はじめに
私は毎週日曜日に配信プレイをしている。
そして先日、1年間プレイしていたBloodborneの配信が、エンディングを迎えて完結した。
#43【末裔と月の抱擁】Bloodborne【角無】 - YouTube
私の人生において、あの血に塗れたヤーナム村での冒険は、私の人生においてとても貴重な経験になったなーと思う。
それが終わってしまって私はもう本当に寂しい。2周目をするかどうか毎日悩む。が、また色んな人が苦しむ様を見るのはイヤだし、末裔*との冒険はあの1回きりと決めているので、まだプレイせずにいる。
(末裔とは、私が配信で操作していたキャラクターの愛称。必殺技はマツケン突き)
またマシュマロもろた
配信が終わった後、こんなマシュマロを頂いた。
嬉しいです、ありがとうございます。あ、ここからはマシュマロの返信として書くので、普段より丁寧な言葉を書いていきます。よろしくお願いします。
紹介のため一部抜粋します。
全体を通して末裔くんの心にもっとも近かった人・人ならざる者を一つずつ選ばれるなら、誰でしょう?
心が近いという言葉を知らなかったので検索をしたんですけど、それでも正確な意味は分かりませんでした。書いてくれた人すみません。
なんで、ここでは「心に残る・親近感が湧く」という意味と捉えて、答えさせてもらいます。解釈が違っていたら、あとでコッソリ教えてほしいです。
この質問をもらったのが……月曜くらいですか。それからずーっと悩んでいたんですが、ようやく絞れました。さっそく答えていくぞー!長くなりますぜ!?ほわいほわい!
お断り:私のブラボ全般への解釈は独自のものです。私の見たブラボ、私の歩いた悪夢の中で考えたことです。なのでこれを読んでいる貴方とは、ブラボの解釈が違います。でも良いんです。各々の悪夢を大切にしましょう。そしてここまでの文章の意味が分からないのであれば、引き返すことをお勧めします。
イカれたメンバーを紹介するぜ
青天の霹靂
アーチボルド(とパール)ですね!大好きです!
アーチボルド。彼は医療協会の人間であり、工房の鍛冶の一人でもあります。面白びっくり人間しかいないヤーナムにおいて「変人」と呼ばれた男はアーチボルドくらいですよね。
彼が遺した武器や道具を調べました。するとどうやら彼は雷に魅せられて、ああいったものを作った、ということが分かります。まぁトニトルスは人気がなかったそうですね、仕方がないような気もします。ギザギザしてないですし!
そんなアーチボルド、実はブラボ本編では会うことが出来ません。私は名前だけしか知らないんです。会ったことのない奴に思い入れがあるなんて変だよなーと、自分でも思います。しかし私はアイツが大好きです。
彼の武器を見ていると、医療協会としての本懐に対して「鍛冶として」アプローチをしたように感じるんですよね。
医療協会にも色んな派閥がありますが、みんな「進化を望んで」いますよね。それは上位者の持つ力に憧れたりとか、次元の違う存在そのものに惹かれたりとか…いろいろな理由があります。
その一方で、たとえば医療協会の狩人達(ルドが元気だった頃の狩人)は、獣の病を滅するために力を欲し、自らを剣と変えていったと。
その中でも「狩人に武器を与え医療協会の一員として働く」アーチボルドは、なんと雷を纏う武器を作った。雷を操るといえば、ヤハグルにいた黒獣パールですね。パールは獣です。
そう、アーチボルドは獣に魅せられた医療協会の人間だと、言えると思います。その時点で相当変わってます。狩る側の存在に興味を持ったんですから。
黒獣パールには筋肉も内蔵もありません。なのにガションガション動きますよね。それは不死の奇跡に違いないのでしょうが、私は雷が原動力となっているのではないかと思うんです。
なぜそう思うか?パールと戦っていると、時折体から雷を失います。すると奴は、先程まで目の前にいた狩人を恐れ、後退りしながら逃げるんです。こんなことをする獣は珍しいですよね。戦う爪や牙がもげたわけでもないのに、私から逃げる。
それは、雷を失ってしまったから。自分の力の源である雷を、これ以上失ってしまったら死んでしまうかもしれないから。だから逃げるのかなと。奴の持つ性質を見て、私は「奴の持つ不死の力の源は雷だ!」と思ったんです。
