まるっとまったりまろやかに

ゲームの感想、考察、実況プレイ動画のこと。日記も。

自分の靴を自分で直した

自分で修理した靴の内側の写真


時間があったので、靴を直した。めんどくさかったが、中々楽しかった。

 

電車に乗っている時に、オイラは他人の靴をよく見る。靴が特別に好きというわけではないが、顔を眺めたり服を眺めるよりも、自然な感じで手軽に観察できるからだ。

買ったばかりの靴も良いが、使い込まれた靴を見るのが特に好きだ。大体の人は内側のソールが削れているんだが、たまに均等にすり減っている人を見かけると、なぜか嬉しくなる。

おそらくあれはすごく高い靴だったんだろうなと思うものを、ボロボロに汚して履いているのを見ると、余計なお世話と思いながらももう少し大切に履いたれよと思ったりもする。靴との向き合い方は人それぞれあって良いと思うのにさ。

 

で、ある日ふと「余計なお世話なオイラの靴は果たしてどうだろうか」と思い、自分の持っているスニーカーを眺める。ソールは全然ヘタれてないが、靴内部の履き口や、踵のうち太もも側?の布が破れている。こういうことはよくあるし、見えないところなので気にせず履き続ける……普段ならね。

しかし、最近DIYの機運が高まっているオイラとしては、これって自分で直せるのかと気になり、調べることにした。見つけたサイトには、直せると書かれている。とても簡単にw数千円も貰おうとする業者はボッタクリですよwとある。

オイラは知っている。こういう時は大概簡単ではない。道具があっても技術と時間が必要だ。記事を書いている人とそれを読んでいるオイラ、そしてボッタクリですよwなどという記事を書かれていることを知らず働いている服飾修繕屋さんでは、技術家庭科に必要な物の所持数が全然違うんだもんな。

ま、失敗したら失敗した靴を履き続ければいいか!それはそれで面白いだろ!という謎のポジティブさで、挑戦してみることにした。自分で前髪切るくらいのテンションで行く。

 

前髪をキッチンバサミでは切らない。髪用のすきバサミとかが必要だ。靴を直すのにも同じ。しかしオイラは捻くれているのでサイトで紹介されていた品々を全部無視し、自分で考えて材料を揃えることにした。100均で。

補修クロス 厚地用 - ダイソーネットストア【公式】

100均には補修布が沢山ある。素材もジャージ用やデニム用などいろいろ。オイラの靴は内側がベージュなので、それに合う色でなるべく丈夫なものを…と思い、上に載せたものにした。アイロンで圧着させるタイプ。もし貼り付かなければボンドや瞬間接着剤でも使ったろという気持ちだし、ダメなら手芸屋さんでも行ったら良いかと思って。それくらい気軽に100均で済ませた。既にこの時の気持ちの大きさは「靴を大切に履きたい<直すの面白そうじゃん」という感じだ。

買ってきた補修布を、靴の踵部分内側の底の部分から靴外側の履き口ギリギリのところまで合わせて長さを測り、ハサミで切る。服と違い、靴はどこもかしこも曲面なので長方形の布は貼りにくい。だもんでハサミでスリットを入れていった。スリットの数が多ければその分曲面に貼りやすいが、スリットの間から本来補修したかった穴の部分が露出してしまう。そのバランスが一番難しかった。

布の方の準備ができたらアイロンをかける。我が家には一応アイロンもかけられる衣類スチーマーがあるので、その先っちょを靴にグイグイ押し当てて接着していく。接着後は冷めるまでそのままにして、もう片方の靴の作業に取り掛かる。片方が接着できたらまた反対の……という感じで交互に進めた。踵の奥側の曲面にアイロンをあてるのがすごく難しい。時間をかけて少しずつ……やっていくのが飽きてきたので片足の方はテキトーにやりすぎたかもしれない。もし布が剥げたらまた考えればいいやの精神でエイエイと進めていった。

踵部分が終わったので、踵の内太もも側の修繕に取り掛かる。ここには本来は綿が入っていたようだがそれも抜け穴が空き、踵部分を補強するための芯材が露出している。ここには一枚柔らかい布を穴の部分に入れ綿代わりにし、その上で補修布をあてた。なお綿代わりには、昨日ついに穴が開いてしまった靴下を切って使うことにした。

カットした靴下とスチーマー。

あとははみ出た布を回転式のカッターで切り取り、布の縁を瞬間接着剤やボンドでくっつけて完成。縫い付ければより頑丈になると思ったが、裁縫はあまり得意ではないので諦めた。素人パワーでそこまでするくらいなら、業者に頼む。

修繕が終わってから眺めてみると、我ながらよく出来ていると思う。布の色をあえて派手にして、スリットたくさん入れて貼り付けたら、もっと模様っぽくなって可愛くなるんじゃなかろうか、と思ってニヤニヤしている。接着剤が乾くまで待つ。

 

雨の日、晴れの日、何日かこれを履いて出かけてみた。履く時に、履き口と厚手の靴下が擦れて少し履きにくい。布を重ねているし、ボンドで生地の柔らかさが多少損なわれているので、この辺は仕方がない。

歩き始めると修繕部分は全く気にならない。普段の靴のサイズより1mm縮んで27.4cmに変わったような履き心地だ。踵周りのフィット感が僅かにがっちりと、安定したような。ハイカットスニーカーに似てる。5回ほど試し履きしてみたが、今のところは問題ない。

