まるっとまったりまろやかに

ゲームの感想、考察、実況プレイ動画のこと。日記も。

ポケモンXのハンサムイベントを見終わって

ポケモンXのハンサムイベントを見終わって数日経ってから思ったことを書いた。

1000文字書けば充分だろ~と思って書いてたらお前5000文字ってどういうことだよ。内容だってもはやマチエールのことだけじゃないぞ!

感想…日記…うーん…自分のための手記という言葉が一番合う気がする。

ヤマもオチもない!意味も無い!アホだからあんまり難しい言葉とか使えなかったけど無事に出力できて良かった~~~読みづらくてごめんな自分~~~~~~

twitterに音声だけ投稿しようとしたけど全然尺が足りなかったぞ)


 
今回のXYではプレイヤーを含めた5人の子供達が、カロスを巡り絆を深めていった。カロスでの表彰式を終えた後も、彼らの物語は続いていく。

彼らはこのXYの主人公である。赤緑からXY、その先まで受け継がれ続ける子供とポケモンが成長してゆく物語は、子供達に等しく用意されている。それぞれが、それぞれの物語の主人公である。
 

隣に引っ越してきた少年或いは少女と出会い、勝てば友情を知り、負けては絆を知り。

ポケモンのために涙を流した大人から、この世界ともども拒絶され。それでもなおも進み続け、8つの証と信念を授かった。

赤い服が似合うあの少女或いは少年は、どこに向かうのか。どんな大人になっていくのだろうか。

 
マチエール。彼女にもまた、同じようなことを考えてしまう。彼女はどんな大人になっていくのだろうか、いや。彼女はどんな大人になりたいのだろうか。

 

当時の私は本当に驚いた。マチエールは、今まで登場した「主人公達」とは明らかに違った。彼女は、主人公が物語の始めから持っていたものを何一つ、持っていなかった。

殿堂入りを果たした後「主人公たち」は必ず一度家に帰っていく。

そこで彼らは今までのことを家族に報告するのだろう。思わず泣いてしまう子もいるのではないだろうか。

そして身支度と気持ちの整理をし、ポケモントレーナーとしての大冒険を、再び始めるのだ。

あの主人公たちにとっては、家は暮らす場所ではない。一つの冒険を終え少し背を伸ばした彼らが、帰るべき場所だ。

そして主人公たちにとっての親は、彼らを子供としていつまでも迎え入れてくれる、絶対の安心と愛情を与えてくれる存在だ。

それが子供らにとって、どれだけありがたいか。彼らを主人公たらしめているのは、ポケモンや仲間の存在も大きいのだろうが、何より彼らを送り出してくれた親の功績が大きいのだろうなと、今になると感じる。


マチエールはあの場所で暮らしていた。もこおと呼ぶ家族がいつも側にいて、夕方には自宅へ帰っていく友達も沢山いた。それが全てであった。

あの赤髪の男が絶望した世界は決して悪い夢などではなかった。

思えばあの演出も憎い。ミアレを歩く主人公達は、好奇心から一度はあの路地裏に足を踏み入れるのではないだろうか。

しかしその時には何も見つけられない。あの男から事実を告げられた後ようやく、自らも現実を覗き見ることが出来るのだ。

もしもあの主人公たちが”手違い”で先にマチエールに会っていたら、それぞれの物語は大きく変わっていたのではないだろうか。最も、世界が変わるかどうかまでは分からないが。


一方で、彼女だけが物語の最初に持っていたものがある。

多くの主人公が、親元を離れ様々な困難を乗り越えた先に得るものの一つ、絆の力。それを彼女は当たり前のように持っていた。

ボールの力を借りずに、他人のポケモンでさえも。いともたやすく心を通わせる。そしてポケモンだけでなく、人々さえも惹き付ける。それが彼女の持つ純粋さからくるものなのかは分からない。

 

マチエールを見ていると、彼女は冒険に向いていない、というよりも冒険をする必要がないと思う。

彼女の生活そのものが、主人公たちが成し遂げようとする冒険そのものになってしまっている。

それに彼女が主人公たちと同じような道筋をたどり、そして生まれた冒険譚では、きっとおそらく他の人間を退屈させてしまう。明るく朗らかに、なんのヤマもなく終わってしまうだろう。


