まるっとまったりまろやかに

ゲームの感想、考察、実況プレイ動画のこと。日記も。

4月4週目辺りの日記

多分コーヒーの飲みすぎ

腹が痛かった。今は元気。

院長と顔なじみになってしまった病院があるので、今回もそちらで診てもらうことにした。そういえば幼い頃も週1で内科に通っていた。小さい内科が好きだ。

今回はいきなり行くのはやめて、来院の可否を判断してもらおうと思って電話した。TVやネットで聞いたことのあるような質問をされ、来院の許可を得た。

その日は仕事を休ませてもらった。朝上司に連絡すると、まさかの休んでいいという発言。いや、まさかではないか。一応先に伝えておこうか、くらいの気持ちで伝えたのだが。

病院に着くなり別室に案内された。いつもの院長がすぐ出てきてくれたが、私とのディスタンスが遠い。触診無し。問診を取り、採血へ。

なるほど、コロナウイルスの症状を抱えてやってきたと思われてるな?大丈夫、私も自分自身が怖いから事前に電話してきたのだ。

採血の部屋に行くために、別室から待合室を抜け、また別の部屋へ。途中子連れの母親と目があった。ごめんなさいね、怖いでしょう。

採血する部屋で待っていると、すんごい格好の看護師さんがやってきた。厚手のゴム手袋、ビニールエプロン、透明なサンバイザーみたいな奴。簡易的だが重装備だ。

でも中身はいつもの採血メチャウマおばさんなので不思議な気持ちだ。

貴方やっぱり採血苦手なのね、はい針怖いですでも献血には行くんです、良いじゃないバンバン行きなさい、等という話をして、採血自体はあっさり終わった。

また最初の別室で待たされた。やることもないのでスマホを見ていた。

今日も誰かが誰かを怒ったり、誰かのミスを茶化したり、怒ったり茶化したりしている人をRTしたりしているな。お盛んである。

最近、教養を持つということが少し怖くなってきた。

怒っている人や茶化したりする人は、ただ闇雲にウンコーとかハゲーとか言ったりしていない。おそらく私よりも教養があるのだろうなと、文を読んでいて感じる。

多くのことを知ると、多くのものに目を向けられる。目を向けられるということは、それだけ多くの素敵なこと、嫌なことを目にしてしまうのだろう。

私のようなアホでは到底及ばない所で問題を提示したり腹を立てたりしている所を見ていると、アレコレとものを知るというのはすごく疲れることだなぁと思うのだ。

もし字が読めなければ「死ね」という字は読まずに済むだろう。字が書けなければ「死ね」と書かずに済むではないか。

そりゃあ「立ち入り禁止」も読めないかもしれないが、家にこもっているならどこにも立ち入らずに済む。

私はアホだが、賢くなった場合にそれらを上手く扱えるだろうか。力への恐怖みたいでかっこいいな。

箸にも耳の裏にもかからない話を考えていたところで、採血の結果が出た。

至って良好。帰ってよし。しかし怖かったら休んでもいいし何かあったらすぐに連絡すること。

帰りに薬局に寄り処方箋を出してもらった。先程の親子も同じ薬局に来ていたようで、会計を済ませていた。

私の前を通る時、少し間隔を開けていたように思える。いいぞその調子だ。母子ともに強く健やかに生きて欲しい。

その日はゼリーだけ食べて寝た。

 

そのままの君でいて

トロパズのレビューが消えていて少し悲しかった。2度目である。まさか自分のレビューも消されるとは。生きているとそういうこともあるな。もうトロパズのことは忘れよう。

やはりコンシューマのゲームが私には合ってるということ……あ、そういえばマリオラビッツをプレイし終えた。残っていたミッションを全て終わらせた。

といってもほぼ作業になってしまって戦略の楽しさは無かった。キャラが強くなりすぎてしまったから。

ああいうのはバーっとやらないと突然「俺は何をしていたんだ…?」と虚無感に襲われるのでスピードが大切だ。スピードに乗ってる時と、好ましい作業の時は楽しい。

テラリアやビルダーズ2をやっている時なんかは黙々と岩を削るが、あれは好ましい作業だなと思う。作業をさせるための作業だから。

作業目的ではなかったはずの遊び方を作業にされることが私は嫌なのかもしれない…レベル上げともまた違うんだ。レベル上げはレベルを上げさせる作業。お金集めはお金を集める作業だ。貯めるの楽しい。

そうだそういえばあつ森をやっている。先日一応のエンディングというか、スタッフロールを眺めることが出来た。あれは私だけのエンディングなのでここに載せたりはしない。

あつ森でも自分の悪いクセが出ているのだけど、元々あった島の形をなるべく変えたくなかったりする。なので今でも木がモリモリ花がモリモリ生えている。

ただ歩きにくいので、人が通らない所に植え直したりしている。雑草のためのスペースも用意してある。

これではいつまで経っても島は発展しないのだけれど、良いのだ。後からやってきたのは我々の方なのだから、先に住んでいた木や花に迷惑をかけるのも申し訳ない。

ただ魚を釣ったり貝殻を集めたりもするので、この先住民を尊ぶ思想には矛盾している所がある。

ちなみにこのクセはビルダーズ2でもいかんなく発揮され、結果島は全然形が変わらなかった。どうしてもトンネルが必要になった時、泣く泣く削り、その削った岩でまた新たな岩山を作った。