写真をよく見ると、履き口に何か別の素材が張り付いてあるようだが、オシャレな切り替え素材にも見えなくもない。それに(あっあの人靴自分で靴直したんだ、オモロ〜/へんなの〜)と思われるならそれはそれで良い。

この靴を買ったのは一昨年よりも前のことだから、週に一度足を通していたとしても月4.2回、2年で100回は履いたことになる。実際はそれよりもずっとたくさん履いているはずなので、たかが5回の試用運転で何が分かるんだとはオイラも思うんだよな。

が!少なくとも「初めから履いてみて合わない靴よりは、履き潰した靴を自分で直してまた履いた方がずっとマシだ」ということだけは分かった。

直した靴を履いた様子。

直した靴を履いた様子。靴下が毛玉だらけだ。

今回靴を直してみたが、思っていたよりも楽しかった。買い直すのと一旦修理するのとでは、ストレスの消え方が少し違う。買い物はストレス発散になるが、直すとストレスが溶ける。直している物に染みるというかな。

靴を買ったこともボロボロにして捨てたことも沢山あったのに、オイラは靴の内側の穴の修繕なんてしたことがなかった。もったいない。靴が、というより、直す機会が、だ。

素人の仕事だもんで、おそらくすぐに綻びが出てくるとは思うが、綻んだらまた直せば良いと思うし、直せなかったら人に頼めば良い。それでダメなら買い直す。今回直した靴は、近所のABCマートに普通に売ってるのだ。間違えても良いと分かっている状態で何かにチャレンジするのは、オイラはとても気持ちがいい。

もう3月も終わる。4月が始まる。まだオイラが経験してないことは沢山ある。

 

あまり関係ないけど、やはり1枚写真を撮っておいて、それを元に日記を書いていくのはやりやすくていいな。絵日記を書けという宿題を出した小学校側の気持ちが少しだけ分かる。

でかいスーツケースを手放した

ジモティーでスーツケースを売った。500円だった。

 

オイラは普段あんまり物を買わない。餅つき機や食洗機が欲しくても、本が欲しくてもとりあえず保留にする。ミニマリストってわけじゃあないけれど、物をあんまりたくさん持ちたくない。自分が管理できる以上の物を持つことにしんどみを感じる。コレクター的な楽しみもあんまり理解できないので、しまう場所が無くて困るくらいなら買わずに別の方法を取る。

そうは言っても生きていれば物は少しずつ増えていく。悩んで悩んで買った本、目を合わせてその場から私を動けなくさせたぬいぐるみ、5kgのお米が入るようにと買ったデカいリュック。最近は最適な文房具を探してノートを買うことも増えた。

今年もいろいろなことに挑戦しようと思い、300円でフィルムカメラを買ったりもした。100均で買った毛糸玉はまだ3つくらいあるし、アイロンビーズもプラの容器にパンパンに詰まっている。どれも触るのが楽しい。

じりじりと嵩が増してきた棚の中の物たち。オイラはそれを見ると、なんとなくストレスを感じる。好きなものに囲まれて幸せ、とはあまり思えず寧ろ「管理できない物を増やすのは性に合わない」「しかしこのままだと新しいものを買う楽しさを捨てることになる」という2つの思いが頭をグルグルと回り、ムカムカしてくるのだった。

最近こんなこともあった。雑貨屋で見つけた可愛らしいゾウのぬいぐるみ。とても良い……この子は家に持って帰ろう、と思い抱きかかえるのだが、「また家に物が増えるぞ」と誰かに囁かれる。この子が家にやってきたらどこに置いてやろう。オイラはこの子の面倒を見てやれるだろうか。そう考えるとイヤでしょうがなくなり、諦めた。こういうことは何度も、ぬいぐるみ以外の別の種類の物でもあった。

 

このままではもうオイラは二度とぬいぐるみを迎えることは出来ないし、物を買った後に起こる楽しさにも触れられない。それは今年の目標でもある「小さな新しいことに挑戦する」もできなくなってくる。

在るから良いと服も買わず、ただボサボサの歯ブラシを交換するだけの日々は、平穏であるがオイラはそれを求めたくはない。由々しき事態だ。

そこで家にあるものを片付け始めた。必要だから買ったはずのものの中で、1年以上触れていないものは片っ端から捨てることにした。本も服もキッチンツールも。大切なぶいぐるみは、人が貰ってくれそうな小さいものは人にあげたりもした(大きいものはオイラが最後まで面倒をみたい)。これで家の棚にも押し入れにも、そして心にも随分と余白ができる。安心して新しいものを受け入れる準備が整うのだ。

 

意気揚々と物と別れていくオイラの前に、ひとつ大きな家財道具?が立ちはだかった。それがあのスーツケースだ。これは人から貰ったもので、いつから家にあるかも覚えていない。いつかオイラが旅行をする時に使おうと思っていたのだが、北海道に旅行に行くときさえもコイツの出番はなかった(5Kgの米が入るリュックで足りた)モンベルのステッカーは貼られているが、別にそういうブランドのものではない。はっきり言ってナゼ我が家に居座り続けたのか、全く分からない。よし、サラバだ。

そう思って市から配られているゴミの分別表を眺めると、スーツケースは粗大ゴミであると書いている。ポーチと同じバッグじゃないか。デカいからか。200円支払って回収日時を決めて、あとは出すだけでいい。実に簡単なんだが、オイラはそれを止めた。思い出したことがあったからだ。