彼女のあの態度を見るに、自らの現状に不満を持ってはいなかったはずだ。周りとの違いには気付いてはいたが、他を尊重し、それによりあのままの自己の存在を認めているようであった。

そんな彼女の物語はなんの前触れもなく突然始まった。来訪者が無理やり扉を開けたのだ。

 

そしてその来訪者が去ったことで、彼女の物語は一度幕を下ろす。結局彼女が得たものは、帰りを出迎えてくれる友人達とポケモン、この街に要る理由、そして暖かな家だ。

それは勿論彼女が掴み取ったものに違いはないのだろうが、彼女の親と言えた存在が与えてくれたものでもある。

 

今までの主人公たちが物語を始める前から持たされていたものの殆どを、彼女は物語を終えることで与えられる。彼女があの時既に持っていたそれらを、主人公達は長い長い旅の末に手に入れる。

子供達はまた一つ成長し、再び物語の幕を上げる。

彼らの住む世界は、彼らのスタートはバラバラでも、それぞれがゴールに迎えるように仕向けてくれているのだなぁと思うと、少しほっとする。


それだけに、扉を開けてくれた来訪者――親の代わりを務めた探偵の存在はあまりにも大きく、功績は偉大だ。

 

ストリートチルドレンであった彼女の境遇を可哀想という言葉で語ってしまえば、マチエール以外の誰かを傷つけてしまうかもしれない。しかし私は正直に言いたい、可哀想だ。あんな生活をさせるなんてまっぴらごめんだ。

あのミアレのパレードが行われていた時、彼女はどこにいたのだと思う?勲章をもらった少年少女が親に報告している時、彼女はなにをしていただろう?私は想像もできないし、想像したくない。

誰が好き好んでああいう生活を送るだろうか。もう一度言う、可哀想だ。


そしてそう思えたから、あの来訪者は手を差し伸べたのではないか。

彼が依頼を解決する手段として、事務所に迎え入れたのではないということは、誰の目にも明らかなはずだ。

国際警察だからではなく正義の味方だからでもない。眼の前に困っていると思われる人間がいたから、自分が出来る精一杯で以て助けた、ただそれだけなのだろう。

誰しも目の前でハンカチを落とされたら拾ってやるだろう、彼にとってはその程度のことなのだ。国際警察としての彼と、一人の人間としての彼は全く違う。

どちらも本当の彼であり、どちらがどう素晴らしいというものでもない。あの丸メガネの科学者の場合も。

 

ただ、手を差し伸べられた時のマチエールは、困ってなどはいなかった。上記したが彼女は自分の世界に満足しているようだった。それでもなお彼女が来訪者の指示に従ったのは、純粋さ故の興味と、彼の提案が優しかったからなのであろう。

 

しかし彼の事務所で生活していく内に、彼女は段々と変化していったように見える。

彼女に初めて会った時も驚いたが、ミアレギャングの件で助けるのをやめないかと提案された時はもっと驚かされた。

あの提案は、自分に良くしてくれている人間を馬鹿にされたことへの不満と、そしてその人間を案じてのことだと思う。

いや、あの場でああいったことを思うのは当然だ。しかし天真爛漫でどこかマイペースなマチエールからあの提案が飛び出したのだ。

更にはあの探偵を尊重するあまり、ストリートチルドレンであった自分の存在を卑下するような発言まで…あれらは、一人で生きていたマチエールにはなかった価値観なのか、それとも元々備わっていた感覚なのだろうか。

 

ところで、彼女は捨てられたのだろうか。それとも幼い頃に先立たれてしまったのだろうか。

家族という存在を知っていながら、あの男たちのことを父親のように感じたのであれば、物心ついた時から既に父親はいなかった、ということになるのか。もしくは彼女の思い出にある家族には「父親の役割を担っていた人物」はいなかった、ということなのか。

 


話を戻す(戻る話の筋も無いが…)。

国際警察としてのヤマを解決した後、彼はマチエールと主人公に手紙を残した。彼はあの手紙を認めている間、どんなことを考えていたのだろう。

「きっと驚くだろう、きっと腹を立てるだろう、きっと自分のように、少しは寂しがるだろう。それでもこの先を笑顔で歩んでくれるだろう」

とでも思っていたのだろうか。あの手紙を読んだ後のマチエールの顔を、バディに見せつけてやりたいものだ。

 