島が全然発展もせず、地面に絵も描かずに楽しいのかと聞かれると、とても楽しい。趣味は水やりとぼーっとすることだ。最高である。

「来た人皆がぼーっとしてしまう島」にしたいと思っている。例えるならホウエン地方のコトキタウン。私あの雰囲気好きなんだ。

 

最近投稿した動画と感想

youtu.be

最高のライブだった。もうこれ以上の言葉は必要ないし、多分未プレイの人に伝わる気がしない。でも書く。動画を見てから読んで欲しい、ネタバレになるから。

3-12の楽しさは、ライブに似ている気がした。

ハナチャンちゃんとワイワイと楽しく移動して、島に着くと弦楽器の音が小さく聞こえる。奥に進むと段々音が大きくなる。

更に進むとそこにはボスが、と同時に曲が激しく変わる。バトル開始。

ボスはターンごとに攻撃法が少し変わり、バトル中のBGMに合わせてボスも攻撃を仕掛けてくる。まさに踊るような攻撃だった。

バトル中のBGMも、ターン経過につれて曲調が鈍重なものに変わっていく。ボスが特殊な攻撃をしてくる頃には、1ターン目のBGMにあった楽しさ、というかコミカルさは大幅に薄れているように思えた。

この時は本当に焦らされると言うか、むしろ怖かった。しかしこの怖さは、このバトルだから味わえた怖さだと思うのだ。

このゲームでは、プレイヤーはタイミングよくボタンを押すことで攻撃をガード出来る。そしてこのバトルでは、ボスはBGMに合わせて攻撃を仕掛けてくる。

つまりプレイヤーも半ば強制的に、BGMに合わせてガードすることになる。あちらは踊るように攻撃をし、こちらも踊るように守る。

相手に攻撃を加えようと考える、その間ボスはずっとクラップでBGMを盛り上げる。

BGMの中にクラップ音がある、という方が正確なのかもしれない。しかし私にはそう感じられない。BGMに合わせて、自分も相手も動き続けているのだ。

攻撃を防ぎ、反撃をし、それでも減らないボスのHP。特殊攻撃により減らされる体力、楽しくも焦らされるバトル。そんな時に、だ。

ボスの特殊攻撃をカウンター。ボスは怯み、反撃のチャンス。この瞬間!暗雲がパッと晴れたかのように全く変わるBGM。マリオシリーズではおなじみのあの曲だ。

これが流れた瞬間、私は完全にペパマリシールの世界に入り込んだ。

私がライブに例えたのはこういう理由だ。ただ素敵な曲が流れ、シナリオに感動して感情移入したのではない。このバトルに散りばめられた要素全てが、心を揺さぶるのだ。

このステージはゲームから自分へ伝えられる楽しさと、ゲームへの自分の反応が一つになることで完成する、いや完成させられる。

見物人ではなく、この世界の要素の一つとなって世界をつくるこの感覚。ライブ、フェスと言っても良かったと思う。

この没入感は、今までのペパマリシリーズでは体験したことのなかったものであった。

 

私はゲームのBGMのタイトルも、作曲者も何一つ知らない。その代わり「これはあの時流れた曲」ということは覚えている。

それは多分、ゲームミュージックを自分が体験したものセットで強く覚えているからだと思う。情報ではなく体験を覚える。曲単体として鑑賞するのではなく、映像も思い出も全て含めてそのゲームのBGMなのだ……と思っている。

だから曲を聴いてもタイトルは浮かばないが、しくしくと泣いたりニヤニヤしたりする。

このペパマリシールの曲は、まさに私が強く覚える方のBGMだと思う。ゲームに寄り添うような……劇音楽や付随音楽といった言葉が当てはまるのかもしれない。舞台劇で使われるような盛り上げ方をする。

これは今までのペパマリらしくない曲であると思う。今までのはゲームらしい曲で、シールの方は舞台らしいというような。どっちも素敵だ。

なのでインテリジェントシステムズはペパマリシールコンサートをやってくれ。頼む。後生だから。

 

終わりに

ニトリでリビング用のテーブルを買った。天板を横にずらすと折りたたまれていた部分が伸び、広くなる。

これは一粒で二度美味しいな!お得だ!と思って買った。買う時に店員さんが「でもなんだかんだで、ずっと広げて使っちゃうんですよね~私がそうだから」と言っていた。

全くもってその通りであった。広げると物がたくさん置ける、たくさん置くと畳めない、畳めないけど広いからOK!!となってしまった。無精テーブルである。ではまた。