オイラは普段本をあまり買わないと書いた。そのため図書館をよく利用する。その図書館の前には「もらってください・ゆずってください」と地域の人々が不用品の譲渡をお願いする張り紙が何枚も貼ってある。靴だったりスーツだったり、家財道具もあったはずだ。このスーツケース、誰か貰ってくれないだろうか。

jmty.jp

そう思い、初めてジモティーを利用した。地元の人同士で物や人手を譲渡し合うサイトだ。ジモティーに決めたのは ①梱包や発送をする必要がなく②直接受け渡せ③現金で支払われること の3点だ。スーツケースなんかを包んで送るなんて絶対にめんどくさいし、送料が馬鹿にならない。また売った時に手元に残るのは現金なので自由に使える。そして何より、こんなスーツケースを欲しがる人はどんな人なのか、受け取った時どういう反応をするのか気になったからだ。最寄り駅までの電車賃が500円以下なので、金額を500円にしてジモティーに投稿した。

1週間後くらいだろうか。連絡が来た相手とやり取りし、スーツケースを引き渡すことにした。土曜日の13時、駅のモニュメント前で待ち合わせだ。オイラは12時くらいに既に駅構内に入り、近くのカフェでコーヒーを飲んでいた。時間ぴったりにモニュメントの前に着くように店を出て、待ち合わせ場所に向かう。空のスーツケースはガラガラと音を立てている。使ったことがないので分からないが、これは煩い方なのかな。

 

駅には沢山の人、人、人。だが普段より人数が気にならないのは、それらを視界に入れていないからだろうか。モニュメントの前には女性が2人、男性が1人いる。一目で「あ、この人がスーツケースを受け取りに来た人だな」と分かった。別にその人が特別キョロキョロしてたわけじゃないし、オイラが事前に特徴を知っていたわけでもない。でも多分、このスーツケースを欲しがるのはあの人だろうなと感じたのだ。

当たった。挨拶を交わすと、その人が財布を取り出した。オイラはお金を受け取る前に、このスーツケースはここを引っ張るとここが伸びて、鍵はここにあって、ここに傷があるけど丈夫で使えるぞと一通り説明した。メール連絡の時に聞いていたのだが、受取人の方は仕事の出張中にスーツケースが壊れてしまったそうで困っているとのことだった。オイラの説明を聞いた後、その方は小さな財布から500円玉を1枚出して、オイラの両手に置いてくれた。その後、ガラガラとケースを引っ張りながら、オイラの家とは逆方向の電車に乗っていった。

 

これでスーツケースを受け渡した話は終わりだ。すごく面白かった。まず手間を考えると粗大ゴミに出したほうが楽だ。お互いの日程を調整したり、わざわざ空のスーツケースをガラガラと煩く鳴らしながら運んでいく必要はない。それに、オイラはカフェでコーヒーの他にパンを食べたので、往復の電車賃と合わせて1000円も使っている。金銭的にも損してる。

しかし、本当にオイラが手放そうとしているものを人が受け取りたいと名乗り出て、知らない人と日程を調節して、実際に会って受け取ったら帰っていく、そんな密輸の売人みたいなことが出来るなんて面白すぎる。オタクの界隈でグッズ被りを受け渡したりすることはあるのかもしれないが、オイラはそんな経験をすることは絶対ないだろうし。実に貴重な体験をした。

あのスーツケースは別に良いものじゃあない。おそらくあの受取人さんが無事に出張を終えたら、処分して新しいものを買うだろう。でもそれはそれで、使う機会がないオイラが捨てるより、ひと仕事終えて捨てられる方が、なんというか、浮かばれるような気がする。

オイラはSDGsとかには”あんまり”興味がない。マクロな視点で見たら、オイラがスーツケースをどうこうしようが、そんなに変わらないと思う。でももっと狭い視点で、オイラの所に偶然やって来たスーツケースの一生と、それをどうにかするオイラのことを考えた時に、ただ捨てるよりはこっちのほうがちょっとだけ楽しいだろうなと思う。

まだジモティーにひとつ出しています。

ただまぁ、このビジネスバッグが誰の貰い手もなかった場合は、オイラはあっさり捨てるんだけどな。誰かもらってやってくれ。0円だから。

jmty.jp

羊かまぼこマンショップ

令和6年3月6日、オイラの描いたイラストの、グッズショップが出来た。

suzuri.jp

グッズを作った経緯や、作って気付いたことをここに残しておく。

 

経緯

オイラはマストドンというSNSの、とあるインスタンスに所属している。わからない人はこれを読んでくれ。

所属し始めたのは一昨年の12月だな。その中でよいさよいさとマストドン生活をしていた。そのインスタンスの中では、各々が自由に喋って歌って楽しんでいた。絵を描いて遊んでいる人間もいた。私は自分の家のぬいぐるみを見ながら、その絵を描いた。

左がぬいぐるみ、右が描いた絵。

自分は羊のぬいぐるみを真似て描いたはずなのに、紙に描かれているのはよく分からない生き物。ツルンとしていてかまぼこの様だし、肩幅が広い。これじゃ羊じゃなくて羊かまぼこマンだよと呟くと、インスタンスの人から「それは良いな」と反応を貰った。これが私が生み出したキャラクター・羊かまぼこマン誕生の経緯だ。

あれから約一年半、ずっと羊かまぼこマンを描いている。思いついたものを付箋に描いたり、他人の創作物を真似してノートに描いたり、人にあげるために描いたり。気がつくと羊かまぼこマン=オイラだと思われるようになってしまった。

ある時、フォロワーの誰かが羊かまぼこマンのグッズが欲しいと言い出した。何人かもそれに同調していた。付箋や裏紙に、気の赴くがままに描いていたこのキャラクターのグッズが欲しいのか。というか、グッズってそんなナチュラルに欲しがったり作れたりするものなのか。興味が湧いた。

