wander around holding a soft oval

日記や雑記を書いています。それらの違いは分かりません。

幸運

寒い。他人が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、これを書いている。

2026年の1月25日、北海道の西側は大雪に見舞われた。その中にオイラはいた。

 

23日、友人Aの結婚式のために北海道にやってきた。飛行機は大の苦手であるが、呼ばれたので仕方がない。札幌で式があるが、すでにホテルは埋まっていたので、少し離れた手稲という地で一泊することにした。

24日の結婚式はどちらかといえばパーティーのような催しで、堅苦しいのが苦手なオイラでも楽しめた。料理も美味しかったし。唯一、披露宴前の式典でオルガンとフルートの生演奏を聴いた時「ゼル伝のbotwみたいな雰囲気だな…」と、なぜかゼルダとリンクのことを思い浮かべて泣きそうになってしまう。こういうのをゲーム脳という。

式が終わり、オイラは2次会には行かずに別の友人とご飯を食べ、ホテルに戻って休む。移動中の電車の窓の外では雪が降り始めていた。これだけ降るのなら明日の飛行機は揺れるのかも、怖いなぁ嫌だなぁと思いながら就寝。

そして25日がやってきた。

ホテルの朝食会場にあるテレビの放送を見て、かなり雪が降っていることを知る。窓の外は昨日の電車内で見た風景と同じような、猛吹雪であった。

ホテルを後にし、朝9時に手稲駅に着いたのだが、数本前の電車がまだやってきていない状況。電光掲示板には「9時40分快速エアポート」と表示があったが、何の意味もない。関係者用の扉から、フル装備でスコップを持った職員が出てきた。ホームへ向かっていく。彼の背中を見て、今日はもうダメかもしれんと思った。無為な仕事をさせられる人間の背中であった。

オイラは岩手生まれ秋田育ちである。雪には慣れっこだ。いわゆる雪国マウントも、取ろうと思えば取り放題だ。が、オイラはそれをしない。上には上が、つまり北海道という雪キングダムを差し置いて、そのような態度を取ることなど烏滸がましいにも程がある、と考えていたからだ。北海道では東北の民が縮み上がるほどの雪が降るに違いないし、その中でも逞しく生きているに違いない。と、そう思っていた。

実際は少し違った。まず北海道はむちゃんこ広いので、あの街では豪雪注意報が出ていても、隣街は晴々としている、ということがよくあるそうだ。関東でも横浜市は雨だが相模原市は晴れだなんてこと当たり前なはずなのだが、北海道という名前が付いているだけで全て大雪が降るのだと、オイラはそういうイメージを持っていた。

もう一つ。町によって積雪量はある程度決まっているので、例えば今回のように数年に一度の大雪が札幌に降ってしまうと、何もかもうまく行かなくなるということ。北海道の民は雪なんて降ってもへっちゃら、なのではなかった。動くのを諦めじっとしてたり無理やり動いたりして、なんとかしているだけであった。

 

オイラは手稲から札幌、そして新千歳まで行く予定であった。まずは手稲から脱出しなければいけない。待っていたら電車が動くかもしれないと思い、カラオケボックスで2時間過ごした。宮本浩次の異邦人を2回連続で歌ったが採点するのを忘れた。店内で、乗る予定の飛行機が欠航になったとメールが届く。明日の同じ時間にチケットを取り直した。

店を出て再び手稲駅へ。9時40分快速エアポートと書かれていたはずの電光掲示板には「運転を見合わせております」とだけ書かれていた。引き返す。

とりあえず札幌に向かうためには、地下鉄がいいかもしれない。しかし地下鉄の駅まで向かう術がない。バスも動いてないだろう。そこまでは徒歩で1時間以上か。よし歩くか!

と覚悟を決めた時、バス停にバスがやってきた。ぐわんぐわんと車体を揺らしながらやってきたのだ。

渡りに船とばかりにそれに乗るも、車内アナウンスで「本当に揺れるのでしっかり掴まっていてください」と忠告される。実際揺れはするが、船ほどではなかったので耐えられた。道すがら埋まってしまい動かなくなった車を何台も見かけた。本来なら車で18分の道を、バスで40分以上かけて移動した。

地下鉄に乗れる宮の沢駅に到着。そこで腹ごしらえ。豆乳担々麺を食べた。このタイミングで北海道の知人から連絡が。札幌にある知人宅まで来たら家に泊められるが、道路状況が酷く車を出せない、なんとかここまで来てくれとのこと。なんとか。

