プロローグ
はてブロから通知が来た。今月のブログはなんだかたくさんの人が見に来てくれたよーとのことだ。ありがとうございます。
でもここに見に来ても知見は得られないと思うし、極端な主張とかもないからなんでだべって思う。
そういえばコメント欄は意図的に無くしている。何かの間違いで炎上したら怖いから。
私のブログがより多くの人に見られてなんやかんやあって炎上…ということは考えにくい。けれど炎上した人たちの中には、燃えたくて書いたわけではない人もいるだろうから。
炎上とは言うけれど結局燃やされた、だもん。神田うのが昔「お騒がせタレントとか言われるけど、騒いでんのは世の中でしょ」だったかな…こういうことを言ってたのを思い出す。
5月4週目辺りの日記
ステッカーを貼るものがない。
家に一枚好きなステッカーがあり、こいつをどこに貼るかでずっと悩んでいる。しかし中々決まらない…なぜなら貼った瞬間に、ステッカーは貼られたものと一心同体になってしまうから…
町中で見かける「貼られるもの」のはノートPCやキャリーバッグかな…私はまず持ち歩かないもん。第一危ないじゃん落としたら。ステッカーに傷ついたらショックだよ。
それに自分の手が触れるところにステッカーが貼ってあると、ステッカーが汚れて嫌じゃないか?縁の部分が黒ずんできたりして。そんなことない?
友人が「じゃあいつもカバンに入っている手帳に貼りなよ」と勧めてきたんだが、それも大分厳しい。だって手帳は捨てるものじゃないのか?書いて次の代の手帳に成り代わったら捨てないのか?
「その時点で感覚がおかしい」んだそうだ。思い出として取っておくのは分かるけれど、ゲームか手帳どっち手放すって言われたら手帳だからな…
そもそもステッカーは貼るものなのか?という疑問がある。貼ったらその瞬間から、粘着物としての寿命がスタートしてしまうじゃないか。
私は昔から終わりを気にしてしまう所があるみたいだ。例えば10連休貰ったとしても「あと9日で連休が終わる」と憂鬱になるし、20巻で完結してるマンガだって「これあと19巻で終わるんだ…」と落ち込む。
モノにもそうみたいだ。好きなものがいずれ黒ずんだり色が薄れたりするのが耐えられん。台紙に貼ってあり袋から出さない限りはコールドスリープ状態だからね。
それにも似て、1年前に買ったゾウのシールも一枚も使うこと無く取ってある。一枚くらい手帳に貼っても…と思ったけれど、シール一枚分欠けた台紙を思うと切ない。だから貼れない。
ならばと保存用としてもうひとつ同じシールを買った。これなら気兼ねなく使えるぞと。結果一枚も使ってないものが2つに増えただけだった。本末転倒。
3月くらいから我が部署に新しい上司がやってきた。2ヶ月一緒にやってきて分かったことだが、上司は割と人の気持ちを理解できないのかもしれない。
空気が読めない…のとはまた違うような。平気で人を傷つけるような人というわけでもないし…うん、ただただ「分からない」んだと思う。
私だけが戸惑ってるのかと思ったけど、周りやお客さんを見てもそんな感じでな…
ということを書こうとした次の日。その上司とアレコレ話す機会があり、自身も人の気持ちを理解できないことを自覚していると言っていた。
元々上司はコミュニケーションも下手で、色んな人を困らせていたそうだ。これではイカンと発起し本を読んだり研究したりして、今の自分が出来上がったんだそうだ。
しかしその結果「コミュニケーションは出来るが気持ちはさっぱり分からん人間が出来上がってしまった」そうだ。すごい、アンドロイドみたいだ。
確かに思い返せば…お客さんとの応対を見ていると、すごくまともにコミュしてるんだが、よく聞くとパターンが決まっているのだ。
テレアポする時のマニュアルが目の前にあるような感じで、眼の前にいるお客さんと話していた。見るたび何故かモヤモヤしていたが、そうか。
あれは客の気持ちを汲み取って話しているのではなく、相手が放った言葉を入力して、応対を出力していたのか。上司すごい。アレクサだ。
だからちょくちょく心の中で「あ!あー上司それは言ってはー!」って思ったりする。でも基本的に仕事が出来る方なので良いと思う。