グッズを作って皆さんにかわいがってもらいたい!というより「全くの素人がグッズを創る」という体験をしてみたいと思った。だもんで1月17日にグッズ制作するぞと呟き、そこから作業を始めた。最初のグッズは1月末くらいには出来ていたんだが、どうせならもっと作ろうと思い、ショップを非公開にしたまませっせこ色んなアイテムを増やしていった。そして3月6日にショップをOPENした。ここまでがOPENまでの経緯だ。

 

出すまでにやったこと

グッズはSUZURIで出した。画像データを読み込ませると、その1枚の画像から56種類ものグッズを作れる。あまりにも手軽。しかしオイラはたいへんに手間取った。

まずオイラのイラストは全て紙に手書きしているものだから。だもんでSUZURIに登録するためには、描かれてるイラストを写真に収める必要がある。しかし我が家にはスマホのカメラくらいしかないし、撮影環境も特に整えていないので、自分の影が映り込んだり光の当たり方による陰影がついてしまって、なかなか苦労した。

更に紙は透過背景ではないので、自分で切り抜きをしないといけない。それがめんどくさかった。切り抜く方法はいくらでもあるんだが、自動的に線の境界を判定して切り抜くと、線がツルッとしたりガサガサっとしてたりする。オイラが描いた手書きのイラストを良いねと思ってもらったのに、いざグッズにしたら風合いが違うというのは、なんかイヤだった。だもんで消しゴムツールでチマチマチマチマ消していった。

AZペインターしか使えません。しかもソフトの機能の半分も知らない。

グッズがある程度出来てからも困った。自分が描いた絵は大きくてもはがきサイズ、小さいものだと付箋サイズ。それを写真に収めてイラストデータにしてグッズにするわけだ。ではそのグッズに印刷されたイラストは、どの程度の解像度になっているのか?それが分からなかった。SUZURIのサイトでプレビューを眺めることはできるが、グッズの実寸を見ることは出来ないので、イラストが引き伸ばされてガビガビになっていたりしたら困ると思った。だもんでショップを開く前に幾つか自分でグッズを買い、絵のサイズを確認し、その後修正したものもある。大きく印刷する分には大丈夫だが、小さく印刷するのはよく考えた方がいいことが分かった。

……ここまで描いておいてなんだけど、こんなことはおそらくイラストレーターさんやデザイナーさんは知ってて当然というか、「犬には『いぬ』という名前が付いている」くらい常識レベルの話なんじゃないかと思う。しかしオイラはそれを全く知らなかったので、なかなか困ったのだった。

もうひとつ困ったのは「1つの写真毎に作れるグッズは1種類ずつまで」という点だ。イラストAでアクリルキーホルダーを作ったとしよう。イラストを90度回転させたイラストA'でアクキーを作ろうとすると、イラストA'をまたSUZURIに登録しないといけない。この2つのイラストは向きが違うだけで同じイラストなのに、種類としては別なんだ。だもんで「このグッズにはこのイラストが合うのに、こっちのグッズ用にイラストをまた加工しないといけない!」って頭を抱えることが多々あった。

こんなところか。たくさん困ったのだった。それを乗り越えて来たんだぞ、すごいなお前は(オイラに向けて描いています)。

実際に注文したTシャツとサコッシュ、ステッカーなど。

実際にマストドンに投稿した画像をそのままグッズにしているものも多いが、描き下ろしのイラストによるグッズも作った(上の画像の左の生き物)。これを画用紙にひたすら練習したのは楽しかった。絵を描くのは面白い。

ショップを作ってから思ったこと

自分の描いたイラストがグッズになるのが面白い。これが一番強く思ったことかもしれない。

UNIQLOのサイトで、オリジナルのデザインを送ってTシャツにするってのがあった気がする。ナイキもオリジナルのシューズをデザインできる(抽選でそれがもらえるだっけ?)ってのもあった。ああいうの好きだ。別に誰かに見てもらいたいわけじゃなく、一人で作って一人でニヤニヤしてるのが好きだ。ママゴトというか、ごっこ遊びが好きだからだと思う。「Tシャツデザインごっこ」としてTシャツをデザインするのだ。

でも実際に実現して継続させる気はない。だって遊びはすぐに飽きるし、それをするのは超大変だ。でもSUZURIに絵をポンと乗せるだけでグッズが出来る。自分の絵が文鎮になったりする。すげ~って面白がっていた。

グッズにするために絵を調整するのは別に面白くはなかったな。自分の理想に近づけるためにデジタルツールでチマチマするのは、お絵描きやオママゴトというより、作業とか仕事っぽい。動画編集も楽しい時とそうじゃない時があるからなぁ。完成した時の達成感を味わえたのが良かったな。

 

ショップをOPENしたことをインスタンス内でお知らせをしたら、反応がそれぞれだった。見て楽しんでくれた人、買ってくれた人(!!)、色々いる。だけど殆どの人は反応しなかった。そういうものだと思う。オイラかオイラの絵に興味がなければ反応しないのも頷けるよな……と思っていたが、通知欄を見ていると、あることに気付いた。オイラからすると面白いことだったので書き残しておくけど、人によっては嫌なこと書いてんな~と思うかもしれない。気になるようなら引き返した方がいい。あとグッズに反応しないことを咎めるようなことは一切しないし思ってもいない。

グッズに一切反応しない人は、だいたい3種類に分かれているようだった。
1種類目はオイラにも描いた絵にも興味がないし、グッズにも興味がない人。2種類目はオイラには興味があるけど、描いた絵やグッズには興味がない人だ。