彼女はずっとあの生活を送っていた。他人から何かを貰うことも、その他人から嘘をつかれることも、そして他人以上の誰かと別れることも、おそらく何度も経験しているはずだ。

そんな彼女があれほどまでに狼狽えていたのは、彼女にとってあの男は他人以上どころの話はない、もっともっと近しい人間になってしまっていたからではないか。

時に叱られ、時に励まされ。見返りなく与えられた、沢山のものと心。それらは彼女に友達と結ぶ信頼関係以上のものを齎すのには十分ではなかったか。


彼女が与えられるそれは、子が親に与えられる無償の愛によく似ていた。しかしあの男はただの、ただの善意で与えていた。受け取るものと与えるものの価値観、境遇、すれ違いが、あの最後の場面でハッキリと現れていたと思う。

そしてそのすれ違いをマチエールは感じ取ったから、彼女はミアレに留まり別の道を歩もうと決めたのではないだろうか。

あの笑顔を、あの涙を仮初めの父親だったものに見せはしなかった。それは、彼女が改めて彼と一緒には生きられない、彼は私と一緒に生きようとはしていないと気付いたからではないか。

寂しさ、悲しさに踏ん切りを付け、彼を送り出すために「いいひとたち」という線引をしたのではないか。

再び親が離れていったのではなく、マチエールの意思で別れた。あの瞬間に、ミアレに取り残された少女の悲劇ではなく、ただ”生きていた”彼女がミアレに残り”生きようとする”物語が始まったのだと、私は思う。

 

 

ポケットモンスターは子供がポケモンと共に成長していく物語である。そしてそれは全ての子供らに等しく用意されている。では”子供達”の物語の最後に用意されているシナリオは、”子供達”の成長の果てに待っているものはなんだろうか。


親からの自立。少年少女達が親元を離れ、独りで生きていきるために巣立っていくこと、子供達が”子供達”をやめる、それが子供達に用意された最後のシナリオなのではないか。

独りという言葉には寂しそうな印象を受けるかもしれない。ただ私はそうは思っていない。

人は独りきりだ。親がいようが、家族があろうが、多くのものに囲まれていても、独りで生まれ独りで死ぬのだ。寂しいものではなく、当たり前のものだと考えている。

生まれて死ぬその間に、親や兄弟、友や厄介な知人や愛しい恋人に憎むべき隣人といった、様々な横軸あるいは縦軸と交わっては分かれ、再び交差していく。

出会いが奇跡ならば、別れることは必然である。独りになれるから別の独りと逢える。独りであることで混た独りから受け取ることが出来る。

独りは、確かにその場には一人きりでは有るが、その心には多くの交差した点が思い出として刻まれる。独りを選ぶことが出来ることは、とても幸福なことだと思う。


彼女は自らストリートチルドレンを選んだわけではない。巣立つ前に無理やり引きずり降ろされた小鳥と一緒だ。地べたから空を眺めて生きるしかなかった。

それをあの男は飛び方を、狩りの仕方を、独りで生きることが出来る権利を、二度と訪れることのなかった親から自立する機会を。全てを、与えてくれたのだ。

勿論親の代りにではなく、ただの善意によってである。

 

だからこそなのだ。

自分が父親だからという格式張った使命感で、無償の愛を与える父親がどこにいるか。そう感じる子供がどこにいようか。額縁に飾られた資格証など、親にも子供にも必要ない。

マチエールはあの男の子供ではなかった。しかしハンサムは、あの時あの少女の親だった。
親だったのだ。

 

マチエール。幕も上がらぬ間に舞台に放り出された少女。

そんな彼女は代役にその場で踊りを叩き込まれ、自らその物語の幕を下ろすまでに至る。再び彼女が舞台に立つ時、あの代役はきっと別の物語を始めているはずだ。

もう一度、彼らは共に出会うことがあるだろうか。もしそんなことがあるならば、それは本当に奇跡なのだと思う。

私はそんな奇跡が再び訪れるように、そして彼らの歩んだ軌跡を再び眺められるように、願っている。

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自分へのまとめ:ハンサムイベント最高だったぞ。また始めから見たら違うこと考えるかもしれないけど、お前と俺で感想が違って良いんだぞ、また書けよ。でも長い文章書く時はまとまった休みを取れよ。あと途中孤独に対しての話が出てるけどあんまり身構えるなよ、基本アホだからなお前な。