まるっとまったりまろやかに

ゲームの感想、考察、実況プレイ動画のこと。日記も。

未来をつなぐ棒々鶏

今日も職場から歩いて帰った。仕事用のカバンには、スーパーで買ったキュウリが入っていた。帰ったらまたバンバンジーを作ろうと思って。

コウケンテツさんの動画で見た、バンバンジーの作り方。初めて真似して作った時は美味くてビックリした。以来ちょくちょく作るようになった。

動画内ではササミをレンジで加熱しているけど、私は茹で鶏で作っている。これもコウケンテツさんの動画で見た。すごく美味しく出来るので気に入っている。

美味しいレシピを知ったことは1つの変化に入るのだろうか……歩きながら考えていた。

 

大学の同期とオンライン飲み会をする予定だ。半年ぶりの開催かな。

離れた場所に住む色んな大人が集まって、久々に話すわけだ。みんな何かしらの変化があるんだろうなー。子供がいる奴は、日常の変化が目まぐるしいだろう。

一方で私は変化を好まない。安定平穏これ最良!な男だ。変化することで得られる利益をすべて捨ててでも、この日常が、先週と同じ流れであれよと願わずにはいられない。そういうつまらない男だ。

なので、久々に会った人間と何を話していいか分からない。だって何も変わってないんだもの。あいも変わらずゲームばかりして、お菓子を食べ、ゴロゴロしてる。私は本当に、同級生と同い年なのか?もしかしたら、違うのかも。

 

職場まで歩くようになったのは変化かな……ゲームのことならたくさん話せる……けど半年前と同じポケモンUSをプレイしてるしな……などと考えながら歩いていた。

突然大きな笑い声が聴こえてきた。

そっちの方を向いてみると、自分が立ち飲み屋さんの前まで来ていたことが分かった。

大きく開けられた扉の先を、ちらりと覗いた。皆楽しそうに話し、美味しそうに酒を飲んでいる。

私はサッと視線を戻し、すぐにその場を後にした。

扉の向こうの景色しか私には見えなかったが、四角い枠に収まった人間たちの顔からは、マスクも距離感も取っ払われていた。

まるでコロナが流行る前の、風景写真のようだった。

 

色んな場所で、色んな人が、感染症について話している。その中で「コレが落ち着いたら」という話し方をする人がいる。

気持ちはわかる。でも落ち着いたら、どうするつもりなんだろう。

落ち着いたら前と同じ暮らしをするつもりなのだろうか。きっと違うよな。え、まさかそうなのか?

私には、沢山の人間が苦しんだこの件を、完全に忘れることは出来ないなーと思う。だから同じ暮らしは出来ない。しないのではなく、出来ない。

以前なら騒いでいる人を見てもなんとも思わなかったのに、今は近寄らないようにしようと思ってしまう。

彼らが良いか悪いか、安全かどうかということは私の気持ちに影響を与えてくれない。思うんだからしょうがないんだ。どうしてくれる。

私は変化を好まない。なぜなら、その変化が強く印象に残りすぎてしまって、その後の日常に支障をきたしてしまうから。持ってかれやすいんだよな、気持ちが。

知らない場所に出かけた日だって、その日がどんなに楽しくても、家に帰ったら必ず”いつもの日常生活”をするようにしてる。安心するから。

未来をなるべく変えたくない。昨日と同じ今日で充分だなと思う。はぁ、安定志向も行き過ぎれば毒になる。

 

立ち飲み屋の客達は”何事も”なかったかのように振る舞っていたな。でもそれは、昔の自分もそうだったな。

インフルエンザだって毎年流行っていて、毎年大勢の人が亡くなっているのに、今までの私はマスクもせずに街をヘラヘラして歩いていたよな?

なのに今回はこんな気持ちになりやがって。ずっとヘラヘラしてれば良かったのに!

そう考えながら、夜道をトボトボと歩いた。家についてマスクをゴミ箱の中に入れて、手を洗い、うがいをした。

その時にふと、自分は未来を生きているなと思った。

過去の自分からは考えられないような、ぜんぜん違う生き方をしている。しかもこの生き方から、過去のそれに戻せそうにない。これは紛れもない「変化」だ。

この変化は、オンライン飲み会の時に話していいのかな。そう思った時に、自分の薄情さがなんだか可笑しくて笑ってしまった。

バンバンジーは美味しく出来た。まだ茹でた鶏が家にある。何に挟めて食べようか。

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