例えば学校のクラス内で「友達でもなく関心もない奴が絵を描いてもどうでもいい」と思う人はいるだろうし「友達だけどそいつの絵には興味がない」って思う人もいると思う。その感覚は割と普通というか、オイラもそうだなーと思う。友達だったらそいつの全てに興味を持てるかって言われると、違うもんな。

気になったのは3種類目の人のパターン。オイラにもオイラが描いた絵にも興味はあるけれど、グッズに”だけ”は絶対に反応しない人、だ。

オイラは基本的に絵を描いたらすぐにマストドンに投稿する。するとすぐにいいねが付いて、イラストにお褒めの言葉や感想を頂くこともある。ありがたいことだ。そういった人達の中でも、グッズには絶対に反応しない人がいる。

グッズとはいえ同じ絵だ。SUZURIを挟んではいるが絵を投稿しているのにスルーされる。しかしその後すぐにマストドンに直接絵を投稿すると、矢のように早く反応される。それ以外でもずいぶん仲良くさせてもらっているのだが、グッズだけはダメなのだ。これはどういうことだろう?と気になった。

色々考えられるが、ひとつは「グッズとしては魅力がない」ということなのかもしれない。オイラが描いた絵として捉えているのではなくて、グッズとして魅力的か、欲しくなるものかどうかを瞬時に、かつ曖昧に判断して無反応なのかもしれない。

オイラが所属しているインスタンスは、割と長閑な雰囲気がある。人のことをよく肯定する。ある行為の出来不出来ではなく、行為そのものを肯定する人が多い。そういう人たちの肯定によってオイラは嬉しくなり、絵を描き続けたという経緯がある。しかし一部の人にとっては、グッズになると話は別なのかもしれない。金銭のやり取りが発生する”仕事”として見ているのかもしれないなと思った。

オイラは板前として働いていたので、魚を捌ける。だもんで人が魚を捌いている姿を見る時は、いつもとは別の目線で見ているし、”評価”をしようとする。ここが自分の嫌いなところであるが仕方ないところでもある。これに近い気がする。

ちなみに3種類目に該当する方には、イラストやデザインを本業としている人が多い。プロの目線でオイラのグッズを評価しているのだろうな、と思う。それは少し光栄だし、もうちょっと甘く見ていいねくらい飛ばしてくれてもいいのよ?とも思っている。

ただ、オイラのグッズに反応する人の中にも、もしかしたらデザイン関係のお仕事をなさっている人もいるかもしれない。これは全部オイラの予想さ。

あ、別にグッズを買って欲しいとか、オイラの絵を見て欲くてこれを書いたわけじゃない。反応を貰えなくても各々思うところがあるだろうし、それは自由だと思っているのであんまり気にしてない。単純に「こういう傾向があるな、面白いな」「こういう気付きを得たぞ、面白いな」と思ったから書いている。

そう、素人がグッズを出すのは思ったよりも簡単だけど、それでもめんどくさいということが分かった。グッズを出すことに挑戦しなければ分からなかったことだ。その経験を得ただけで、オイラはとっても嬉しい。それでいてなお、グッズに反応をもらうなんて、夢のようである。

グッズを提案してくれた人、それに賛同してくれた人。オイラがグッズの進捗を報告する度に反応してくれた人、グッズを見てくれた人に買ってくれた人、あと絵とか関係なく仲良くしてくれる人、羊かまぼこマンをかわいがってくれる人、このインスタンスの管理人であるくろりんごさん、サーバー代金をカンパしたオイラ以外のすべての人、インスタンス外で反応くれたり仲良くしてくれる皆皆さん、どうもありがとうね。

ということで、最後は感謝を伝えて終わりです。実は感謝を伝えたかったからこの記事を書いたんだけど、それだけだとキレイすぎるなと思ってあれこれ付け足してみた。ではまた。

SUZURIの公式の絵って可愛いよね。

チャーハンの素から眺める

f:id:marui-mono:20240225123341j:imageスーパーで炒飯の素を買った。なんか見た目がかっこいいなと思って買ってみた。オイラはチャーハンの素で作るチャーハンが好物の一つだ。素で作るドライカレーも好きだ、意外にピリッとしてるんだよ。いつ作っても美味いって良いよなぁ。

この前「カレーはこうすればグッと美味しく!ルーを使うとルーの味になっちゃうから使わない!」と、料理家の人が喋っている動画を見たが、ルーにも素の味にも助けられることって沢山ある。作る時に寝ぼけてても、冷蔵庫の中で萎びたパセリを見つけて偶然性に任せて投入してみても、油の温度や順番を気にしなくても、だいたい美味しいってのはありがたい。チャーハンには赤色が入ってると嬉しいよな。この日はパセリと人参を入れた。

こういうのを、オイラの中では「ぜいたく」と言う。チャーハンの素はたまに使う用としてとっておいてる。

 

東京に住んでらっしゃる方が、午前中に登山→午後に焼肉→帰りに銭湯行って良い一日だったと書いている記事を見つけた。

数え切れないくらいの休日を過ごしてきたけれど、遠いところまで旅行に行かなくても、予定の立て方ひとつでまだこんなにわくわくして楽しい気持ちを味わえることがとっても嬉しい発見だった。

完璧な日曜日の過ごし方 - ばらで飾る生活

予定の立て方というより、金の使い方だよな。だって焼肉コースで8,000円するよあの店。豚バラ100g158円のパックが並ぶスーパーの店内で怯んじゃうオイラからすると、店の前を通るだけで精一杯だ。

