んでたりして。

オイラはそういう食べ物がけっこう好きだ。一口分を箸やスプーンで持ち上げて食べる。その時に口の中にはいろんな食材が飛び込んでくる。口内調味というよりは、すでに混ざり合っている食べ物というのかなぁ。でもすべてをミキサーにかけてドロドロにしたものを食べたいわけじゃない。カツ丼のペーストとかはあんまり食べたくないしな。

 

冷やし中華。夏の風物詩と言われるが、オイラは一年中食べたい。縮れた中華麺も好きだし、具も色々あってそれぞれが美味い。タレもちょっと酸っぱい感じのも好きだし、ゴマダレもいいよな。最近だと梅だれ味ってのをスーパーで見つけて、食べてみたらニヤニヤしてしまった。

だがそれでも言わせてもらうと、オイラはあまりアレを食べるのが得意ではない。好きなんだが、世間一般の冷やし中華の食べ方がどうもピンとこない。どうやって食べれば良いんだ、と思いながら過ごしている。

テーブルに冷やし中華が運ばれてくる。オイラはとりあえず混ぜてみる。具と麺が皿の上で絡み合い、タレを十分に含み始める(混ぜて食べない人もいるのかな、今のところ会ったこと無いけどな)。卓上の辛子をちょこっとだけ麺の上に載せたら、それを箸でわっしと掴んで食べる。うん、美味い。美味いんだが……食べにくい。その、食べにくくないか?冷やし中華って。

まず混ぜにくくないか。ハムも玉子もちぎれるし、キュウリはいつまでもシャキッとしていて麺の曲線と混ざり合おうとしない。トマトなんてずっと皿の隅で寝てばっかりだぞ。我道を行っている。千切れないようなチャーシューや厚みのある玉子の場合、今度はキュウリと同じようにそれぞれの道を歩もうとしてしまう。こうなるともう全員がソロ活動だ。再結成のメドがたたない。玉子くらいだよ麺と折り合いをつけてくれるのは。

それでもとりあえず麺を持ち上げてみたり端に寄った具を中央に寄せるなどして、混ざっとみなしたその中華を、口に持っていく。しかしこれは…すすれば良いのか?噛みちぎれば良いのか?すすろうにもハムや玉子が麺の摩擦係数を高めてしまってすすりにくいし、きゅうりの歯ごたえばかりが気になって麺の食感がよくわからない。食べるという行為の気持ちよさがないんだよな。それに、タレの味って麺にはかなり絡むけど、他の具にはそれほど馴染んでなくないか?

なんだかなぁと思いながらも食べ進め、麺をほとんど食べてしまうと、皿の上にはハムやキュウリの具材だけがあちこちに散らばっている。これらの具だって美味しいので、残さず食べるために箸でつまみ上げるなどして口に運ぶ。この時オイラは冷やし中華ではなくて、タレと和えた野菜たち、つまりサラダを食べている。寝そべっていたトマトもパクリといただく。冷やし中華を食べ終えるために、冷やし中華の具の残りを食べる作業をしていると言っても良い。は言い過ぎかもしれない。

店で食べてもレシピを見ながら作っても、いつもこういうことを考えてしまうんだよな。こんなことなら具は具で、麺は麺で食べたい。昔からオイラはそう思っていて、子供の頃は具をぜんぶ平らげてから麺を食べ始めたりもした。母親に「作ったかいがないから止めろ」と怒られた。中には具を先に提供してくれる店もあるらしいが、そういう店は沢山はないだろうなぁ。

冷やし中華に限った話じゃないんだ。例えば…そら豆となにかしらのクリームパスタ、とか。あれも最後にそら豆がごろごろ皿に残っているのを食べることになる。別に最後じゃなくてもいいんだ、途中でも構わない。パスタとそら豆が手と手を取り合ってくれず、パスタはパスタ、豆は豆で食べさせられるときがあるし、そういうタイミングが多い。作ったシェフとしてはパスタだけ食べ進めていては飽きてしまうから、そら豆だけを食べさせたいのかもしれない。豆の香りをクリームに移し、それとパスタを食べさせる意図もあるのかも。実際そうやって考えると実に良く出来てる一皿だし、とても美味しいと思う。そら豆好きだよオイラ。香りが好きだ。

でも、いっしょに口に運んで味わう楽しさがないんだよな。だったらクリームパスタとそら豆のクリーム煮で二皿で出してるのと変わらないというか…いや変わらなくて良いんだけどさ!オイラは一つの皿として出てきたものは、食材同士の掛け合わせを楽しみたいから一緒に食べたい。だから皿を持って、そら豆とパスタをかっこもうとすると叱られる。叱る側の気持ちもわかる。ごめん。

特に麺料理に対してそういうことを思うかもしれない。二郎系のラーメンはすするというよりも、箸で麺と具を掴んでワシワシ食べるようなものだから、あまり気にならない。あとレンゲがあるから、スープと具を一緒に食べる楽しさがある。冷やし中華ってレンゲがつくことはあまりないし、残ったタレをすくって飲むようなことはしない、しょっぱいもんな。

ほら、牛丼と牛皿ライスじゃ食べ方がぜんぜん違うだろう、それぞれの良さがあるだろうよ。牛丼下さいって注文して牛皿ライス出されたら、食べはするけどちょっと嫌なんだよ。牛皿を御飯の上に載せたら良いとか、牛皿を一口ぶん口に入れたままご飯をかっこめば一緒とか、そういうことじゃないんだよ。それはもう牛皿をご飯に乗せたものであって牛丼ではな…ここまで書いておいて何だけど、この話読んでる人に伝わるのかな。共感はされなくても別にいいんだが、言っていることが分かってもらえるかなー。不安になってきた。

 

賛否両論でおなじみの料理人・笠原将弘さんの本「めんどうだから麺にしよう」。その中で著者は「焼きそばは大好きだけど、具がごろごろ入っているのがどうも苦手。それで、にんじんをすりおろして いためてみた。」と書いている。分かる。具は小さいほうが良い。例えるなら屋台の焼きそばくらい具は小さく少なくて良い。麺をメインで食べたいし、その一口の中にキャベツやら肉やらの味が、まるで夜空の流れ星のようにキラリと光ってくれれば、オイラはそれを頼りに暗い砂漠の上でも迷わずに歩いていける。何の話だ。

今のところオイラが観測した中では、人類の中では笠原さんとオイラの二人がこういうことを考えている。他にもいるかもしれない、いつかその同志に会える日は来るだろうか。

そんなことを思いながら、オイラはオイラが食べたい理想の冷やし中華を作って食べている。んだが、なぜだかちっとも「美味しそう」と言われない。やはり一般的な冷やし中華では無いからかもしれない。これについてはまた今度書こうと思う。お腹が減ってきたので、今日はここまで。

いちばんよく作る冷やし中華を見ながらお別れ。さようなら。