そして、これと似たようなことを、アーチボルドも感じたのではないか?と思ったんです。
彼は医療協会の人間です。その本懐は進化を遂げること。進化とは今の人間の限界を突破することです。強くて不思議な力を持ち、病や寿命に縛られることのない体を脱ぎ捨てる――
それなら目指す存在は、上位者ではなく、黒獣パールでもいいのではないでしょうか。上位者を崇めていない私はそう思います。
医療協会の人間たちは、上位者を崇め尊んでいるだけではありません。彼らは自分がそれになるためであれば、平気で上位者を斃します。
極端なことを言えば、彼らは上位者のガワではなく、上位者の持つ”力”を欲している。その力と非常によく似たものを、アーチボルドは雷から感じ取った。
だから彼は、黒獣の雷を模した武器を多く遺したのではないかと。雷こそが我々の目指す、いや自身の目指す「青白い血」なのだと信じてね。
彼の持つ武器には刃がついていません。これは狩人の武器としても非常に珍しいです。殆どの狩人武器は変形すると真の姿を表します。変形させるたびに私は、これって人間が獣に変わるのと似てるよなーといつも思んです。
しかしトニトルスには、それがない。鈍器として利用するなら、メイスのように尖らせてもいいわけです。そういう武器もありますしね。しかし彼はトニトルスをそうもしなかった。
それは、トニトルスは狩るための鈍器ではなく、雷を発生するための装置であったから。獣の肉を裂き骨を砕くのではなく、ただ雷を纏わせる。自分が目指した力の源を手に入れさせたいがために。
そう考えると、奴はヤーナムの中にいるどんな人間とも違う、変人だなーと思うんですよね。そしてそれこそが、私にとっての救いでもあるんですよ。
擦り傷に染みる
私がヤーナムを歩いてて、そりゃーもう色んなものを見たり聞いたりして、知的好奇心もズムズム満たされたりして楽しかったんですよ。
その一方で常に、擦り傷のようなジクジクとした寂しさ、孤独感に付き纏われていたんですよね。でもそれは、村の人たちからヨソ者扱いを受けていたからではなくて。
彼らの信じるものを、私は信じられなかったから、なんです。
ヤーナムは排他的で偏見まみれです。それは、彼ら独自の信仰からくるものではないのかなと思うんです。
信仰と偏見は「そう信じ思い込むこと」という意味では、かなり近い位置にある言葉だと、私は思っています。信仰を持って何かに触れる人間の内側には、偏見が潜んでいる。
(ウィレームの学問を重んじる姿勢も、信仰と偏見によるものです。そもそも何かを学ぶということは、偏見を持つことと同じです。この話はあまり関係ないので省略)
しかし私は、彼らの偏見の向こう側にある神秘を、心の底から信じられなかった。
物語にのめりこめなかった、という意味ではありません。むしろ逆です。腕だらけの奴も毛むくじゃらもメンシスの脳みそくんにも、分け隔てなく接してこれた。殺したいやつを殺して、愛したい奴を愛した。偏見を持たなかった、と言っても良い。
そして何より、神秘を解き明かさんとする「プレイヤー≒ヨソ者」の瞳しか持ち合わせられなかった。盲目になれなかった、狂えなかった。他人の信じる神の皮を剥ぎ取ることでしか、この世界にアプローチをかけられなかった。
そういった意味で、私は常に孤独を感じていました。しかし獣の血肉を削ぎ落とす時だけはそれを忘れられましたから、私はいつも「このままずっと戦い続けていたい」と思っていました。
(連盟の長ヴァルトールにも似たものを感じます。彼はある種の、プレイヤーのメタファーだったのかとも思います。私は彼のことも大好きです。が、今回はアーチボルドのことを話したいので省略。)
しかし、そんな時にはアーチボルドのことを思い出すんです。
たとえ自分の目指した答えが、他人からしたら間違っていたとしても、そこに向かって突き進む。周りから変だと言われても、ただただ己の信じる道を目指す。そこに私は憧れます。このヤーナムでも何を信じてもいい、そこに救われたんです。
彼に会わなかったら、私はどこかでブラッドボーンをやめていたと思います。それほどまで私はブラッドボーンの世界が好きでしたから。
ま、ボルドに会ったことないんですけどねー!ほわいほわい!