このブログを書かれた方はすごく楽しそうに生活してらっしゃって、とても良い。楽しそうな人を見るのは好きだ。だがこの人の生活は真似できそうにない。オイラはそんなにお金持ちじゃないから。

お金がなくても工夫次第で心は豊かになるだろうけれど、お金がある人が工夫しだしたが、豊か度ハンパじゃないだろうな。

でも世の中には、オイラが使ったチャーハンの素を見て「金の使い方が派手だ!」と思う人もいるかもしれない。オイラはとりあえず屋根と壁のある家で生活できているし、電子レンジも家にある。ガスだって使える。それら全部ない人も沢山いる。だからなんだよ、と自分に質問してみたが、別にこれ以上思うことはない。

 

自分の中で、必要最低限以上にコストをかけたらそれは贅沢だ、という気持ちが常にある。例えば今オイラは麦芽コーヒー味の豆乳を飲んでいるんだけど、本来なら水でも飲んでたら良いのに、味の付いたまろやかな飲み物の味を楽しんでいる。だもんで1本100円程度のコレも、贅沢と言える。

目に見えないもの…時間もそうかもしれない。本来ならその1時間に予定をぎっちり詰め込めるのに、なにもせずにぼーっとする。なにもしないをする、と言うのかな。これは時間を贅沢に使う、だ。

だもんであのチャーハンの素も、オイラからすると贅沢だ。だって塩コショウを振ったら一応チャーハンとして味は付くから。なので嬉しいな~と思いながらバクバク食べる。

オイラが大学生になりたてで一人暮らしを始めた頃、ペットボトルのジュースを一切買わず、水道水と麦茶だけ飲んでいた。節約をしたいと思ったからではなくて、ジュースやお茶を家に置いてまで飲むなんて贅沢だと考えていたから。さすがに今はそこまで考えて行動はしないけど、それでも、贅沢だなーとは思う。

これは強がりみたいなものだと思うんだが、そういう気持ちは自分の意識?精神?を形作るものの中でも結構大事なものなんじゃないかと思っている。欲を満たす自分を後ろから「ぜいたくだなぁ」「もったいないよ」「でもいいなぁ」と眺める視点があるのは、良いこと……いや良いことかどうかは分からない。

自分の欲望に忠実になることを肯定はしたいが、それでもその一部始終を見届けて?覚え続けていたいというか。うーんうまく言葉にできないな。

多分怖いんだろうな、大きなコストを払うことが。たとえそのコストを払う力があったとしても、それを失うのが怖いんだと思う。そういえばゲームでもアイテムを99個まで貯めるのが好きなんだよ。

それで損していることはたーくさんあると思うけれど、プラスになったこともあるんじゃないかと思う。いや、思いたい。

炒飯の素は小袋タイプ。アレンジ方法が書いてあるのが可愛らしい。

オイラの人生がぜんぜん違うものだったとしても、チャーハンの素を可愛がる気持ちはそのオイラにはあるのかなぁ。今日はここまで。

オリオン

友人に、オリオン座という喫茶店に連れて行ってもらった。

こじんまりとした店内はふかふかのクッション付きの椅子が4脚、テーブルは2つ。客側のスペースとキッチンスペースはカウンターで区切られており、キッチンがよく見える。必要最低限のキッチンツールや食材置き場の配置、壁の汚れからも、この店が最近出来たのかが分かる。

カウンター横のガラスケースには、あまいサンドイッチ、しょっぱいサンドイッチが沢山。沢山ありますね!と伝えたら「今は昼過ぎなので、これだけです」と応えられた。こんなにあるのにこれだけとは。オイラは店員さんにチョコバナナサンドを注文した。コーヒーと、友人は紅茶だったか。

やり取りの中で、なんとなく店員さんに職人気質というか、拘りの強さを感じた。友人は食事はせずにドリンクだけ注文したんだが、店員さんの「飲み物だけでよろしいですか」と「ではご準備いたします」との言葉の間に、妙な間(ま)を感じた。気がするだけかもしれない。

先に運ばれたサンドイッチを包み紙から外し、頬張る。具はサンドの奥まで詰められているし、たっぷりのチョコクリームはくどさを感じない。何より見た目がいい。バナナの切り口がこちらを向いている。フルーツサンドはこういう形状が多いが、チョコは珍しいので食べてみた。美味しい。食べてよかった。

少し遅れてコーヒーと紅茶もやってきた。コーヒーはおそらく注文してから挽いてくれている。メニューには「コーヒーはサンドイッチに合うように選びました」と書かれていた。苦味が強くなく、オイラの好きなタイプのコーヒーだった。別の店員さんが紅茶も運んできてくれた。二人で喫茶を楽しんだ。

 

しばらくすると別のお客さんがやってきた。紅茶を持ってきてくれた店員さんと談笑している。二人がいるカウンターとオイラ達の距離は離れていないので、会話が聞こえてくる。

ここはケーキも密かに人気でそれだけを買いに来る人もいるということ、お客さんは幼稚園かどこかの先生だということ、そして拘りを感じた店員さんは、料理畑の人間だということも分かった(本人が「私は料理人から始めたものでして」などということを喋っていたから)。

やはりオイラの読みは当たった。あの店員さんは店長さんで、コダワリが強い。だから食事を注文しない時に、一瞬変な空気を醸し出したんだな。

ま、そんなものはあっちの都合である。オイラたちはオイラたちで、ぐいぐいと茶をしばき、満足して帰った。友人は「おしゃれだから一度来てみたかった」と言っており、それでオイラに紹介してくれたとのこと。どうもありがとう。

