読書って歯磨きみたいだな、と今読んでいる本を閉じて思った。
オイラはそんなに本を読むのが速いわけじゃないし、理解力もそこまであるわけじゃあない。何よりゲームとかスマホを眺めるとか、そういうことのほうを優先しがちで、どうにも本を手にとって読むところまで行かない。億劫だ。でもいざ読み始めると、満足する。この本を読んでよかった、と思えるかどうかはその本との相性によるけれど、読書そのものについて「読書なんてしなきゃよかった」と思うことはない。そこが似ている。歯磨きも同じようだ。当然岩みたいな歯ブラシでゴリゴリに歯茎を虐めたら「あぁ歯磨きなんてするもんじゃないな」って思うのかもしれないけど。
年末なのでそれっぽいことを書きたいが、いつもの休みとあまり変わらず過ごしている。昨日は夜くらいにくらっと来たので、水を多めに飲むようにしているくらい。冬の脱水に気をつけろ。そういえば最近実家に帰った時、家族みんなが水を全然飲まないのでビックリした。友人から「お前は全然水分補給しないな!しろ!」と怒られるくらい飲まないんだが、そんなオレより飲まない家族たち。どういうことだ。みんなオイラに隠れて飲んでんのかな。
砂糖を切らしているので(そして出かける度に買い忘れる)、一昨年くらいに梅仕事をするため購入した氷砂糖を、淹れたコーヒーにぽちゃんと入れて、溶かして飲んでいる。料理にも使えるだろうから、しばらくはこれでいこうと思っている。
あと一晩立てば、新年が始まるという。不思議だ。12月32日でも13月1日でもなく、1月1日になる。その周期にみんな従って生きている。社会に加わっているから従わざるをえないのもあるだろうけど、それだけじゃないと思う。例えば正月になって、外に出かけず窓をガラッと開けた時に、部屋の中に入ってくるあの空気。そこにさえも新年の新鮮さを感じる。それが思い込みだとしても、思い込めるくらいには新年の雰囲気を感じられるのは、やはり不思議だなと、いつもいつも思うんだよ。
この前友人と二人で忘年会をしたんだが、その時に今年の振り返りと来年の抱負をガッツリ話し合った。今後の抱負というより、来年の365日分で自分はどうしていきたいかを考えた。その時に話したのは、確か実況プレイ動画の活動のことと、漢字や漢文を勉強したいぜってことだったかな。水をたくさん飲むとか休憩をしっかり取るとかは再来年もやるべきことだから、それは語らなかった。
あの時言わなかったことだと、まぁそうだなぁ、来年かけてやってみたいことは、もっと感覚に振り回されて生きたいなーと思う。考えずに感じる。そしてそれを言語化「しない」。心の中に留めて置きたい。それを留めておくと、それが腐ったり発酵したりして、何かに変わっていくような気がする。感じたことだけじゃなく、考えたこともなるべくそうしてみたい。
勿論そればかりじゃだめだ。留めてばかりじゃ人と交流出来ないし、実況で何も喋らなかったとしたら、それはオイラが作りたい実況ではなくなるから。だからといって、堆肥になる前に落ち葉だの糞だのひっくり返して肥料でござい価値ありまっせと人様に見せつけるのは、なんか違う。
それにさー、イヤなんだよな。伝えていきましょう刺さりにいきましょうっていうような、価値基準と、それを最良とする世界が。そういう場から距離を置いたり近づいてみたりしてたけど、来年はもう半歩距離を取りたいかなぁ。
今日の晩飯は年越し蕎麦なんだけど、うどんの気分でもあるな。どうしよう。悩みながらもう6時間くらい過ごそうか。
あ、忘れるところだった。このブログに付き合ってくれた人、どうもありがとう!あぶねー、これを書こうと思ってPCを立ち上げたのに。