そのうち本当にアンドロイド上司とかAI上司とか誕生するんじゃないか。機械だから計算とか強そうだけど上司だからお願いはできないな…
BotWを全然プレイしていない。
進めすぎてスクショが整理できていない。数を確認したら約1000枚あった。子煩悩な親御さんのデジカメのSDカードくらい量ある。
写真の整理も兼ねようとTwitterで #まるのんBotW なんぞ始めてみたけれど、進行と投稿がまるで噛み合っていない。
投稿してる時点ではここ。
のんびりビクビクしながら山を登る映像ならあります #まるのんBotW pic.twitter.com/qudlmNE2QL
— まるいひと (@manmaru222) February 28, 2019
進行具合としてはこれ。
これでなんとなく分かるだろう。2匹目の神獣を解放するところまで来てしまった。私の実況で言えば100話分くらい差がついてる。1シリーズ分だ。
進めれば進めるほど写真を撮り、投稿が間に合わず、モヤモヤして進められていない。しかし写真が膨大すぎて投稿するのも大変でそのまま…といった感じだ。
でもこんなものアレだ、もう今までの全部無視して「今はここまで進めた!」っつって流れ断ち切って投稿すりゃあ良いんだな。
私にはこういう「頼まれてもいないことを継続したがる」クセがある。別に誰もやれなんて言ってないのに謎の責任を負うんだな。そんなものデクの葉ほども軽いってのに。
最初あの塔でマップを手に入れた時、あまりの大地の広さに大笑いした。そしてむせた。
爺さんの試練を突破するために登り、溺れ、襲い、そして散々走り回ったあの土地は、パズルの一欠片ほどしかなかったんだから。地図貰ったあの時がBotWワクワクシーン暫定No.1だ。
そっから婆ちゃんや姫の意志を殆ど無視した。
宝物を探し回って開けてはビックブーメラン被ったと嘆き、コログを探し回る途中で蜂の巣を襲撃し反撃され、リモコンバクダンのスイッチを入れては離れた場所のタル爆弾が誘爆し死んだ。
「そこに山があるから登るのだ」とは誰の言葉か分からん。しかし世界があるなら、その世界は冒険されなければならない。神秘を解き明かし世界の果てを望むことは人間の性である。らしいからな。
でも。いずれ、世界の果てはやってくる。現に私はハイラルの半分を踏破してしまった。この世界の神秘は全てシーカーストーンに収められる。物語はあの城へ収束されるんだ。
私はそれがすごく寂しい。終わりを意識しがちだからな、私は。
もし、ゲームが終わることを嫌うなら「終わらない、終わらせなくても良いゲーム」だけに身を寄せれば良いんだ。そういうのは既に山ほどある。
そうしないのは、やっぱり終わってほしい、終わりが見たいからなのか。自分自身もその世界の誰かも、報われる所が見たいから。
いや正直報われなくたって良い、その後があったって良い。そもそも私は今まで終わらせようと思ってゲームはしてない。エンディングを迎えるためにゲームなんかしていない。
その世界の誰かと歩み続けた遙かなる旅路が「エンディング」というターニングポイントに差し掛かった、というだけだ。エンディングは終わりではない、一つのヤマだ。
山頂に到達し、そこから平野まで下っていく誰かを見送るのが私にとってのエンディングだ。
逆に、終わりのないゲームは多少の起伏はあれどただ平野を歩き続けるだけになる。艦これなんかはまさに平野、いや海だからな。どちらも遊び方も違うし、どちらも楽しい。
リンクは100年の”命”のために、私は只の興味と情のために、ゆっくりと終わろうとしている世界を、終わりへと向かわせるために歩く。そこに到達した時、またそれぞれの旅路が始まるんだと思う。
オメーそこまで言ったんだったら進めろよ?ハイスミマセン…
エピローグ
そういえばGW中にでかけたことを全然まとめてないな?じゃあ来週はそれをまとめよう。
このブログは基本自分のためだから、記事がメチャクチャ集まったら本にして2冊くらい刷りたいな。自分用と保管用で。ほんでこっそりどこかの図書館に納めるか。中身スカスカだから落書き帳にはなりそう。ではまた。