ただまぁ、オイラはここには一人では来ないかもしれない。自宅から随分遠いのと、なんとなく店長さんの拘りを空気で感じるのが苦手だからな。テイクアウトは是非したい。美味しかったから。そういえば、なんでオリオンなんだろう。店長さんに聞けば少しは仲良くなれたかな。

その帰りに駅前で、惣菜屋さんが元気よく接客してるのを見て、ニコニコした。

プラスチックヘンテコカメラ

manmaru.hatenablog.jp

2月初旬に動物園に行った。そこはまぁ広くて動物いっぱいいて自然がモリモリで最高だったと前にブログに書いた。で、その時に持っていったカメラがコレだ。

動物園に行った理由の一つ、ヘンテコなカメラで写真を撮ること。

あなたはエルサルバドルに行ったことはあるか。火星はどうか。生きててまだ行ったことのない場所は沢山あるよな。

ではハードオフに行ったことがあるか。オイラはなかった。火星もハードオフも未知の場所だ。個人個人の未体験の事象は日常にも山ほどある。今年のオイラのテーマは、そういう日常の未体験に挑戦すること。だもんで1月某日にハードオフに向かった。

 

電車と徒歩で向かい、たどり着いたハードオフ。階層でキレイな中古/ジャンク品を分けて販売している店舗であった。キレイな品々が並んだフロアの奥から、カホンのリズムが聞こえてくる。

気にはなったがジャンクコーナーへ向かう。ガラクタを眺めるのがハードオフの作法と聞いていたので。これがガラクタなのかと思うもの、これはガラクタですよねと思うもの、色々ある。

面白いのは見た目がそれっぽければ同じコーナーに置かれていること。カメラのジャンク品はそれぞれ「ストロボ」「デジタルカメラ」などと書かれた箱に入れられているが、フィルムカメラのカタマリの中に、すみっコぐらしのイラストが書いてある可愛らしい商品を見つけた。カメラの形はしているが、シャッターのようなスイッチを入れると、涼しい風が上部からふぁ~と流れてくる。ついでに光る。

これは…ハンディファンだ!首から下げるタイプの、手ぶらでそよ風の恩恵に肖れる、アレだ。カメラじゃないのにカメラのコーナーに置いてある!それに気付き、一人でニヤニヤしてしまった。

 

もっと場違いの商品が置かれているのではと、カタマリをまさぐっていると。ストロボと書かれた箱の中に、直方体の、レンズがついている物体を見つけた。

ストロボにレンズなんかつくのか?じろじろと眺めると、どうやらこれはカメラらしい。フラッシュがついていて、フィルムを入れる場所もあるから。ただし見たことのない形のフィルムだ、一時期流行ったハリネズミ?だっけ?あんな形に似ているような気がした。

その場で検索し、幾つかのことが分かった。まずこれは110フィルムカメラの一つであること*1。小さいフィルムを使用できることから「ポケットカメラ」と呼ばれていたこと。しかし今では本体もフィルムも殆どが生産終了しており、このカメラは1985年頃に登場したらしいこと*2

そしてフィルムは、今でもどこかで買うことが出来るということ。

オイラはカメラについて全くの素人だ。せいぜいご飯と道端の花をスマホで撮るくらい。カメラでいい写真を撮ることにも、いいカメラにも興味がない。

しかしこのヘンテコな形のカメラは、そもそも写真が撮れるのか?オイラよりも年老いていて、全身プラスチックの、300円のジャンクとして売られたコレが、もしまだ写真を撮れたら面白い。浪漫だ。

これと同じようなタイプのカメラをもう2台見つけ、ハードオフで初めてのお買い物をした。その後Amazonで110フィルムを送料込みで2000円で買った。送料は1000円かかったが、転売されているものと比べると良心的な価格らしい。110に限らず、今はフィルムの生産が大変らしい。手に入っただけラッキーと思うことにする。

 

動物園に行く前日、3台のカメラを濡らした布で優しく拭き、丁寧に眺めた。1台目に拭いたカメラには自動巻き取り機能が備わっており、シャッターを切ると自動で巻き上げてくれるらしい。しかし電池を入れる所が液漏れでぐちゃぐちゃになっており、オマケに傾けるとガラガラと音がする。これを使うのは諦めた。見た目は一番好きだったんだが。

2台目は、布で拭くたびに塗装がペリリと剥がれていく。水拭きでこれか。さすがオイラより年寄りだ。3台目と同じ会社のものらしく、構造というか雰囲気がまるで似通っている。ポケモンのサンダースとシャワーズは雰囲気似てるけど、サンダースとブラッキーってなんか違う雰囲気を感じるだろ。それと同じだ。伝わるかなこの話。

結局3台目の、ハードオフで最初に見つけたカメラの状態が一番良さそうなので、これにフィルムを入れて当日持っていくことにした。フィルムの扱いははさっぱり解らなかったが、カメラの中にガポンと入れるだけで良いので楽だった。

1台目と2台目。それぞれ別の会社のカメラっぽい。

動物園ではいろんな動物、植物にシャッターを切った。ポケットカメラと言う割にデカいんだが、縦に長いのでポケットに手を突っ込んでつかみやすい。全身がプラスチックだからか、とてつもなく軽い。フラッシュはハナから諦めているので電池も入れずに持ち運んでいるものあって、スマホの方が若干重いまである。