彼が不老不死になっていたら会えたかもしれません。一緒に話したかった。お前の作ったこのヘンテコな武器でエっちゃんを倒したんだよと、お礼を言いたかったですね。
アーチボルドについては以上です。というかもうこれだけ書いたら良いような気がするんですがどうでしょう。
月のワルツ
人以外については短めに書きましょうかね。
DLCで出会えるゴースの遺子は…人ならざるものとして好きですね。配信ではゴスヲと呼んでいました。
彼のことはよく分かってないです。なぜゴースが死んでいるのかとか、そのゴースからなぜ生まれたのか、ゴースの子供とはどう違うのかとか、いろーんな「答え」を求めることも出来ると思うんですよ。でもそれに対しては、実はあんまり興味が無いんです。
狩人の悪夢の最奥部、漁村の砂浜で、狩人とゴースの遺子が殺し合う。この場面この光景が、私はすんごい好きなんですよね。
ゴースの死体から生まれたゴスヲ。上位者から生まれたものと勝負するのって、初めてですよね。その時点でちょっとワクワクします。
しかもナメクジみたいな見た目をしているわけじゃなく、なんと人の形をしている。その上右手には、狩人と同じ武器を持ち、仕掛けまで施されている。背中には狩人の着るマントのようなビラビラが。
これについてどう考察するのかは、さっきも言った通り色々と出来ると思うんです。でも私にとって問題はそこじゃない。
このヤーナムでは神様を信じています。もちろん上位者のことですし、きっとおそらく――彼らは神ではない。ただ上位であるだけの存在。しかしヤーナムでは神なんです。
人形ちゃんと、創造主と被造物の話をしたことがありました。そこでヤーナムではなんとなく、我々は神によって造られた存在なのだ、という考えがあることを知りました。
その考えに習うのであれば、末裔も上位者によって造られた存在であると言える。
ならばあの海岸でぶつかり合った二体は、どちらも上位者から生まれたものと捉えて良いのではないか、と思うんです。それぞれ経緯が違えども、それぞれ別の意味で上位者を”母”とする存在です。
そうでなくても末裔は、ここに来るまでに数多の上位者を狩ってきました。文字通り血肉を喰らい、人の遺志を束ねた彼は、およそもう”人”ではない。
そんな二人が、母の死体の上でダンスを踊る。互いをただ殺すために。なんて無惨で素敵な光景でしょうか。あ、まずい。私の癖の壺の蓋が少し開いてる。
ゴスヲとの勝負で、第二形態になるところもすごく好きなんですよね。身体が大きくなってより凶暴・凶悪になる。それってまるで、獣や獣狩の武器みたいじゃないですか。
しかも変身する時って自分の持ってる武器を食べちゃう。母の身体から持ち出したものを食べて大きくなるなんて実に「子供らしい」と思いませんか。すっげー親近感わきます。
獣狩の武器全般も好きなんですよ。あの武器たちが禍々しく姿を変えるのは、人が獣に変わることのセルフオマージュというか。そういう雰囲気がある。獣狩の武器を使うことで人は獣に成れる。
しかし人は所詮、人のままでは獣や恐るべき存在に立ち向かえない。だからルドは醜い剣に変わり、ローレンスは血に溺れ、逆にマリアは人であろうとしたが故に枯葉を捨てることとなったと。ここらへんも書こうと思えばなんぼでも書けるけど省略。
人はいつでも内に獣を抱えている、それが溢れた時に獣に為る。また自ら溢れさせようと、己の器に血を注ぐ。溢れた血はいずれ器を飲み込む。
獣狩の武器を眺めるとそういうことを考えます。ちょっと話が逸れました……とにかく。
月明かりの下でゴースの遺子と戦うあのシーン全てに、このブラボの要素が詰め込まれてるなーと思うんですよね。そういう意味でも、ゴスヲと戦えて良かったなーと思います。
生まれてしまったからには生きるしかない。ゴスヲも私もね。
(配信中に散々喜んでいたメンシスの脳みそくんも大好きなんですけど。心が近いという表現とは違う気がします。奴と私はあまりにも遠すぎる。だからこそ交信出来たことが嬉しいのですが…)
終わりに
いかがでしょうか?ご満足いただけましたかね?
キャラ1人1人に対しての感想ぶち撒けたら何万文字になるか分からないので、ここでやめます。
ブラボ良いですよね……ありとあらゆる要素が好きですね。その感情が全然抑えられず、配信の最終回ではメチャクチャなこと喋っていたと思うんですけどね……w
いつも思っていましたが、プレイヤーの行動や思想を投影?させるのが上手くて感心するんですよね、ブラボって。
例えば「上位者は神様ではない」と決めつけるプレイヤー≒狩人は、いつまで経ってもよそ者にしかなれない。どれだけ賢立てて論じようとも、所詮よそ者の戯言。ヴァルトールがそれにあたりますよね。
上位者とかそんなんどうでも良いと、ひたすら狩り続けるプレイヤー≒狩人のことに対しては「瞳が蕩けている」なんて言うし。瞳が意味をなしてないから狩ることしか出来ない、愚かな獣のようにね。
悪夢に迷い込んだ時に、悪夢の構成要素を一つ一つを分解し、神秘を解き明かそうとするプレイヤーもいる。考察とか推理みたいなことですよね。ビルゲンワースの学徒みたいですね。
でも彼らはその先に”答え”はないということを、信じようとしないんですよね。
神秘だと思ってたものは上位者ではない本物の創造主、つまり製作者の気まぐれによるものかもしれないのに。その気まぐれと自分の見た幻想が合致しただけかもしれないのに。
でも当の本人は「いーや俺には全て分かるね!なぜかって!?それはこうだからさ!」と空気を指さして嗤っているだけ。その光景こそが――無意味なものに意味を見出すも実は本当に無意味だったら、間違いなく”悪夢”じゃないですか。
だから解釈によっては、プレイヤーがどう転んでも、このヤーナムの中では等しく愚か者になってしまう。
いや違うな、一族の末裔も屈強な戦士も賢者も全て、ヤーナムでは「人」という括りにしかならない。だから人は人という括りから抜け出そうともがく…そこがたまらない。
だからこそ。無意味だとしても、私は私の悪夢を大切にしたいなと。他人の悪夢も私の悪夢も意味もないのなら、それを捨て去るのではなく、宝箱の中にしまっておきたい。
それは自分の全てを大切にすることと同じだと思っていますから。
もう何書いてるんだか分からなくなってきたので終わります。どうかおたっしゃで。