夜中に初めて動悸と呼吸が苦しくなった時、訳も分からず7119に電話し、その後救急車を呼んでもらって。結局ストレスからの過呼吸だったんだけど、その時にも隊員の方は怒ることも嫌味を言うこともなく「お大事にして下さい」と言って帰っていったんだよな。その時もありがとうございます。
— まるいひと (@manmaru222) 2022年9月9日
救急の日なので感謝のツイートをしたら、多くのいいねを貰った。みんなもそう思うもんなんだな。救急車がコンビニに止まることについてニュースをやってたけど、隊員さんたちに文句言う人が一定層いるのかもしれん。変な奴もいるもんだなーと思う。
そういや今日、久々に「右側じーさん」に会ったんだ。元気そうだった。
右側じーさんは、決まった時間、決まった道に出没する。じーさんは右側通行を徹底する。左側を歩く人とはすれ違うことになるのだが、その時必ず「右側を歩けよ」と注意してくる。声は大きめだ。「ったく」や「このヤロー」「交通法くらい守れよ」が追加される日もある。
その通りにはパチンコ屋があり、外に喫煙所が設けられている。タバコのにおいが嫌なのでそこを避けて歩くのだが、歩く道が右側でないので、じーさんはすれ違いざまに注意をする。工事してる場所、駐車してる車なども、避けてはいけないらしい。自販機や買い物など、道の左側に用事がある場合でも、常に右側を歩き、しかるべきタイミングで左に向かわなければいけない。
もちろんそのタイミングは、じーさんが決めている。それを破ると怒られる。
私はじーさんのことが気になり、数週間ほどその道を同じ時間に通り、彼を観察したことがあった。そこで分かったのだが、じーさんがすれ違いざまに注意するのはOL、ベビーカーを押す奥さん、おばさん…そう、女性だけだった。あと私。
さらに詳しく観察すると、怖くなさそうな若者に対しては、すれ違いざまに文句は言わない。が、すれ違ってその若者がいなくなった後に文句を言うようだ。どうしても言いたいみたい。ちなみに、同年代の男性には注意しない。集団や金髪のゴツいにーちゃんにも注意しない。
日本の交通ルールでも、歩行者は道路の右側を歩くと決まっている。なのでじーさんには非が全くない。しかしおそらく、この街に暮らす人間の殆どは、道路の右側を歩くというルールを意識していないだろう。
なのでこれからも、じーさんの戦いは続いていくのだ。孤軍奮闘、四面楚歌。もっとも楚はじーさんのことなんか知りもせずに、人生を謳歌しているのだが。
そのじーさんのハンカチを拾ったことがある。
その日もすれ違い様に、私に説教を決めたじーさん。一方で私はじーさんを観察するのが趣味なので、すぐに後ろを振り返った。するとポケットからするりと、ハンカチが落ちたのだ。
それを拾い、落としましたよ!と声をかけた。じーさんは私のすぐそばにいるのに、こちらを振り返らなかった。
私が戸惑っている間に、じーさんは右の角を曲がってしまった。慌てて追いかけたが……ここで興味の方が勝ってしまったんだよな。走って追いかけずに、コソコソ後をついていくことにしたのだ。意味はない、ただの好奇心で。
いつもの道路以外の場所で、じーさんを見ている。じーさんは他の道でもキッチリと右側を歩いている。蟻の行進を眺めているような気分だ。少し歩くと…更に角を曲がった!そこは袋小路だったはず。つまり、そこにじーさんの家があるわけだ。よし、ハンカチを届けに行こう。
私もその角を曲がった。曲がり角の家の、一つ先に、その建物が現れた。
多分、立派な二階建、なんだと思う。洋風な屋根と白い壁は一応確認できた。
その家は、トタンで包まれていた。ケーキを包む透明なフィルムがあるだろう、あんな感じだ。トタン壁の家でもトタンフェンスでもなく、普通の家をただのトタンで覆っている。
トタンのすきまから中の家の存在や大まかな作りは確認できる。2階部分へもトタンは伸びているが、そこからも白い壁が見えた。
うーん…外壁塗装の養生にしては、白壁とトタンの隙間が狭すぎる。これじゃ人は通れない。覆い方もなんだか素人くさい。立てかけているだけのようにしか見えないので、壁の補強として考えるのも不自然か。トタンの劣化具合から、それらを置いてからずいぶん時間が経っていることが分かる。ん?じゃあ、このトタンは……なんなんだろう?
あっそうだ、ハンカチ渡さなきゃ!と我に返った時、家からガチャリ。と音がした。じーさんがドアを閉めた音だろうか。その家の玄関に目をやる。
小さな階段を登って入るタイプの玄関のようだが、その階段も周りをトタンで覆われていて、遠くからでは様子が殆ど分からなかった。ゆっくりと玄関に近づく。ふと、階段のそばの窓…出窓に目をやった。
出窓はぴっちりと、トタンで塞がれていた。内側から。
少し固まってしまった。ハンカチを階段に置き、あちこち寄り道してから、家に帰った。怖くて、なんとなく悲しかった。
そして9月9日の今日、またじーさんと会ったのだ。前と同じ通りの、いつもと違う時間に。以前よりも人を注意する声が大きくなった気がする。意を決してこんにちは!と挨拶をしたが、無視された。
こういうじーさんは、最終的にどうなるんだろう。じーさんの人生に関わるつもりは全くないが……自分もこうなるんだろうか。なるかもしれない。その時私は、若者に何を注意して周り、何で家を包むんだろう。
救急車にキレるなんてことは、今の私からするとあり得ないと思う。しかし、何十年後のことまでは分からない。なんなら数年先のことすらも。仕事も何もかもダメになったりしたら、この世の全てが嫌になって、当たり散らしやすい救急車に、文句を言うようになるのかもしれない。
SNSでフォロワーから回ってきたものに、おっかないニュースが混じっていた。当事者が会見中にヘラヘラしていて、ヤベーなと思った。
しかし今考えると、私もこういう人間になる可能性があるよな、とも思うのだ。救急の日に人に感謝を伝えられる人間は、どこかの拍子で、人に文句を言ったり会見で笑う人間にもなったりすることが、きっとあると思う。
(じーさんとのエピソードは一部フィクションを混ぜました。じーさんが特定されたら悲しいので)