このカメラは望遠機能がついている。上部のつまみをスライドさせると、レンズが出たり引っ込んだりするのだ。アナログ!でもすごい。シャコシャコスライドさせて撮った。撮りながら「そもそもこれは撮れているのか、シャッターは切れているが何も写ってなかったらウケるな」と思っていた。しかし撮れてなくても良いなと思った。オイラは写真が欲しいわけじゃなく、撮るという行為を面白がっているんだなと理解した。

動物園の真ん中くらい、猿山の辺りで撮ろうとしたが、シャッターが切れなくなった。24枚撮りのフィルムを使い切ってしまったのだ。まだ動物園の真ん中なのに!計画性のなさ!と思いながら、後半はスマホのカメラだけで写真を撮ったり撮らなかったりして楽しんだ。

カメラの名前にもあるtele(望遠)機能。左が望遠モード。

数日後、カメラを持って現像しに出かけた。あまり耳馴染みのないカメラ屋さんに入り、おそるおそる「あの…このカメラのフィルムを現像することは…」と聞いた。

店員さんはあっけらかんと、ハイできますよと応えてくれた。現像に30分くらいかかると聞いたので、店を出て町をぶらついた。110フィルムを現像できる店舗は限られており、ネットで調べた上でこのカメラ屋に来た。来てから分かったのだが、店内にはオイラが通販で買ったフィルムが沢山売られていた。

時間が来たので店に戻る。ネガを見せてくれた。なんと、撮れている。すごい。その時点で満足した。

次はプリントをお願いしようと思ったが、プリント1枚につき100円かかるとのこと。全てプリントすると2400円。現像にすでに1500円使っていることを考えると、なかなかの出費だ。店員さんは、あちらのライトスタンド?の方でネガを眺めて、印刷するものを選ぶことも出来ると教えてくれた。安心。10枚だけ選んで印刷をお願いした。更に20分くらい待ち、無事に印刷された写真を受け取った。デジタルデータにすることも出来るらしいが、更に高額になるので諦めた。

同じ位置から標準と望遠を使って撮った。本当に近くなってる!

ボケてるのは仕方ないとして、ブレがあるし、なにを撮ったのかよく分からないものもある。だから正直「フィルム含めて5000円くらい払ってこれか」とショックを受けた。素人なのでこういう感想になる、カメラが好きな人、すまん。

しかし、ずっと眺めていると、じわじわと感動というか、暖かいものが込み上げてきた。1985年くらいに生まれた、全身プラスチックで、知名度もまるでないこのヘンテコ中年カメラは、今でも写真を撮ることが出来る。そしてオイラは彼と一緒にその体験をすることができた。すごく楽しかった。

自分自身も、自分の体験も、それに伴う自分の感想も、無理に特別なものであると言い張る必要はあまりないと思う。普通なものって、特別でなくてもちょっとヘンテコで面白いから。

使い切ったフィルムと、好きな一枚。

とはいえ、オイラからしたら高い趣味には違いないので、今度はバシャバシャ撮らないようにしよう。半年に一回使い切るくらいで良いな。ではまた。

沖縄料理の食堂で

三連休の最終日、友人と沖縄料理を食べた。

前に行った定食屋さんでまたご飯おかわり無料と洒落込もうと思ったんだが、店の前には長蛇の列。そういえば以前ここに入れたのは平日の昼前だったな、と思い出した。なるほど人気なのか。そりゃあんだけおかずがついておかわり無料だもんなぁと納得し、諦めた。

どこにしようかねぇ今日はさっぱりしたものを食べたいねぇと話しながら歩く。沖縄料理屋が目に入った時に「ここだ!」と声を出すオイラ。友人もここがいいと言ってくれたので、決定。先日ソーキそばの特集記事をネットで読んでから、ずっと行きたかったのだ。

オイラが注文したのはソーキそばの大盛り、友人は定食だったか。ゴーヤチャンプルーを一口もらったがそれほど苦くなく、沖縄料理を謳っている定食屋でもゴーヤは苦くないのを出すのだな、じゃあオイラが自宅で自分で作るときもあんまり苦味を残さないように作るのは邪道ではないのだな、と心の中で納得していた。オイラは沖縄に行ったことがないので、本場の味に触れる機会がなかった。定食屋が本場だ。

会計時には小さい伝票バインダーをレジに持ってきてくれと、店員さんに言われていた。そこには小さい、シーサーの絵が描いてあった。鼻は豚だがたてがみもあるし。立派な牙もある。10人に質問したら、イジワルな人以外はシーサーと答えてくれるんじゃないかな。

かわいいよな。

いい絵だな。オイラは最近イラストを描いているんだが、そうすると目につくイラストが教材になったような気がしてきて面白い。これ好きだな、真似して描いてみよう。この色いいな、今度塗ってみよう。とか。でも例えばゴッホの絵を見て教材に出来るかと言われると、ちょっと分からない。ああいうものを描きたいかと言われると、あんまりピンとこないから。芸術的なセンスを磨いていないので、ゴッホの絵を見ても「ほー」とか「はー」とかいう感想ばかり出てくる。

例えば人の顔を描いて、そこに手を2本生やしても、それが四つん這いになっているようには見えないと思う。いくらデフォルメされていたとしても。動物とか、それこそこういうシーサーだから四本の足で立っているように見えるのだろうな。前提がないと絵はそう見えないのかもしれないな。

ということを、レンゲを口に運びながら考えていた。隣に座ったお客さんが、どちらがBUMP OF CHICKENを昔から知っているかの話を耳にしながら席を立った。

ソーキそば、もっと食べたいな。