宮の沢駅から地下鉄で札幌の大通り駅へ向かい、ここから乗り換えて福住という地へ。知人は買い物にも行けないので、もし辿り着けるならスーパーで食材を調達してきてくれと頼まれる。関東にもあるロピアで鍋の材料を買ったり、その建物の二階の100均で下着を購入した。100均の隣には西松屋があり、子供が中国語で恐竜のおもちゃをねだったり、別の子供が駄々をこねて床に座ったりしていた。オイラはそれを見ながらベンチで休憩。

福住から知人宅近くのバス停へ。長蛇の列。ここで係員からのアナウンス。このバスを最終便にさせてもらう、この後は全て運休、そして◯◯までしか行きませんとの内容。出してもらえるだけありがたい、と心から思った。

バスに乗る。ぎうぎう詰の車内で、礼服一色と大きなリュックを持ち上げ立ったまま。オイラの後ろでは高校生くらいの子がゆとりをもって座っていたので「すみません座らせていただけますか」とお願いしたら、すぐにつめてくれた。

手稲からのバス移動とは比較にならないほど、福住のバスは揺れた。オイラが地下にいたり買い物をしている間にも雪が降り路面の状況も悪化したのだろう。オイラはバスの1番後ろの席、5人がけの真ん中に座っていたので車内全体がよく見渡せた。バスが揺れるたびに乗客の頭が皆同じ方向に揺れ、グルーブ感があった。しかしそう思っているのはオイラだけで、ここいらに住んでいる人は慣れたものなのだろうなとも思った。

途中バスが横転しかけたが、とりあえず今回の終点まで辿り着けた。知人がバス停に迎えにきてくれる。徒歩でだ。ありがたいことだ。知人の後ろを歩いてついていく。オイラはこの旅行で荷物を減らすべく、スーツ用の革靴1足だけでやってきた。知人はそんな靴で雪道は歩けないと心配していたが、意外となんとかなった。オイラの靴はテクシーリュクスと言って、まぁちょっと変わった靴なのだ。気になったら各々調べてくれ。

車が通ったあとの道を、ひたすら歩く。オイラは中学から高校卒業までの6年間、片道40分の道を歩いて登下校していた。大雪の中も街灯が無い中も歩き続けた。そのことを思い出す。1人でとぼとぼ歩いてたあの頃よりも、知人宅を目指している今の方がずっと気分がいい。

ついに知人宅に着いた!手稲のホテルを出てから12時間経過していた。知人のご家族が迎えてくれて、タオルやパジャマがわりのジャージなどを用意してくださった。その晩のご飯は、台所をお借りして、オイラが鍋料理や余った野菜で小さなおかずを拵え、一緒に食べた。北海道のお酒まで頂いてしまった。明日も早いだろうと思い、1杯だけ頂いた。

普段使っていない部屋に布団を敷き寝に入る。しかし埃のせいか目と鼻がかゆい。知人からマスクをもらい、つけたまま寝た。

6時起床の予定が7時まで寝てしまった。慌てて準備して風呂に入る。髪を乾かし朝ごはんを頂いた時に、昨日カラオケボックスで取ったあの飛行機の便が、欠航になったとの知らせが入った。つまり、今日も北海道から帰れないことが決定してしまった。

知人もそのご家族も、今日はこの家でゆっくり休んでいくといいと仰って下さる。そのご厚意に甘え、今オイラはスマホのバッテリーを気にすることなく、こうやってブログを書いている。100均で買った靴下は薄いので足先が寒い。しかし裸足よりは快適である。テレビから流れるニュースでは、新千歳空港に泊まった乗客の姿や、路上で動かなくなったバスの映像が流れていた。手稲のバスは全線運休とのこと。あの映像のどこかに自分がいた可能性は十分にある。

オイラは本当に幸運であった。カラオケボックスから出たタイミングでたまたま手稲にやってきたバスに巡り会ったし、地下鉄も事故もなく動いていたし、福住からのバスの最終便に乗れたのも偶然である、スーパーでの買い物が遅くなっただけでアウトだった。そして知人宅で寝泊まりさせて頂くばかりか、飲食物までご提供いただき、ただただありがたい。

はっきり言って、明日新千歳から神奈川に帰ることが出来ないのではないかと思っている。しかしそろそろオイラのこの幸運も尽きそうであるな、とも思う。そんな予感がする。おそらく神奈川に着いたら馬に頭を噛みつかれるくらいのことは覚悟したほうがいいかもしれない。かえって縁起がいいか。