wander around holding a soft oval

日記や雑記を書いています。それらの違いは分かりません。

芋のことはまた今度

図書館で借りてきた「駄目も目である」を読み切った。木山捷平という作家さんが書いた短編がまとめられた本だ。それぞれの短編はエッセイと言うよりは私小説なのかもしれない。でも日記のようでもある。ただしフィクションも入っている。

これがなんだろう…ぼちぼち面白かった。「とてもおもしろかったと太鼓判を押すような本ではない」と言いたいのではない。丁度いい面白さ。気後れすることなく付き合っていけるような面白さで、オイラはすごく気に入った。

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それぞれの短編には主に、自身を投影した主人公が出てくる。正介という。その正介の暮らし方、生き方が好きだ。

彼は売れた作家ではない。そして金持ちでもない。他人から安く譲り受けるまでは、蜜柑箱を仕事机の代わりに使ったくらいだ。しかし彼は、清貧に甘んじた生活をしているわけじゃない。金が無くて嘆いたり腹を立てたりする。それでも彼の心が嫉妬にまみれていたわけでもない。なんと言えば良いのか。ぼやぼや~っと生きているんだよな。それが好きだ。

奥さんについては、正介によくしてくれているとは思うんだが、正介自身はやれ不細工だの太っているだの、自分はなりゆきで仕方なく半ば諦めのつもりで奥さんを選んだなどと書いたりもする。しかし夫婦仲が悪いわけでは決してない。しっかりものの素敵な奥さんであるし、彼自身は奥さんがいなければ大層苦労したのではないかと思う(容姿は分からないが)。

庶民的なんだよな。さっき奥さんについて書いたけど、嫌っていて悪口を認めていると言うより、ぼやきなんだ。そのぼやきに毒気を感じないのは、本人が偉そうにしていなくて、そして本当に偉くもなんとも無くて、ドジもするし変なことで怒ったり喜んだりする、弱点が沢山ある、でも悪巧みは決してしない、至って普通の人間だから、なのかもしれない。その点が、オイラが気に入った点だ。こちらも身構えずに読める。

人柄も関係しているだろうけど、もちろん木山捷平の才能のなせる技(書き方)でもあると思う。奥さんへの”気持ち”をあーだこーだ書いていても、奥さんの実際の”言動”を悪く書いてはいないところとか、成る程なぁと思ったりする。

もう一つは、それぞれの短編の時間軸が今よりもだいぶ昔で、満州から引き揚げて帰ってきてからの話だから…というのもあるかもしれない。時代小説を読んでいる時のような気持ちになるのだ。

極端な例でアレだけど「戦国時代にたくさん人が死にましたよー」と言われてもそうですかーとしか思わないけれど「先日事故で誰かが亡くなりました」と聞くと、自分と縁もゆかりも無いのに悲しい気持ちになる。それと似ている。もし正介が現代に生きている人間で、自身の私小説を書いたとしたら、多分オイラは読めない。奥さんになんてこと言うんだコイツ!とか、人に迷惑かけといてなんだよ!という気持ちが、ググッと強まると思うから。

この本は、内容が全く重くない。そして読んで何か教訓を得ることはない。筆者がこの経験を得て前に進めるようになったとか、そういうこともない。オチらしいオチもない。だから付き合いやすい。梨木香歩さんが書いた「家守奇譚」のような、読後の爽やかさがある(最も家守奇譚の場合は最後にオチがあるんだが)。オチを聞かなかった落語のような。そういう雰囲気があって、非常に良かった。

 

読み終えて、この本は本棚に入れておきたいなーと思い、ごちゃついた棚の方に目をやると、一冊の本と目が合った。「玉村豊男のポテトブック」という本だ。オイラは玉村豊男が書いた本を幾つか読んでおり、これも面白いだろうなと思って買ったのだ。しかしまだこれを読み終えていない。いわゆる、積んでいる本である。

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これを買ったのは、ある古本屋でだ。いつ買ったのかもまだ覚えている。

オイラがその古本屋に入り、店内でうろうろしていると、店主が別の客に声をかけた。「その雑誌は中を読むことが出来ますよ。ご覧になりますか?」と、カップルらしい若い客に話しかけた。声だけは聞いたんだが、実際彼らがそれを読んだのか読んでないのか、その後に何を話したのかは覚えていない。ただオイラをそれを聞いて、なんとなく楽しそうだなと思ったんだ。

彼らが店を出ていった後に、オイラも店主に話しかけられた。どんな本を探しているのかと聞かれたり、ここには理数に関する本が少ないですねと聞いたりしつつ。その会話が終わった時、こちらから、すみませんこの雑誌って中を見ることが出来ますか?と聞いた。店主は「勿論良いですよ」と、古い雑誌の包をとって渡してくれた。オイラはその雑誌をひとしきり眺めた後、別に欲しいわけじゃないなと思って店主に返した。

その時に「雑誌って、中を読んじゃうと、もうダメなんですよね」と言われた。えっと聞き返すと「本もそうですけど、中を読んでしまって、どんな本か分かってしまうと、もう満足して買わないんですよ。雑誌は特にそうです」と応えてくれた。

その後も色々と話していたのだが、オイラはなんだか責められているような気持ちになっていて、その時の会話を半分くらいしか覚えていない。反論したいような、しかし最ものような、例えその言葉が間違っていたとしてもオイラが買わないのは事実であるし。

会話に一区切りがついた時、オイラは元々買いたくて手に取っていた小説と、先程のとは違う雑誌、そして「玉村豊男のポテトブック」を料理の棚から抜き出して、店主の所へ持っていった。家に持って帰るまで、ポテトブックの中身を読まないようにしていた。玉村豊男という名前に惹かれて、中身を確かめずに買った。

自宅へ戻り、いざ雑誌の方を読んでみると、あぁこれは先程のように中身を見ていたら絶対に買わなかっただろうなと思った。そしてポテトブックの方は結構面白かった。少し読んで、棚にしまった。雑誌の方は人にあげてしまった。

それから半年ほど経ち、あの本を本棚から手に取ることをしていない。面白いのだから読めば良いのだが……あの本を見る度に、責められたように感じたあの時の気持ちと、実際読んで面白くなかったあの雑誌のこと、それを思い出してしまって、触りたくなくなってしまうのだ。表紙も可愛らしいし内容も良くて、手放すにも手放せないのだ。誰かオイラにあの本を読むキッカケをくれないだろうか。

 

ここまで書いておいてふと、なぜあの店主はカップルに雑誌の中身を読むかどうか、店主の方から聞いたのだろうと思った。彼らが熱心に雑誌の棚を眺めていたからだろうか、それともハナから買わないだろうと店主が決めてかかっていて、見せてやったら満足するかもなと思っての発言だったのだろうか。よく分からない。

そんなことに対して思いを馳せるのではなく、新たに増える予定の文庫本1冊分の隙間を、あの本だからどう捻出するか思案した方が良い。芋のことは、また今度。